[原文] “One man’s justice is another’s injustice; one man’s beauty another’s ugliness; one man’s wisdom another’s folly; as one beholds the same objects from a higher point of view. One man thinks justice consists in paying debts, and has no measure in his abhorrence of another who is very remiss in this duty and makes the creditor wait tediously.” ― Ralph Waldo Emerson, Self-Reliance and Other Essays
そして、相手に問題があると思われる場合には Tak(ing) the high road という表現がよく使われる。 自分のモラルの判断でベストだと思う行動をとる、そんな意味です。
数学みたいに一つの答えがないのが、現実社会。
そういう人とは距離を置くようにしてます。
その社会における権威や権力がモノを言いますが、世界的にこの風潮が強まっている雰囲気がありますね。
日本人も平和ボケを早く改めたほうが良い、自分たちにとって重要あるいは必要な人やものを安易に貶めていることに気づかないと大変なことになる。
先日の野球のプレミア12で日本は決勝で負けましたが、負けてからあれこれ言っても負け惜しみにしかならないので、そのことについて今さらあれこれ言う気はない。
ただし、決勝戦の前の試合でルール破りの先発変更を認めた行動について日本人は今一度真剣に考える必要がある。
この行為について勝った側や反日感情の強い韓国などではルールを守って罰金を払って払ったんだから問題ないと思っている。
ルールを守ったなら罰金ではない、ルールを破ったから罰金です。
仮に「相手をケガさせてはいけない」というルールがあり、「ルールを破れば退場」と決まっていたとする。
決勝前の試合で次の試合のために「わざと相手を怪我をさせて」も退場すれば済む、それをルールを守ったと言い張るど根性。
現場では、そういう環境で戦わねばならない。
私自身の一生を通じての人生訓です。
ここマイネ王がそうならないことを願うばかりですね。
>「正義」を振りかざす人達
これは言い換えれば、モラル、倫理観、道徳を押し付ける行動を指す。
>正義の名のもとに、自分こそが正しいと錯覚する人達
俺はその漢字がまず間違いの元につながると思う。英語のJusticeは何かなって考える際に、西洋ではfairness(公平さと平等)が一番に上がると思う。Righteousness(宗教上のモラルコード)もその正義にあたる。
宗教的な面を見ない人も多い日本では、育ち、社会で周りが従っているルールであるとか、組織における規則、そして法律、まあ何かしらその正義の根底になるものはあるはず。
「...な人達」で終わらせてると、理解・説明不足。
自分の判断が正しいと思うこと事態に問題はない。考えるだけ考えて、100%正しいって言いきってもいい。相手のやり方次第でその言った人が考え直す余裕のある人であれば尚更良い。「正義の名のもとに」正しい、、議論の展開次第です。ただの循環論法かもしれないし。でも、西洋で言う一般的な正しいことは「公理的」なルールとして認識されていると言える。
錯覚 (illusion):刺激がその客観的性質と異なるかたちで認識された知覚である。
↑客観的に分析するなり、価値判断、正誤判断を放棄してるような表現にとられます。
>真実は一つしかないと、勘違いしている人達
ある程度、言ってることに一貫性(coherence)なり統一性がないと、生物学の性別を否定することになったり、混乱を引き起こす事にも成り得る。真実は、哲学から言えば「理論」がいくつか提唱されています。真実もある意味、絶対的な心理と捉える人も多くいて当然。勘違いは裏を返せば「誰かさんの」理解が足りないか、説明する方が上手くできていないか。
>偏った見方しかできない人達
それを観測している人の視点、斜めからの見かたとかの比較になりそう。辞書によると、バランスに欠けている、客観性がないなどの意味もある。俺はそれを提供して反応を伺う。
損得? I live to gain wisdom with MY life. ゼロサムゲームでもない話。
マスコミの報道はA=絶対悪というものが多い。善悪二元論も気をつけたい。
「ある人にとっての正義は、別の人にとっては不正義。ある人の美しさは、別の人の醜さ。ある人の知恵も別の人の愚かさ。それは同じオブジェクトをより高い視点から見ているからです。ある人は正義とは借金を支払うことにあると考えているが、この義務を非常に怠り、債権者をうんざりさせて待たせる別の人を憎む気持ちは計り知れない。」
注釈)同じオブジェクト → 抽象化された対象となる考え
[原文]
“One man’s justice is another’s injustice; one man’s beauty another’s ugliness; one man’s wisdom another’s folly; as one beholds the same objects from a higher point of view. One man thinks justice consists in paying debts, and has no measure in his abhorrence of another who is very remiss in this duty and makes the creditor wait tediously.”
― Ralph Waldo Emerson, Self-Reliance and Other Essays
そして、相手に問題があると思われる場合には
Tak(ing) the high road という表現がよく使われる。
自分のモラルの判断でベストだと思う行動をとる、そんな意味です。
答えが複数あるのに「一つしかない」といえば、モメるだろうし、
答えが一つしかないのに「複数ある」といっても、モメるんじゃない?
というか、一旦、モメてみないと、答えがいくつかあるのかも分からないので、モメるのが悪いとも言えないし。
正義みたいな話は時々、マイネ王で見かけるテーマの一つだけど、難しくも面白い題材です。
それと、
「得をする人は誰なのか
損をする人は誰なのか」
っていう経済感覚、損得勘定は面白い視点なので、そこも気になります〜。
>> 任仁空 さん
むしろマイネ王国に多い(「個人の感想です」)
適当な理由で55%の人が得をし45%の人が損をする案について投票をする。
得をする人が儲かるからと50%の人が賛成し、損をする45%の人はこんなバカバカしい投票なんか相手に出来るかとほとんど棄権し5%の人が反対。
出てくる結果は50:5、賛成率91%で賛成派の圧倒的勝利。
茶番劇でも結果はそうなる。