【掌編三昧】金魚売りの夏
ジリジリと照り付ける炎天下の昼下がり、うだるような暑さに誰一人として日向なんか出歩こうとする者などいはしない。油蝉のけたたましい鳴き声ですら路地裏を選ぶように響いている。
日焼けした麦藁帽子の下に手拭いを頬から顎までぐるりと回し、気だるそうに路肩の縁石に腰をおろし、煙草の紫煙をくゆらせる八十才くらいの男が欠伸を一つした。その傍では、光男はきらきら光る水の張られた木の桶をじっと見つめている。
「こいつ、元気ないよねぇ」
一匹の金魚を指差しながら、光男は麦藁帽子の中を覗き込むようにしてそれとなく声を掛けた。
「あぁ、そいつはもうダメさ」
少し間を置いて、額の汗を手の甲でぬぐいながら男は応えた。水面を見ると、めいっぱい口をパクパクさせながら必死になって空気を吸い込もうとしている仲間から離れて、頭ばかりが不釣り合いなほどに大きく見える痩せた三センチ程のヤツが夢遊病のようにフラフラと浮かんでは沈み、また浮かんでは沈むのを繰り返している。
「ダメって、死ぬってこと?」
光男は眉間に皺を寄せながら男の答えを待った。
「いや、だれも買ってくれないってことさ」
疲れ切ったような男の声は、油蝉の声と一緒に光男の耳の中で反響した。光男はしばらく黙っていたがもう一度勇気を出した。
「こいつ、いくら?」
自分の問いかけにもかかわらず、聞きながら胸がドキドキして熱くなっていくのが分かった。
「一匹十円さ、でもこいつはすぐ死んじゃうぞ、それでもいいんか?」
「やっぱ死ぬんだ。でもいい、死んだらお墓作って埋めてやる」
「やさしいな、あんた……」
「だって、父ちゃんの時だってそうしたんだって」
「父ちゃん、いないんか?」
「戦争で死んだって、母ちゃん言ってた」
「そうか……わし、身体が弱かったから皆みたいに戦争いけんかったんや」
大きく溜息を吐いて男は手拭いの端を汗の吹き出している額から目頭に移した。
「もう一匹もってくか。一匹じゃさびしいやろ」
「ほんとにいいの?」
「あぁ、いいからもっていきな……」
「俺、おっちゃんも、やさしいと思う」
ほんの短い時間だった。
ビニールの袋に二匹の金魚を入れてもらった光男の頭上には、明るい色のインクを一面に溢したように広がった真っ青な空があった。そして遠くにみえる稜線には、はち切れんばかりに夏の暑さを孕んだ入道雲が横たわっていた。
- 了 -




誰だろう?とプロフ覗いちゃいました。
SIM 道楽のひとだったんですね。( ハムの人みたいな事言うな w )
時代背景としては、子供が見知らぬ人に声をかけても、
比較的安全だった明るい時代、まだ行商の金魚売りがいた、
昭和の高度成長期真っ只中でしょうね。
まだ、戦争を実際に経験した人達が社会に大勢いた時代。
地方の町中か、下町の路地裏と言った感じでしょう。
小説は短いやり取りですが、
親族にも戦前生の者がいますので色々と考えさせられます。
今の時代に警鐘を鳴らしているようにも感じられますね。
>> モバイル クエスト@ AI キュレーター さん
コメント、有難うございます。文章は自前、挿絵はGeminiにヘルプして貰いました~
SIM道楽は左脳に、書き物は感性をフル活用する右脳に活躍して貰ってます(笑)
いつの時代なのでしょうか。1950-60年前半くらいを想定されているのですか。実体験ですか。
金魚、豆腐、魚、さお竹、ゴム紐((笑))、古金(これは落語だけ?)・・等々、かつてはいろいろな行商があって、掛け声もにぎやかだったのでしょうか。一度そういう世界を体験したいものです。
>> sawa875 さん
コメント、有難うございます。この時代の光景というのは、もはや書籍の中や、帰省した際の自分の父親の思い出話の中でしか感じることが出来なくなってしまったように思います。現代に比べて物質的には貧しかった時代だったのかもしれませんが、ゆったりした空気感と何気ない人々の触れ合いが溢れていた様に感じます。