時代祭り(赤熊について)
以前の投稿で
「年を取ると時間の流れが速く感じられるが私見では時間はいつでもどこでも誰にでも等しく流れるが年を取ると体力知力が衰えて動作や思考が緩慢になり相対的に時間が経つのが早く感じるようになるのだと思っている。
言葉にしても若い時ほど早い口調で喋れない上に肝心の単語が出て来ずアーウーと口籠ることが多く時間だけが過ぎていく。
これでは良くない今までのようにのんべんだらりと怠惰に過ごすことは改めよう、問題意識をもって暮らそうと決意した。
旅行するにも単なる物見遊山では時間の無駄使いである。
別に何かテーマを課したら二つのことを同時に行うことになるので2倍の時間が掛かってもイーブンになる。」
と書いたことがある。
それ以来旅行や祭り見物に行っても多角的に物事を見るよう心掛けている。
時代祭りも時代区分や音楽等の視点からの見方も出来るが今回の主題は赤熊(しゃぐま)である。
上の動画は時代祭りの先頭を行く「維新勤王隊列」の行進風景である。
冒頭に写っている乗馬姿の人物は黒い毛の付いた物を被っている。
上図も維新勤王隊である。
馬上の人物は3人共白い毛の付いた物を被っている。
これらは熊毛頭という被り物で赤いのを赤熊(しゃぐま)
白いのを白熊(はぐま)黒いのを黒熊(こぐま)という。
今は色に関係なく赤熊ということが多い。
熊毛といっても熊の毛ではなくチベット高原に生息しているヤクの毛である。
軍装品としては日本の歴史の中で幕末の戊辰戦争の中でも上野戦争からの1年間に限って出現した稀有な存在である。
1868年(慶応4年)4月11日(旧暦)江戸城は無血開城し新政府軍の手に落ちた。
価値のあるものは事前に徳川方によって持ち出されていたが城内に残されたものもあった。
その中の一つが熊毛頭であった。
薩長土肥の兵士はそれを持ち帰りその後の戦場で着用したのである。
数に限りがあるから全員に行き渡らず指揮官クラスは毛の長い立派なものを被り一般兵士は毛の短いものを被れたら儲けものといったところであったろう。
これも維新勤王隊である。
身分としては低いがこちらは全員が黒毛の付いた赤熊を背負っている。
陣笠にヤクの毛を付けているので毛付陣笠ともいう。
維新勤王隊というのは戊辰戦争時に実在した山国隊がモデルになっている。
現在の京都市右京区にある山国村の出身者で構成された農民兵の一団である。
鳥取藩に属し官軍に加わって戊辰戦争を戦って各地で軍功を上げた。
その功績により鳥取藩から賜ったのが熊毛頭である。
薩長土肥の物とは出所が違うが時期としては略同一の時期のものである。
時代祭りには別の「室町洛中風俗列」でも赤熊を観ることできる。
こちらは鬘(かつら)のようなものである。
室町洛中風俗列は室町時代後半に経済力を持ち台頭してきた京の町衆によって催された風流踊りを再現したものである。
芸能の分野での赤熊は祇園祭の綾傘鉾でも観ることが出来る。
歌舞伎の連獅子の被り物も同じである。
「徳川城使上洛列」では徳川幕府が朝廷に城使を上洛させた際の行列を再現してるが先奴の持っている毛槍も赤熊と同じヤクの毛で作られている。






不思議に思っていたことが、氷解したような気がします。
コメントありがとうございました。