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精神科的グレーゾーン

己自身が変だとの自覚はある。

40歳代から複数のカウンセリング受けたり、
大学病院精神科や精神科クリニック受診したりしている。

しかし異常ではないとのこと。
グレーゾーンなんだな。

①生来のASD(自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群)的傾向。
②両親の育児放棄が原因の微妙な不安障害。

この二つだとは思うが、決め手に欠ける。

弱点は意識せずに対応できてきた。
これが社会生活が送れた理由だと思うが、
それゆえに確定診断とならず。

社会常識が身に付かない不思議さとか
欠点は多いが、気にしていたら生きて行けない。
割り切りというか居直りというか、
まあそうやって生きて来られた。

しかし老化で対応力が落ちてきている。
感性が鈍くなってきたのかも知れぬ。

それでも生きて行かねばならぬ、
かなり面倒だが。

面倒で生きるの放棄したい時もある。


4 件のコメント
1 - 4 / 4
鬱病になって辛かったのは、家族の理解がなかったことでした。
そのせいで、今も母のことは嫌いです。
逃げるように結婚し、夫は理解ある人で本当にラッキーでした。
夫と巡り会えたことで、希死念慮と戦いながらも生きてこられました。
伊勢爺い
伊勢爺いさん・投稿者
Gマスター

>> mikecat さん

結婚中にウツ病診断された。
妻からは信仰が薄いからウツ病になったと言われ、
休職中も朝日を浴びろと叩き起こされ辛かった。

仕事のストレスで発症したと思っていたが、
膠原病入院中に病棟主治医から
離婚したからウツ病が治ったと言われた。

仕事ではなく妻が原因だったとは💦

>> 伊勢爺い さん

信仰が薄いとは、辛いですね。
お互い、無理せず、のんびり生きましょう。
書くと長くなりますが…ご容赦ください。
ーーーーー
ある日突然「電車に乗って目が回った」のがその後の通院の始まりでしたねえ~。

※通勤でもないのに東海道線で横浜方面へ移動したら…
 (当時は勤務先が横浜だった…)

それから何とかなるまで時間は掛かりました。
主治医には「まあこれだけフラッシュバックすると、かなりの確率で今後も不定期に出てくるから
その時は『死ぬまで SSRIが必要』だよ」と言われたことも鮮明に覚えています。

※むろん、薬も色々変えましたけどね。
 →副作用で異常行動出てしまう可能性があるものとか
  日常生活上、支障が出かねないものとか…

でも最終的には「なんだかいつの間にか発現しなくなってきたなあ~(遠い目)」になって
今は緩解してるみたいです。(お薬なんぞ何年お世話になってないのやら?)
 →一応5年は発現しなけりゃ緩解扱いらしいですけど…。

 ※当時よりもかなりめっちゃくちゃな状況で今はお仕事してますけど
  何とかなってるのは
   ・業界は同じでも職務が変わった (to Consumerではなくなった)
   ・「通勤」という無駄な時間を過ごす必要がなくなった
   ・業務を自分で管理、制御できるようになった→でもその分、負担はデカい。
  からだと思います。
  →一時は「終電で帰って自宅到着 26:00頃→朝は仕業に合わせて06:99台には自宅を出る」
   の連続でした。
   まともに眠れないし、そりゃ精神的におかしくなりますよ。
   (仕事持ち帰れないけどわんさか溜まっていくので、何とかしないと…みたいなw)

ま、現在の日本社会は『誰かに不都合押し付けても金は出さない』が半ば常識になってるので、
それこそ「昔からやりがい搾取してたよね?」なんだと思います。
優秀な人間が海外なり外資系へ行くのも当然でしょうね。
なので「弱い立場に置かれる人間に負荷が発生→病んでしまう」んでしょう。
 →外資などはある日突然クビを宣告されますので
  自分の仕事がどれだけ対顧客だけでなく
  自チームなり自社へ利益をもたらすのか?を
  常に証明しないと駄目ですけどね…(世知辛い)
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