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昭和が終わった日

1989年1月7日はローマにいた。
朝、テルミニ駅に行くためバス停で並んでいた。
隣の人の新聞を覗いたら衣冠束帯姿等、天皇の写真が4枚見えた。
崩御されたと思い尋ねたらそうだという。
駅の新聞売り場で見たら殆どの一面に掲載されていた。
記念に1紙だけでも買おうかと思ったがデイバッグ1個の旅であるのでそれだけでも荷物になるし、入れたにしてもクシャクシャになるだけだと思い買うのは諦めた。

この日はピサに立ち寄りミラノまで行きスペイン行きの列車に乗る予定であったがミラノ駅で会ったスペイン帰りの人の情報で鉄道のストライキが頻繁で列車メインの移動は困難であるとのことで急遽行き先を替えることにした。
時刻表を見ると23時台にミュンヘン行きの列車があったのでこれに乗ることとした。

翌朝、ミュンヘンに着いた。
駅の売店に置いてある新聞で天皇崩御関連記事が目に付いたのは英国の週刊新聞紙だけであった.
ホテルで読もうと購入した。

この時のホテルは新聞と一緒に買った『ミュンヘンウォーカー』みたいなイベント情報誌に載っていたホテル一覧から探したもので住所が駅前の通りの名と同じであったので近いと思って歩いて行ったが30分近くかかった。後で地図で確認したら通りのほぼ端から端を歩いたことが分かった。
建物は普通の集合住宅で玄関にあるインターホンでホテルを呼び出すと玄関の鍵が開くというシステムで建物のワンフロアだけで営業していた。
外国の安宿は部屋が空いてさえいれば朝早くでもチェックインできるので助かる。
部屋で一息ついたところで新聞を読んだ。
女王も首相も葬儀に参列すべきでないという論調でこの新聞だけの主張なのか多くの英国人もそう思っているのか分からないが、まぁイギリスはマレー半島で随分と痛めつけられたし日本は国連ではまだ敵国だしで戦後40年では余りよろしくないと思っている人士もいるのだなと痛感した。
してみるとイタリアの新聞で大々的に報じられていたのはかつての同盟国であったからだと思われる。


4 件のコメント
1 - 4 / 4

この日は土曜日だったと思います。
この頃は朝6時半に鳴るラジオを目覚ましにしてました。
目覚ましのラジオからは天皇陛下危篤のニュースが。
このニュースを聞いて、テレビをずっとみてました。
この動画、リアルにみていました。
「天皇陛下崩御」の画面にチャイムが鳴ったことは、今でも忘れません。

当時は大学生。
この日は午後からホームセンターでアルバイトしてました。喪章を付けて仕事しました。来店されたお客様から国旗はありませんか?とよく尋ねられました。
お世話様です。
昭和が終わった日=日本衰退の緩みが始まった日カモですね~平成の失われた30数年の始り。この先、令和から世の生活安全確保はどうなることやら?
閑話休題、昭和64年1月某日のスキー場賑わっていたそうなとの記憶あります。
hijiake
hijiakeさん・投稿者
ベテラン

>> imuyan1@Mie さん

当時の詳しい状況ありがとうございます。

私は1月の中旬に帰国しましたが翌月の大喪の礼までは自粛ムードが漂っていましたね。
大喪の礼の時は松本の少年刑務所の改修工事に従事していましたが音を立てたらいけないということで当日の仕事は中止になりました。
hijiake
hijiakeさん・投稿者
ベテラン

>> アリタリア さん

天安門事件やベルリンの壁崩壊等も同年に起きていますから世界的に変革が求められていたのではないかと思います。
日本では見せ掛けの好景気が翌年に弾けましたが天皇の健康悪化による(身の程を超えた社会的経済的行為を見直すことにつながる)自粛ムードもバブル崩壊の遠因の一つであったと思います。
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