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日本TVドラマ「光る君へ」視聴者のためのフリートークの掲示板です。ゆったりのんびり、楽しいお話が出来るといいなぁと思います。2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。トークにネタバレが含まれますので、未視聴の方はご注意ください。
>> crypter さん
>> 則巻せんべい さん
メンバーがいません。
ついに頼通とか出てきて、これから平等院を作るのかと思うと感慨深い。
今までは道長が得意満面に詠んだ歌とされてきましたが、今はこれまでとは異なる「望月の歌」の新解釈が発表されているようですね(^^)
来週は、刀伊の入寇がドラマでどう描かれるのか楽しみです。
>> crypter さん
ホントですね~、同時代ということを意識してなかったのプラス、交流することも全然意識してなかったので、あの時代の有名人同士が、喋ったりのシーンはワクワクします。赤染衛門が女房たちの後ろの方から(紫式部を)じっと(観察して)見ていたり、和泉式部が場を華やかにしたり、清少納言が(この場は私が歌を詠むような場ではないと)見栄を切ったり、史実に基づいてたり、楽しいです。
愛妻家の頼通もいいですね~。
道長の晩年の隠遁地が(これは自信なし情報ですが)ゆくゆく平等院になったような気がします。
>> 則巻せんべい さん
「望月の歌」の新解釈があるんですね!自分は知らなくて、(この歌って)自慢・傲慢なので、みんなシラケるんじゃなかったかなと、よく分かりませんでした。
(あの実資なら、イヤミでも言うかな、と思ってました)
刀伊の入寇!確か、あの人(ちむどんどんの駄目兄やん役の)が活躍ですね。
「望月の歌」の新解釈についてです(^^)
【従来の解釈】
従来は「この世をば我が世とぞ思ふ」という冒頭の句から、道長が権勢を誇り、天下を我が物としたかのような、傲慢な歌と解釈されてきました。つまり、満月のように欠けることのないほどの栄華を誇っている、という解釈です。
【新たな解釈】
しかし、近年ではこの歌に対する新たな解釈が注目されています。ドラマ『光る君へ』でも取り上げられたように、この歌は単なる権勢の誇示ではなく、道長の複雑な心情や周囲との関係性を反映しているのではないか、という見方が出てきました。
【新たな解釈の根拠】
道長の置かれた状況: 道長は、権力闘争の激しい中で、常に不安を抱えながら生きていました。この歌は、その不安を払拭しようとするような、一種の自己暗示的な側面も持っていると考えられます。
周囲との関係性: 道長の娘たちが皇后となり、一族が栄華を極めたことを喜ぶ一方で、道長は家族や部下への感謝の気持ちも抱いていたと考えられます。「望月の歌」は、そうした複雑な感情の表れである可能性があります。
「月」の象徴: 当時、「月」はしばしば天皇の后の象徴とされていました。道長の娘たちが皇后となったことを、満月に見立てて表現しているという解釈も可能です。
>> 則巻せんべい さん
丁寧な解説を有り難う御座います!😃従来説に自分は染まってしまってましたが、なるほどです。こちらの方が、一面的でなく、人間性もうかがえて、想像が豊かに拡がるように感じます。
山本淳子「道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか」 (朝日選書1039) 朝日新聞出版 2023年。
p-258〜262: にありました。
TVを視てるので、すごく面白かったです。
ドラマの進行に合わせて解説してくれているので分かりやすいかと思います(^^)
よければ見てみてください(^^)/