副鼻腔炎手術 ①
前回の続きである(最初の10行は前回と重複している)。
https://king.mineo.jp/reports/295458
6年前に大腸がんの手術をしたがそれ以降毎年人間ドックを受けている。
4年前の検査ではCTスキャンを行ったが頭部の読影所見に「両側副鼻腔炎を認める」と明記されていた。
70代に入って残りの人生を考えると手術のことにも真剣に向き合う必要があると思い、いろいろ調べてみた。
手術は内視鏡を使って行い以前のように骨や皮膚を切り裂く事はない、民間の病院では日帰りでの手術もあるようだ。
日帰りといってもその後頻繁に行かなければならないようで体験記をいくつか読んだが仕事を持っていて休みの取れない人のための方法のようである。
私は時間はたっぷりとあるので何日か入院して確実に治すことにした。
手術は前回利用した徒歩圏内にある市立大学医学部付属病院と決めたが、今は直接行けなくて先ず町医者で診てもらいそこで発行する紹介状を持って大学病院に行くことになっている。
手術の正当性をアピールするためには事前にCT画像があった方がいいと思いその設備のある病院を探したら大学病院の目の前にあった。
一手間余計にかかるが仕方ない。
8月5日に診察を受けた。
内視鏡を入れてちょっと見ただけで「これは手術ですな。CT撮りましょう」と言われその日は薬を貰って帰った。
本当はその日に紹介状を書いて欲しかったのだが初日にいきなり書いてくれとも言えなくて黙っていたのだが医師も手術と言っているのだから直ぐに書いてくれないことはないと思い翌日行って紹介状を書いてもらった。
土日と振替休日があったので大学病院に行ったのは8月10日である。
10日の朝受付で初診か再診か訊かれたので30年程前に来たことがあると言ったら記録を調べてくれて前回来たのは平成6年であったことが判明した。
年月が離れ過ぎているため初診扱いとなった。
紹介状で凡その症状は分かるがそれを鵜吞みにする訳にもいかないので改めて診断し、患部の組織を切り取り生体検査に回すこととなった。
結果が分かるのは一週間後で手術の日時はその時決めるが現状では一ヶ月後位になるとのことである。
8月18日に結果を聞きに行った。
病名や症状は予想していた通りのものであった。
その後で「明後日入院予定の方がコロナの濃厚接触者と判定されキャンセルとなったがどうされますか?」と訊いてきた。
余りにも急なことで一瞬迷ったが一ヶ月後もどうなるのかも分からないし早くできるのならその方が良いと思い承諾した。
午後に血液、尿、痰の検査があった。
翌日には麻酔科の術前診察と入院前のオリエンテーションを受けた。
ここの病院は手術日が火曜日と金曜日でその2日前に入院と決まっている。
金曜日手術の場合2日前の水曜日に入院であるが火曜日手術の場合2日前は日曜日で事務手続きができないため前の週の金曜日に入院しなければならず2日間無駄に過ごすことになる。
しかし快適な環境で病院食という理想的な食事を摂れ規則正しい生活を送れると良い方に考えると我慢できないこともない。
入院の案内という小冊子を貰いそれに従い持ち込み品を用意した。
殆ど普段使いのもので事足りたが
履物についてはスリッパやサンダルはダメで「かかとの覆われた紐で結ばない履物」(靴)と特記してあったので学校で使う上履きを購入した。
ねまき、パジャマは持ってないが買っても普段着る習慣はないので地味で薄手のシャツ、ズボンで代用することにした。
8月20日午前中に入院。
この日はコロナのPCR検査、レントゲン検査だけで終わり。
食事は昼食から出た。
食事制限のある病気ではないため普通の食事であるが塩分が控えめであったのでそれを予想して隠し持っていた塩をこっそりかけて食べた。
文字通り隠し味である。
21,22日は読書。
こういう時でなければ読むことのない『抱朴子』という中国の古典である。
儒教道教を基本としているが仙人になる修行法、錬金術の方法、不老長寿の薬の製造法を具体的な材料名や薬品名など上げてやる前や成就した後の儀式等についても事細かく記載してある。
古典としては珍しく面白い内容で暇つぶしにはもってこいの本である。
8月23日(手術前日)
午前中に手術に向けての説明手術同意書の確認があり腕にネームバンドを巻く。
これは退院時まで付けっ放しである。
手術時に着用するT字帯とガーゼを抜いた後に使用する鼻うがい用の容器を地下のコンビニで購入する。
T字帯とは120cm程の細紐の中央部に30x100cm程のさらしを縫い付けたもので要するに越中ふんどしのことである。
私の父世代では普通に常用されていたがいつの頃からか見なくなったものであるが医学界ではまだ需要があるようだ。
鼻うがい用の容器については後述する。
手術は朝一番の8:30からで朝昼の食事はなし水分は5:30までは飲むことができるのでその時間に起こしに来るという。
8月24日(手術当日)
早朝に起こされる。
それほど喉は乾いていないが少し水を飲んで又時間までまどろむ。
8時過ぎにT時帯と手術着に着替え待機。
8:25頃看護師に付き添われ歩いて手術室に向かう。
朝一の手術は同じ時間に始まるので10人ほどの患者と付き添い、麻酔や手術の関係者で待合室は大混雑である。
時間になり手術室へ入る。
手術台に横たわると手術着のボタンをあちこち外され胴体に心電図の電極。
足には血栓やむくみ予防の弾性ストッキング。
指には酸素濃度計。
顔には酸素マスク。
手の甲には点滴用の針。
麻酔が効いてから喉にチューブ。
いろんなものが付着する。
麻酔薬が投与され手術が始まり意識が戻ったのは14:00頃であった。
手術室から部屋まで右へ左へと細かく曲がるので吐き気がしたが部屋に入ると落ち着いてきた。
尿道管が挿入されているのが分かり抜く時痛いだろうなと思った。
医師がやってきて手術は成功したと伝えてくれた。
看護師がやってきて体調に変化がないか訊いてくる。
一緒に30m程歩きトイレも一人で行けそうなので尿道管を抜いてもらう。
痛みは殆どなかった。
患部の痛みもないではないが我慢できる範囲内のものであった。
出血への対応は結構煩わしかった。
鼻に詰めている綿球は血が滲んできて滴るようになる前に交換しなければならない。
口に流れてくる血は飲み込まず全て吐き出さねばならない。
この日の夜は寝る暇もなかった。
(以下続く)


13歳の時にリウマチ熱発症。
開業医が腎盂腎炎と誤診し、
市立病院入院しての扁桃腺摘出手術となった。
私は膠原病ですが、それ以外の手術はないです。
病もないと言っても良いぐらい。
他の事で前後から開腹手術して摘出しなければ死にますと説得されたが、大手術と全身麻酔が嫌でこのまま死にますと拒否。
当時は生きてる事に嫌気がさしていましたし。
奇跡的に身体が体外排出して
死なずに済みましたが。
一病息災で元気です。
>> 伊勢爺い さん
色々体験されたのですね。今が元気であれば上々と言えます。
私は後期高齢者になりそれなりにガタが来つつあるのでうまく付き合っていくつもりです。
コメントありがとうございました。