掲示板

2026年12月の絶望的な静寂

1973年の第一次石油危機の際、吉行淳之介が綴った無駄への哀歌。『生の実感』所収の「深夜放送」など。それが半世紀以上の時を経て、再び現実のものとなりそうです。

吉行淳之介が、1973年に遺した嘆きは以下のとおりです。

石油危機によって深夜放送が自粛された際、吉行はそれを正しいこととして受け入れる世間の空気に異を唱えました。

彼にとって、深夜のテレビ放送は「見る価値があるから」存在していたのではありません。「見ても見なくてもいいような、贅沢な無駄」が流れていることこそが、精神の自由の証だったのです。

効率と実益だけで社会を塗りつぶし、不要不急のものを「悪」として切り捨てる清潔な全体主義。
吉行は、石油の枯渇よりも、その「遊び」を許さぬ真面目すぎる空気によって人間が「生存するだけの機械」に成り下がることを激しく嘆いたのでした。

彼が生きていれば、2026年12月の絶望的な静寂の中で綴るであろうことを想像してみました。


暗闇の聖夜に、無駄を乞う
吉行淳之介(2026年12月24日 記)

2026年12月。ついに恐れていた物理的なゼロがやってきた。
国家備蓄も民間備蓄も底をつき、日本の血管を流れていた石油という名の血液は、この冬、完全に凝固してしまったようだ。

今夜はクリスマスイブだが、街に活気という言葉はもうない。かつて宝石を散りばめたようだった銀座のネオンも、新宿の喧騒も、今は深い泥のような闇に沈んでいる。

街角のツリーに灯るささやかな電飾さえも非国民の贅沢として糾弾され、人々は震えながら、ただ暗い部屋で明日という生存に耐えている。

半世紀前、私は深夜放送が消えたことを嘆いた。しかし、今のこの静寂はあの時とは比べものにならないほど冷酷である。当時はまだパフォーマンスとしての自粛という余裕があったが、今は違う。暖房もなく、物流も止まり、クリスマスケーキの甘い香りさえも遠い記憶の中の幻影となったのだ。

今の日本を支配しているのは、極限まで研ぎ澄まされた正しさだ。一滴のガソリンを惜しみ、一ワットの電力を削り、ただ生き延びることだけを目的とする社会。そこには、私がかつて愛した無駄や遊び、あるいは退廃的な美学が入り込む隙間など、微塵も残されていない。

本当の悲劇は、物理的なエネルギーが消えたことではない。この暗闇の中で、私たちが煌びやかな虚飾や不要不急の楽しみを、いとも簡単に、そして自ら進んで捨て去ってしまったことなのだ。

クリスマスを祝う華やぎを無意味な浪費と切り捨て、効率の良さだけで人間を測るようになったとき、私たちの心は石油よりも先に枯渇してしまったのではないだろうか。

窓の外を見れば、月明かりだけが冷たく街を照らしている。かつてはあんなに疎ましかった深夜の酔客の笑い声や、意味もなく光り輝いていた看板が、今はたまらなく愛おしく、そして遠い。

生きているとは、単に心臓が動いていることではないのだ。見ても見なくてもいい深夜放送を眺め、使いもしない贅沢品を愛でるような、あの豊かな無駄の中にこそ、人間の尊厳があったはずである。

この暗い聖夜に、私は祈る。いつかまた、この国にどうでもいいような、美しい無駄が戻ってくることを。その時まで、私たちはこの精神の飢餓に、どこまで耐えられるのであろうか。


2 件のコメント
1 - 2 / 2
天然のプラネタリウム
綺麗な星空が見れそうですね\(^o^)/
🌠🌌☄️🌒🪐🌙⭐🌟🕯️
電池不要の鉱石ラジオでAM放送でも聞きましょうかね📻
外部AC電源不要の固定電話機で遠くの人との会話を楽しみましょうかね📞☎️
昼間はソーラーパネルで発電&充電して
電気を自給自足しましょうかね💡🛰️🔋
暖かいコタツの出番ですかね🌈
運動や音楽演奏も楽しそうですね
⚽⚾🏀🏈🎾🏸🛼⛳🎴🀄🎲🃏🖌️🖼️🎹🎷🧶🎺🎻🥁🪈
sawa875
初心者マークsawa875さん・投稿者
マスター

>> まいまいまいんに さん

まあ、空は綺麗になるでしょう。寒々とした空をみて感動できるか…
コメントするには、ログインまたはメンバー登録(無料)が必要です。