羅生門日和
クリスマスといえば'賢者の贈り物'が有名じゃないですか、
オー・ヘンリーの。
若い女性が自分の髪の毛を売って贈り物をする話じゃないですか、
ざっくりいうと。
で、その設定を逆にっていうかあべこべにすると、
老婆が他人の髪の毛を奪って私腹を肥やす……
あれっ、これって'羅生門'じゃないですかね。
だから'羅生門'は'賢者の贈り物'の反対で'愚か者が奪うもの'
賢い人々は価値が上がるものを贈り合うのに対し
愚か者は価値がないものを奪い合うという話なんじゃないかと、
芥川龍之介はそういいたいんじゃないかと
僕なんかはそう思ったりしちゃったりしてる訳なんですけど、
というのはもちろん冗談で、なんで冗談なのかというと、
ほら、'羅生門'って下人が若くてイケメンじゃないと成立しない話じゃないですか。
若い女性を老婆にしたのだから、当然、下人も老人にしなければならない、で、そうすると、
'仕事を首になった無職の刃物を持った老人が羅生門の陰で獲物を待っていた。老人の他には誰もいない'
って、なにを当たり前のことを言っているんだろう。お前がいるから誰も来ないんだよ。
と、いうことになるし、
急な階段を這うように登っていくのも、年だからしょうがねぇなぁ、って感じだし。
'羅生門'を読んだ誰もが感じている'下人弱すぎ問題'という、
丸腰の老婆を相手に刀を抜くというのは、お前どんだけ弱いんだよ?
という問題の回答としてはベストなんだけど、
そうすると、骨と皮ばかりのヨボヨボのばあさんとじいさんが、取っ組み合いのけんかをしている。
ということになって、いったい僕はなにを読まされていたんだろうという気分になる。
要するに、僕はいったい何を言いたいのかというと、
'賢者の贈り物'って新約聖書の、
'東方の聖者がキリストの誕生を贈り物を持って祝いに来たエピソードを下敷きに書かれた'
って書いてあるじゃないですか、ウィキペディアによると。
つまり、パクったってことじゃないですか。
オー・ヘンリーだってパクッているんだから、俺がオー・ヘンリーをパクッてもいいんじゃない?そうしないとご飯が食べられなくなっちゃうし。
って、芥川龍之介はそう言いたいんじゃないんでしょうか?
下人がどこへ行ったか気にしてる人が多いみたいですけど、
急な階段を駆け降りたら、いったいどういうことになるか、
そんなのは小学校一年生だって知ってるよ。冗談の話。


