ラマダン
エジプト旅行の全行程がラマダンの時期であった。
ラマダンとはイスラム歴の9月の呼名であり断食の意味はない。
日本の旧月名の睦月や如月と同じようなものである。
イスラム教では9月を断食月と義務付けているので「ラマダン(月)に断食をする」というのが正しい。
ラマダン中は日の出から日没まで飲食はできないが社会生活は維持されるので昼間の喧騒はラマダン以外の時と変わりはない。
各家庭でも食事の準備はしていると思うが旅行者が目に出来るのは道路に並んだ長いテーブルに置かれた食物を前にして行儀よく待っている人々の姿である。
商店の前に絨毯を敷いて鍋や大皿に盛った料理を囲んで待っている人々もいる。
街中に響き渡る日没のアザーンの声を合図に皆一斉に食事を始める。
この時間になるとさすがのカイロも静まり返っている。
宴の後人々は街に繰り出す
食事中に移動しているのは旅行者だけのようである。
あちらこちらから一緒に食べようと誘いの声が掛かるがボッタクリの土産物屋の誘いには何か魂胆がありそうで乗りたくはない(実際は敬虔なイスラム教徒として喜捨の精神を純粋に実践しようとしているのかもしれないが)。
私は食事が済んだらすぐにホテルに帰っていたが地元民は街に出て食べ直したりダンスに興じたり買い物に行ったりと街の賑わいはこれからが本番であった。
夜半まで大人に混じって子供たちのはしゃぐ声も聞こえていた。
列車に乗っている時に日没を迎えることもある。
列車では格段に合図がある訳ではないが時計やラジオ放送で知るのか乗客は一斉に食事を摂り始める。
相席の老夫婦は数個のタッパーに野菜や肉を料理したものやドライフルーツや小さなお菓子が詰めたものを持参していて私にもお裾分けしてくれた。
このような場合は素直に頂くのが礼儀であろうと喜んでいただいた。
ある日近道しようとして道を間違い官庁街みたいな所に迷い込んだ。
議事堂みたいな大きな建物の階段を数段登った所にちょっとした広場がありそこに黒ずくめの服を着た数人の男性がいたので道を訊こうと登って行った。
男性達は食事の最中であった。
横に自動小銃が置いてあったのを見ると建物の警護兵と思われた。
道を訊くより先に一緒に食べて行けと言われ軍人なら大丈夫だろうと思い座に加わった。
大鍋数個の大量の料理であったので帰って夕食を食べなくても良い位食べた。
食後紫色をした飲み物を振舞われた。
一瞬ワインかなと思ったが当り前だがグレープジュースであった。
その後道を訊いてホテルに無事帰ることが出来た。
カイロで数日過ごした後アレキサンドリアに行こうとバス乗り場に行った。
ナイル川はカイロで幾筋かの派川に分かれ大きな扇状地を作りながら地中海に流れていく。
アレキサンドリアは扇状地の西端で東端はスエズ運河のあるポートサイドである。
これら3都市を結ぶと巨大な3角形になる。
バス乗り場には10数人乗れるマイクロバスの他、乗り合いタクシーもあった。
タクシーの運転手は「アレキサンドリア」の「リ」にアクセントを付けて連呼して客引きをしている。
タクシーはベンツの乗用車である。
偶には贅沢しようと乗った。
例によって満車にならなければ出発しないが10分程で揃い出発した。
距離は約230km、所要時間は高速道路経由で2時間30分である。
途中で休憩があって車を降りたが周りは畑や樹木の生えた田園地帯で砂漠の面影は全くない。
アレクサンドリアでは円弧を描く湾岸通りに面したホテルに泊まった。
4階の部屋でベッドに寝そべっていても湾の突端にあるカイトベイの要塞が望見できる。
塩の香がして湿度が高い。
街中のレストランや食堂は昼間は店を閉めている所が多かった。
日が暮れて食事に行ったが食べ終えてレストランを出るころから街は賑やかになるようであった。
翌日カイトベイ要塞とアレキサンドリア国立博物館に行った。
カイトベイ要塞には市電に乗って行った。
古代世界の7不思議の一つアレクサンドリアの大灯台が14世紀の地震で崩壊し、その石材を利用して同じ場所に建てられたものである。
内部は複雑な部屋割りで武器や武具を陳列してある部屋もあった。
博物館は旧アメリカ領事館を利用したものでそれほど大きくはないが要所要所に的確な遺物が展示されていてエジプト国内だけでなくギリシャ、ローマ、オスマントルコとの地中海交易が盛んであったことが伺えた。
カイトベイ要塞と国立博物館
アレクサンドリアでの主目的はロゼッタストーンを見ることであったが地図にはロゼッタという地名が無い。
ホテルで訊くとエジプトではラシートと言うらしい。
そこに行くバス乗り場を教えてもらい相乗りのマイクロバスに乗って行った。
アレクサンドリアから東へ約50km行った所にある小さな街で中をナイル川(の本流?)が流れている。
博物館はオスマントルコ時代の商人の館を利用したものでナポレオンが来た頃の武器とか日用使いの調度品とか展示してあるだけで大したものはない。
目玉のロゼッタストーンにしてもレプリカであり何だかなぁという気持ちになったがアスワン地方の石材が遥か下流のロゼッタで要塞の建築資材として使われ偶々碑文が目に留まりヒエログリフの解明に大きく役立ったことを考えるとロゼッタストーンの発見地を目の当りにしたことには感慨深いものがあった。
ラシートも昼間は食堂とか閉まっていて昼食抜きであった。
私の日本での日常は朝食を取った後は夕食まで摂らないので年中ラマダン状態と同じであるからそれほど苦にはならなかった。







https://www.dar-alifta.org/en/fatwa/details/8381/fasting-for-those-working-in-strenuous-jobs
↑病気の人や体の弱い人は例外が認められている。熱い中頑張っている農業従事者も食べていいってどこかで読んだ。知らない人もいらっしゃるかも。TEDのビデオを見てきたけど、こちらはまだ見てない。
ニュースによるとエジプトはハマスとイスラエルの停戦交渉を行っている最中のようですね。あと、overtourismのことも考えさせられる。
>> 退会済みメンバー さん
コメントありがとうございます。今回の投稿は20年程前訪問した際のものです(私の旅行記は全て平成前半のものです)
ラマダン時の断食除外者についてはコーランの第2章184、185節に明記されています。
http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran002-3.htm
他に、高齢者、乳幼児や妊婦、授乳中の母親、重労働者、健康リスクのある人、戦場の兵士等も免除されているようです。
これらはコーラン2章256節が根拠となっているようです。
http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran002-5.htm
>> hijiake さん
コーランの説明、ありがとうございます。日本語にすると、読みにくいですね。英訳より印象がきついです。私も、もう少し調べた所、断食はQuran Surah Al-Baqarah 183-185, 187で説明されている。
Suran: チャプター
Al-Baqarah: "The Heifer"(子供を生んでないメスの牛) or "The Cow")
184と185、内容がダブってますね。アッラーを信じる者が解釈して、ルールにしたがえていれば良いということでしょう。
すみません。イギリス、エジプト、断食つながりでちょっと、社会問題にも触れさせていただきます。
(気に障るようでしたら、削除してください。)
>> 退会済みメンバー さん
再度のコメントありがとうございます。言語については中島敦『名人伝』を曲解して悲惨を極めています。
ご提示の動画が諸賢の眼に触れられることを願っています。