ひとって周囲の人や環境に推測でおそらく
わたしの伝えたり伝えなかったりしてきた対応をこういうふうにきちんとあの人はあの会社や組織のあの人は、もしくはプライベートの関係の人々は、理解していてくれているだろうという確信とある程度確信と不透明なことをすべてあたまで考えながら、
そういった関係で生きていますよね、
そーですよね、
なんか、言っていること不明かもしれませんが、
人間関係というか、生きていくうえでの関係制ってある程度こういうふうに相手は待ってくれるだろう待ってくれてるだろう寛容にもしくはある程度は評価してくれてるだろうと、
でも、それらがことごとくまったく無慈悲な想定外だったときひとは絶望か怒りなどを覚える。
でもわたしは、もうこれまでの経験からたいていのことは想定の最低か最低以下の状態であるのが現実で現実はことごとく無惨で人間に人間的温かさや配慮なんてないとこれまでの経験で確信している。
まあ、それでも相手を利用しようというひとばかりの関係の中で自分がある程度妥協できる範囲内で利用されていて、まあやってやっかということばかりだけど、たまに少しだけ良いことを見出そうとすれば見いだせるかなというのか常です。
だらだらと思うままを綴りました。
鴨長明か!
より、さらに寛容にならないといけない修行なのでしょうね、人生は。
2 件のコメント
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> だらだらと思うままを綴りました。
すみません、やはり私には理解困難です。
前にも同様のコメントをしましたが、
https://king.mineo.jp/reports/322698
もう少し整理してから投稿されるとよいように思います。そのための一つの手段として、原文を「生成AIに要約・推敲・添削させてみる」のも良いかもしれません。
面と向かってでなく第三者を通じて知ったので嬉しかったです。
一方で一生懸命やってやってソッポを向かれたこともあります。
がっかりしました。