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もう負けてくれ…と願った高校野球(後編)

前編
https://king.mineo.jp/reports/282685

(以下、前回からの続きです。)


下宿主から運動部に入ることを禁じられた僕は、目眩がするくらいショックを受けて…しばらくは部活について考えられず、自ずと帰宅部になってしまった。

しかし、放課後の時間がもったいないので、入学してから知り合った同級生の紹介で、地元の新聞配達を始めた。(うろ覚えだが…進学校でもないし新聞配達くらいなら、バイト申請も不要だった気がする)

それと、中学からパソコンを所持していたので、パソコンを持っている連中と仲良くなったり、市内のパソコン屋に入り浸たるようになった。
そういったムーブの結果、同級生からはオタク認定され…さらに無線の世界に足を踏み入れた結果…クラスのみならず学年全体から「危険なオタク」と誤解されるまでに昇格?するのだが…割愛。


(以下、高校野球の話に戻る)

高校野球予選の数週間前だっただろうか…ホームルームで応援団メンバーを選ぶ事になった。
自ら志願する者は皆無で、投票になった…その結果、僕が選ばれてしまった。

部活に入ってない、しかも学校から近い下宿に住んでいる…そこら辺が決め手になったのだろう。(詳細は思い出せないが…)

メチャクチャ腹が立った事だけは憶えている。「好きで帰宅部やってんじゃねぇんだよ!」って…


放課後、屋上で何日間か応援の練習をした。ダサい緑のトレーナーを着て、ハチマキして…

同じクラスから他にも選ばれていたばずだが、もう誰だったかすら、思い出せないでいる…


そして試合当日。よく晴れていて暑かった。
他の生徒は座って応援だが…応援団の僕らはもちろん、ずっと立って応援である。辛かった。

唯一ありがたかったのは、応援団員にはレモンのハチミツ漬けとレモン水が支給されたこと。野球部のマネージャーが作ってくれてたんだろう。あれには感謝した。

母校野球部は、かつてはプロ野球選手も輩出しており、巨人に入団した先輩もいたと聞いていたが…僕が高校生の頃には弱体しており、1回戦突破すら怪しい感じだった。

なのに!!勝っちゃった…それも、けっこう余裕で…
「アレ!?ヤバくね…」と思った。このまま勝ち続けたら、夏休みにまで影響が…下宿生なんだから、これはマズいぞ…

「ええ?勝った!?じゃあ、次の日曜もご飯作らないといけないの?次も勝ったら、夏休みになっちゃうじゃない!いつまで勝つのよ?」

前回の冒頭、下宿主の言葉はここで飛び出したわけである。

しかし…預かってる生徒の学校の野球部が勝って、こんなに露骨に嫌がるってどうなのよ!?
そりゃ、「運動部には入らないでくれ」とか平気で言ってくるはずだわ…


次の試合では「もう、いいだろ…負けてくれ」と、ひたすら念じながら応援した。

座って応援の生徒達にも、もう面倒くさそうな雰囲気が漂っていた。

野球部が物凄い練習しているのは知っているから…少し、気の毒な気もした。
だが、勝ってもらったら再び下宿主の愚痴を聞かされることは不可避。(理不尽すぎる世界)


結局、2回戦敗退で終わった。
けっこう良い試合だったような気がするが…記憶に強烈なフィルターがかかっているような感じで…もう、鮮明には思い出せない。


入学時の下宿での悲劇から…応援団員に選ばれてしまい…また下宿主の嫌な部分を見せられた一連の苦い思い出

急に運動部やめた反動なのか、高校3年間で10㌢以上も身長が伸びてしまったこと(170〜175㌢くらいで止まってほしかった)

体育のソフトボール試合中にムキになって激走してきた運動部のバカに激突(完全に守備妨害)されて、以後の人生で膝に爆弾抱える事になったこと…
(医者によると急激に身長伸びたのが要因の一つだと…つまり運動部できなかった不運がここでも出てきた)

不運にも、これらが重なったことで僕は、スポーツは見るのも嫌いになってしまった。
関東に出てきて、クラブ活動(意味が違うw)はしていたけどね…(そしてDJになり「本当の青春」を味わった)


なお、小中高と同級生で同じ下宿に入った友達は…美術部に入り、漫画家を目指す仲間が出来て、スクリーントーンとかペンとか揃えて漫画の投稿もしていた。
彼は、たぶん今は電柱に登ってる。
彼の漫画仲間で、かわぐ○かいじのアシになったヤツがいるとか、風の噂で聞いた。

あと、前回は書きそびれたが、彼とは中学の時に卓球でダブルスを組んでいた。


それと前回、「中学では思う存分にプレイできなかった」という旨の事を書いていたが…

それは、中学の卓球部は早々と序列みたいなのを作ってしまい…強いとされてるヤツが格下と見なしているヤツとの試合で負けそうもんなら奇声上げたり、ラケットで台をガンガン叩いたりして暴れて威圧し、何が何でも勝とうとするから…

もう、大嫌いだった。特に台を叩く行為。台が凹むし、ラケットにも良くない。

そんな風潮で切磋琢磨もろくに無い部が、強くなれるはずもなく…郡の大会でも個人戦で一人のみ勝ち残っただけで、団体戦は敗退。
僕らダブルスは、決勝でデュースにまで持ち込んだが、惜しくも負けてしまった…


こうやって振り返る事で気付くのは…勝つのが当たり前みたいな態度の選手が負けて取り乱したりするのに嫌悪感を抱いてしまうのは、過去のトラウマによるものなのかもしれない。

負けず嫌いな性格だけが先行してて、熱くなってルール破るような選手も好きではない…どうしても、あのソフトボールの試合を思い出す。

でも、負けた選手にも敬意を払う、負けた悔しさをこらえて勝った選手を祝福できるような選手には好感も持てるし、応援もしたくなる。そこは普通に。


以上、数々の不運?が重なりスポーツが嫌いになってしまった悲しい男の思い出話でした。でも筋トレは大好きです!お粗末!


10 件のコメント
1 - 10 / 10
寮母が良母じゃなく諸悪の根源だったのですね😰
ハイ、人生いろいろですね。

>> 杏鹿@………………………… さん

イイ線いってると思うんですが、寮と下宿はちょっと違うと思いまーすw😮

>> 京@るー さん

Yes!! Life is full of ups and downs!!
Mt.Fuji is so beautiful.
(なんて返すべきかわからんかったんで、とりあえず英語にしてみました!🥸)
軟派な私が、蛮から、質実剛健を校風とする高校に入学したのが間違いでした。
入学してすぐ応援練習があり、応援団に校歌や応援歌(1~3くらいまであり、それぞれ1~4番くらいまであった)を歌わされたりしました。応援節なんて20番くらいまであった記憶があります。応援歌2の3番!とか言われてもいきなり出てこない。まあ、そんな高校なので、野球の県予選などは、全員応援で「お前ら、声が小さいぞ」などと言われ、応援練習から本番まで、軽くではありますが蹴られたり、殴られたりでした。
なので早く負けて欲しいのが本音でございました。
ちなみに、当時、野球は7回までが攻撃側だけが応援OKで、8,9回は両チームOK。
ラグビーは笛の音が聞こえないので、大きい音禁止で応援は楽。
一番きついのが、サッカーで、始終応援OK。
県予選の準決勝で、延長戦になったことがあり、もう詩にそうでした。
我ながら、不登校にならず、よく通いきったと思っています。
最近は私立高校の台頭で、甲子園や花園に母校は縁が無くなりましたが、
出場となり寄付をと言われても絶対出さない!
何とも思春期の青年には辛い立場だったんですね。😵

その後リアル青春時代を満喫出来たのは何よりです👍👍👍
嫌悪感の理由。
想像していたものよりも根深い過去のトラウマから来ていたのですね。
思い出したくなかったつらいこともいろいろあったかと思います。
後編のご投稿ありがとうございました。

ところで「危険なオタク」に昇格(?)したのは、やっぱり愛読書が「ラジオライフ」だったから?

>> KZ改TOUFU さん

運動部に入れなかった…という点では確かに辛かったですが…変な方向に振り切れてカオスな感じになってしまって、楽しい事もありましたよ。

ちなみに2年生になってアマチュア無線の免許を取得し、無線部に入部しました。部員は14人くらいいて、うち免許取得したのは僕だけ…つまり、僕以外は全員、幽霊部員でした🤣

一人で部を私物化してましたよw

>> mikecat さん

悲惨な高校生活だったのですね…ヤバすぎます😨
よく耐えましたね…!!

>応援節なんて20番くらいまであった記憶があります。
ヒィ〜!想像しただけで、ダル過ぎます!😣

今回の投稿のきっかけは、とある漫画家(陰キャ)があとがきで、自身の学生時代を振り返っていて、漫画描きたいのにスポーツ応援に駆り出され、「早く負けろ」と呟いてた…というエピソードを目にしたことです。
学生みんなが心を一つに…なんて、無理ですよね😞

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>> Nul さん

「危険なオタク」というワードだけで愛読書をズバリ当てないでくださいwww

「ラジオライフ」をご存知だなんて…Nulさんも只者じゃないですね…😱

怪しい「ラジオライフ」だけじゃなく「CQ」もちゃんと読んでたし、「ベーマガ」や「ムー」や「ガロ」なんかも読んでましたけどね…

つまらない高校生活だったとは思わないけど、運動部に入れなかった事で、かなりカオスな事になってしまった感は否めませんね😅
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