こんなん旅をしてた
終活の手始めに断捨離をしようと押入れを掻き回していると昔の旅行中に書いた地図が出てきた。
パリ市内
ローマ市内
略図とも言えないようななぐり書きの図であるがこんなものが役に立っていたのだろうか?
ネットのない頃で現地での頼みは観光案内所で貰える地図だけであった。
ドイツ語圏ではまともな地図が多かったがそれ以外では店の位置だけは正確なファストフードの店が出す宣伝用の地図が数種類置いてあるだけであった。
だから冒頭のような地図でも役に立ったのである。
ついでながら当時の旅行スタイルについても思い出を語ろう。
先ず大原則は単独行であること。
全てが自己責任になるが予定をどうにでも変えるられる自由に勝るものはない。
出発前には往復の航空券を買うだけである。
行きはFIXで良いが帰りはOPENの方がいい。
荷物は小さなデイバッグひとつである。
中身は着替えと洗面用具と一眼レフカメラだけである。
ターンテーブルに並んで預けた荷物を受け取る必要がないので時短になる。
初めての時は入国審査や税関での想定会話を機中で「旅行の目的は?」と訊かれたら「Besichtigung」などとカタカナのルビを振ったものを丸暗記をしていたのだが実際は提出したパスポートを眺めただけでスタンプを押してくれた。
税関は申告不要の出口を通っただけであった。
EUの域内ではパスポートを見せる仕草をしたら「そんなものいらん早く行け」と手で追い払われる始末であった。
空港を出て市内へ行くバスや列車の乗り場に行くと機内にあれほどいた日本人はどこへ行ったのだろうと思うほど閑散としていた。
市内ではホテル探しが待っているので余りにも遅い時は空港で一晩過ごして翌朝市内を目指すようにしていた。
ホテルは値段の安さが基準であった。
ヨーロッパは主要駅の近くに安宿街が多かった。
一つのビルに10件ほどの家族経営の小規模のホテルが蝟集しているのもあった。
入口に宿泊料金を提示している所もありホテル探しに難渋することはなかった。
それにどこでも清潔さは保たれていて安心できた。
コスパの良いのはエジプトであった。
何しろ築100年以上というホテルがゴロゴロとあり疾うの昔に元は取っているので小学校の教室みたいな広さと高さでベッドが3個も並んでいるようなホテルでも1000円以下で泊れた。
エレベーターはドアが鉄格子で出来た中が丸見えの年代物でカーゴと建物の床を同じ高さにして2枚の扉を開けるような仕掛けになっていて操作する時は結構緊張した。
逆にコスパの悪いのはタイで国全体が高温多湿であるのでエアコン装備の部屋でないと快適に過ごせない。
北方にある(冬の)チェンマイでもエアコンは必須であった。
ピピ島の海辺に建つコテージが良さげであったがエアコンもない掘っ立て小屋で夜になって風が止まると熱さが一気に押し寄せてきた。
濡れタオルで体を拭いて過ごして一睡もできなかった。
5泊の予定だったがキャンセルして街中のまともなホテルに引っ越した。
中国は国策(一般人民と個人旅行の外国人を接触させたくない)で外国人が泊まれるホテルは限られていて地方に行けば省都でも2,3軒しかないが飯店や賓館クラスのホテルであるから1000円前後の安さにも関わらず快適に過ごせた。
韓国や台湾は街中にも拘わらず静かな小さなホテルであったが夜半を過ぎるころから男女の嬌声が聴こえてきた。
なんと連れ込み宿であった。
翌朝早々に引き上げたのは言うまでもない。
とりとめのない話になったが本日はこれ切り






不便ではあったけど、あの不便な懐かしさが心をくすぐりますねー。
上海に旅したとき、電話がかかってきて、「何のルームサービスなんだろう?」と思ったら、「マッサージはいかがですか?」との営業電話。
若かったし、特に肩こりなんかもなかったからお断りしたんだけど、
程なくして付近の部屋から、艶めかしい声が…🥺
あのマッサージをお願いしていたら、どうなってしまったんだろう?って思いました。笑
>> トッチン@寝不足 さん
当時は不便を不便と感じていなかったですね。トラベル=トラブルと考えて自分なりに解決できた時は却って楽しかったです。
若い女性の誘惑は夜の街角やホテルのロビーや観光客を装って近づい来たりと色々ありましたがその方面には疎く鈍感で無視を貫いていました。
コメントありがとうございました。
昔は紙媒体だけが頼りのアナログ?旅でしたね。ブームにも乗っかって若気の至りで随分無茶しました。
ー兌換元時代の中国には香港の重慶大厦(チョンキンマンション)滞在で怪しい旅行会社経由ビザ申請と格安エアチケット予約上海INで観光楽しみましたよ。
ーバンコクではカオサンロードがバックパッカーの聖地で毎晩お祭り状態でしたね。
ーその他いろいろ有るけど今現在無事生きてることが不思議でたまらん。
>> ダンシャーリ さん
おっ、同志ですね。色々ご活躍されたみたいで私も又当時を思い出しました。
チョンキンマンションはエレベーターでは頭一つも二つも抜きんでているアフリカ系住人に囲まれ、迷路のような通路には後付けの配管や配線が手の届く高さに配置されていて素人目線でもやばいと思われる場所で1泊しただけで退散しました。
中国のホテルのドミトリーでは兌換元と人民元との交換比率の話は必ずありました。
大体1:1.3が相場でした。
私は利用しませんでしたがカオサン通りには偽の学生証を作ってくれる店もありました。
混沌猥雑な不思議な魅力のある街でした。
コメントありがとうございました。