あなたは論理的ですか?非論理的ですか?
突然ですがあなたに質問です。
あなたは論理的ですか?非論理的ですか?
論理的とは・・
物事を筋道立てて考え、矛盾なく結論を導き出す思考のこと
1物事の順序や因果関係を理解し、一貫した流れで考えること。
2複数の情報や意見が互いに矛盾せず、整合性が取れていること。
3意見や結論を述べる際に、具体的な根拠や理由を示すこと。
非論理的とは・・
物事のつながりや根拠が不明瞭で、首尾一貫していない状態のこと
1物事の順序や因果関係を理解して、一貫した流れで考えられない。
2複数の意見が互いに矛盾していて、整合性が取れていない。
3意見や結論を述べる際に、具体的な根拠や理由がない。
4感情に任せて行動したり、発言したりする。
5非現実的で現実離れした考えをすること。
あなたは論理的?非論理的?自分をどちらだと思いますか?
あなたは論理的ですか?非論理的ですか?
10件の回答
私はやや論理的である。
50% 5件
私はかなり論理的である。
20% 2件
論理的、非論理的という言葉の意味がわからない。
20% 2件
私はやや非論理的である。
10% 1件
どちらでもない。
私はかなり非論理的である。
17 件のコメント
コメントするには、ログインまたはメンバー登録(無料)が必要です。


選択肢にない…。
結果、周囲や家族から「理屈っぽい」と言われる。
一般に論理的思考(左脳派)の対極は
直感的思考(右脳派)
と分類されますね。
どちらかが優れているとか劣っているという事はありません。
ある時は非論理的。
時と場合によります。
人間ですから。
>> さと さん
>>「非論理的」の説明がほほディスりに見えますが「非論理的 意味」でググった結果なので私の選択ではありません。
>>一般に論理的思考(左脳派)の対極は直感的思考(右脳派)と分類されますね。
どちらかが優れているとか劣っているという事はありません。
「どちらかが優れているとか劣っている」とか私は書いていません。
>> seno01 さん
>>時には論理的ある時は非論理的。時と場合によります。人間ですから。
では「どちらでもない」でいいんじゃないでしょうか?
「あなたは自分が論理的、非論理的どちらだと思いますか?」と質問しているので。
どちらかに傾いている場合と程度は「かなり」と「やや」で表現しています。
ちなみに私は自分の事を「かなり論理的だ」と思ってます。
もちろん「非論理的な部分」もありますが、その部分を減らしていくことが人間として成長できるとも考えています。
>> うまちゃん@平常運転 さん
>>論理的な思考をしようと心掛けている。選択肢にない…。
では「どちらでもない」でいいのでは?
「どちらでもない」が論理的50%、非論理的50%だと仮定しましょう。
どちらかに傾いている場合、例えば60%40%だと「やや」
80%20%だと「かなり」とかその程度の判断は個人の主観でいいのでは?
曖昧なことを聞いてる自覚はあるので、難しく考えなくて良いかと。
論理的な意見の例
「AだからBすべき」
「Cだ、その理由はDだ」
非論理的な意見の例
「Aすべきだ」
「Bだ、理由も根拠もない」
非論理的な意見は幼稚に感じます。
もちろん私にも「非論理的な部分」が一部ありますが、その部分を減らしていくことが人間として成長できると考えています。
>> kaji さん
>「非論理的な部分」が一部ありますが、その部分を減らしていくことが人間として成長できると考えています。私も若い頃はそんな風に考えていましたが、今は直観力が研ぎ澄まされて行く事が、人として成長するという事だと思いますねー
ちなみに私も、あらゆる診断テスト類で、論理指向と出るタイプです。
>> さと さん
>>直観力が研ぎ澄まされて行く事が、人として成長するという事直観力は、知識や経験に基づき、感覚的に物事を捉える能力です。
論理的思考力も知識や経験に基づき考える能力ですから共通点があります。
「知識や経験が増える」つまり勉強をいつまでも続ける事が人として成長する、という事かもしれませんね。
私自身は、論理的でありたいと思いますが、
実践できているか自信がありません。
>> さと さん
>>直観力ぶっちゃけ「思いつき」とどう違うんでしょう?
「Aだ、根拠ないけど」では非論理的そのものですが・・
>> chirico さん
>>この設問方法は非論理的だと思います。「自分ではどう思っているか?」という部分を質問しているので難しく考えなくていいのでは?
>>私自身は、論理的でありたいと思います。
そうなんですね。
マイネ王での私の経験上、大半の人は「非論理的」ですけどね。
ほとんどが「根拠のないお気持ち発表」か「感想」
「Aだ、その根拠はBだ」なんて論理的な話し方をする人にあまり遭遇したことがありません。
アンケート結果とかなりズレてるので違和感があります。
この掲示板で「私は非論理的だな」と感じた人が「私は論理的だ」とウソをついているか。
あるいは「アンケートに回答せず見て見ぬふり」なのだろうと推測します。
「自分で自分を非論理的だ」と考えるのはかなり不愉快ですからね。
>> kaji さん
例えば、ボールが飛んできて、上手くキャッチしたり、上手く当たらないように避けたり、そういうのって、根拠説明できますか?もちろん根拠は頑張れば捻出できるんでしょうけど、根拠を説明する必要あるかって事ですよ。
>> さと さん
>>例えば、ボールが飛んできて、上手くキャッチしたり、上手く当たらないように避けたり、そういうのって、根拠説明できますか?例え話がよくわかりませんが・・
会話や議論を指しているなら、日本人は言葉のキャッチボールが下手だと感じます。
会話や議論の教育を受けていませんからね。
だから上手くボールを投げれない、キャッチできない。
個人の知識量にも差があるし、非対面で都合が悪いことやわからない事からダンマリで逃げる。
上手くボールを避けるわけだ。
日本の教育って「みんなで決めたルールを守ろう」なんですよね。
「みんなで話し合ってルールを改善していこう」という民主主義の基本がわかってない。
だから議論はすぐに喧嘩腰になって炎上する、それを見てさらに議論を避けるので、みんなが議論できる力を失っていく・・
民主主義にとって危険な傾向だと懸念しています。
>> kaji さん
>例え話がよくわかりませんが・・>会話や議論を指しているなら、
会話の話ではなく、運動の話をしていました。
運動の練習を積んで、運動が上手くなって、例えば変化球でもキャッチできるようになる、みたいな技能のアップについて、論理的に説明出来る事は大して重要ではありません。
いくら運動能力を論理的に説明できたとしても、技能が実践できなければ、机上の空論でしかありません。
逆に、技能が実践さえできれば、論理的に説明出来なくても、問題ありません。
論理的である事が必ずしも「良い」とは言えない例として、キャッチボールの例をあげました。それ以外にも、論理的でないとダメとか説明できないからダメとか、一概に言えない事が世の中には多数あります。
kaji さんが論理的であることを目指すのは自由ですけれど、非論理的な事を良くないと決めつける事は偏った一つの見方でしかありません。
非論理的な事を良しとする考え方もあります。
>> さと さん
>>非論理的な事を良くないと決めつける事は偏った一つの見方でしかありません。非論理的な事を良しとする考え方もあります。
人は基本的に非論理的ですが・・
非論理的な考え方は周囲の理解を得られず多数意見になれないので民主主義国家、法治国家に馴染みません。
孤立しがち。
また感情的で非現実的なので「問題解決」にも向きません。
非論理的な人間の目的は「スカッとする、気分がいい」だからです。
問題はそのまま放置されます。
「法に定められているから〜しよう」
「法で禁止されているから〜しない」
これが論理的な人間です。
非論理的な人間は「法律なんて机上の紙切れに過ぎない。感情的に行動すれば、法的に説明出来なくても、問題ありません」と考えるわけです。
つまり犯罪者。
民主国家、法治国家の人間としては危険だと思います。
論法で働くものじゃない。
夏目漱石著「坊っちゃん」より