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【読み物】バトンタッチ 第二話:ドナーの想い

五話完結の第二話です。
第一話はコチラ
https://king.mineo.jp/reports/261553

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【おことわり】
このお話はフィクションです。
実在の人物や団体、社会情勢などとは一切関係ありません。
作中に医療行為等の表現が登場しますが、実在するものとの関わりは一切ありません。
医療行為に関する意見を交わす場とするつもりもありませんし、特定の思想等を広めるつもりも全くないので、そのようなコメントがあった場合は予告なく削除します。

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「雨か…」


私はひとつ溜息を吐くと、お気に入りの車に乗り込んだ。天気がいい日には屋根を全開にして、空を眺めながら出勤するのが私の密かな楽しみ。でもまあ、雨の日はキャンバス素材の屋根が聴かせてくれる雨音も楽しめなくはないから、それはそれでいいんだけど。
山を一つ越え、坂道を駆け上がる。
ちょうどその頃、雨は上がりかけていた。
もうすぐ勤務先のサナトリウムに到着という頃、私は信じられない光景を目の当たりにした。
ガードレールに突っ込んでぐしゃぐしゃになったバイク。その少し手前には人だかりが出来ている。
「どうしましたかっ!」
「さっきバイクの兄ちゃんが転んでガードレールの下に挟まっちまったんだ」
私は車から急いで降りると、人混みをかき分けた。
「そこをどいてっ。私は看護師ですから応急手当します」
そう言って屈み込んだ私に、残酷な事実が突きつけられる。
「リョウくん!」
ガードレールの下に潜り込んで、奇妙な姿勢で倒れていたのは……
紛れもなくウチのご近所さん、田村さんちの玲人(りょうと)くんだった。
「え、知り合いなの?」
「そんなことはどうでもいいから誰か早く一一九番通報を!」
バイタルを確認しながら叫ぶ。
意識はないけど脈と自発呼吸はあるみたい。でも、相当弱々しいから急がないと…
「ええ、今通りすがりの看護師さんが応急手当を…」
私は、彼のバイタルをチェックしながら一つのことに気付いた。この子、頸椎か脳に…
「その電話、ちょっと貸して」
「え?」
「いいから早く!」
私は通報中の作業員さんからスマフォをひったくると、要点だけを簡単に告げた。
「現在ガードレールの下に潜り込んだ状態ですが、ヘルメットを見ると相当な擦過痕と大きな打撃痕があります。要搬送者は恐らく、脳か頸椎に相当なダメージを受けているものと思われます」
『了解しました。いま、レスキューを手配していますから、それまでは…』
電話の向こうで落ち着いた声が聞こえる。
「わかってる。要搬送者に指一本触れさせないわよ…お願い!急いで!」
電話を切った私は、作業員さんにスマフォを手渡した。
「で、どうする?まずここから引きずり出そうか」
そう言って動きかけた作業員さんたちを、私は大声で制した。
「動かしちゃ駄目っ!」
「え、なんで?早くここから出してあげないと…」
「これだけヘルメットが破損しているから、彼は恐らく脳か首の神経をやられてる。こんな状況で無理に引きずり出したらその衝撃で死んじゃうわよ」
「じゃあ、どうしたら…」
私は暫し考えを巡らせる。
「ここにある工事の機材で、彼をここから動かさないままガードレールを撤去するなんて可能かしら?まあ、無理ならレスキューの到着を待つしかないけど」
腕章を巻いた現場監督とおぼしき作業員さんが威勢良く答える。
「今、俺たちに出来ることはそれしかねえんだろ?おい姉ちゃん、この兄ちゃんのことはあんたに任せるから、ガードレールの撤去は俺たちに任せてくれ。おい、すぐに準備しろ!」

ガードレールの撤去を待つ間、私はリョウくんの様子を見ながら勤務先に電話をかけ、応援を要請。幸いにも、現場がサナトリウムのすぐ近くだったので何人かの看護師とドクターが駆けつけてくれた。
「先生……!」
「リョウくんの具合はどないや?」
「弱々しいながらもバイタルはあります…」
でも…私は次の言葉を言えなかった。
「先生!バイタル低下しています!血圧降下!」
先生は手慣れた手つきで強心剤を注射し終えると、私に残酷な事実を告げる。
言われなくてもわかっていた一言だけど、一人の医師としての宣告。
「恐らくダメージは脳の方やな…後は専門家に任せるしかないけど、多分あかんと思うで」

やがてガードレールの撤去が終わる頃、救急隊が駆けつけた。
頭部と頸部を厳重に保護されたリョウくんは、ストレッチャーの上で微動だにしない。
「搬送はどこへ?」
「この辺りで頸椎や脳を診れるところは、県立総合病院しかありません。受入要請はしてあるので、直ちに搬送します。あと、病院で事故の状況を説明する必要があるので、どなたか事故を目撃された方に同行していただけると有り難いのですが…」
「最初に現場に駆けつけたのは俺だ」と監督さん。
「バイタルを最初に確認したのは私です」と私が答える。
「薬剤注射したのは俺やから、俺も関係者ってことになるわな」と先生。
救急隊員さんが私たちにテキパキと指示を出す。
「今から搬送します。救急車が先導しますので、あなたたちは後ろを付いてきてください。はぐれてしまわない限り、法規上は緊急車両と同じように扱われますから」

異常な緊張感と先生の体重のせいで窓が曇って外が全然見えない状況にもめげず、私は必死になって救急車を追いかけた。実際、道はそんなに混んでいなかったから順調に搬送できたんだけど…

私には、その時間が永遠のように長く感じられた。
 
「で、親御さんには連絡ついたん?」
先生がサナトリウムと経過報告や状況確認のためにスマフォで話している。いくら救急とはいえ、院内でそれはマズいんじゃないかな…
「ふんふん、わかった。ほな。辻さんにも言うとくわ」
電話を切った先生が戻ってくる。
「家に電話したらな、お母ちゃんは家におったんやけど、お父ちゃんが出先でなかなか捕まれへんかったみたいやわ。で、お父ちゃんがいっぺん家に戻ってからこっちに来るらしい」
「あ、そうでしょうね。リョウくんのお母さん、免許をお持ちでないんですよ」
「車がなかったら身動きも出来へんて、どんな田舎やねん」
「放っといて下さい!」

どれくらいの長い時間が過ぎただろう。
リョウくんのご両親が駆けつけた。
お母さんは気の毒な位に取り乱していて、とても話なんて出来る状態ではない。お父さんは、お母さんを廊下の長椅子に座らせると、私たちに深々と頭を下げた。
「このたびは、息子がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ちょうどその頃、処置室から医師が出てきた。
「先生……!」
みんなの視線を一斉に集めた彼女は、顔色一つ変えずに告げた。
「病状を説明します。ご家族はどなたですか」

お父さんの強い希望で私と先生も何故か説明の場に同席することになり、ただでさえ狭い診察室がぎゅうぎゅうになった状況下で説明は始まった。
「結論から先に申し上げます」
全員が息を呑む。こういうときって大抵良くない知らせよね。
「息子さん、田村玲人(りょうと)さんは脳死状態に陥っています」
ということは、ヘルメットの打撃痕が致命傷…
「脳内に出血が見られますので、頭蓋内にドレンを留置して血液を排出し脳圧を下げているのでバイタルは安定しています。玲人さんを脳死状態に至らしめた部位なのですが、あまりにも脳全体の損傷が酷いので特定できません。傷病名としては「びまん性軸索損傷」となります」
「どこが原発部位かもわからへんけど脳自体が細胞レベルでやられてしもうた、言うこっちゃ」
不思議そうな顔をしていた私の耳許で先生が囁く。
「で、回復の見込みは…」
取り乱した状態そのままのお母さんが呟く。
「ないと思っておいて下さい」
冷たく、事務的な感じで告げる医師に今度はお父さんが問いかける。
「二度と意識が戻らないと言うことは……このまま管に繋がれて『生かされる』か、若しくは『尊厳ある死』……どちらかということですか……まあ、こんな状況で本人の意思は確認できませんが」
「ほぼお見込みの通りです。我々としては…先ずは出来る限りの処置を行います。容体が落ち着いたら、その後のことはその時に考えましょう」
私と先生は、泣き崩れるお母さんを介抱するお父さんに黙礼すると、そっと部屋を出た。

「これからどうなるんでしょう?」
「外科的な治療をしながらやねんけど、違う医者が何回も『昏睡状態にあるかどうか』『脳波に反応がないか』『瞳孔の光反射がないか』みたいなことを執拗に調べる。で、どの医者も『脳死』やと判断して初めて法律上の『脳死状態』になる」
いつになく先生が声を潜めながら話す。
「その後はお父さんが言うてはった通りや。そういや先週、院内研修で臓器移植センターの人が講師に来てくれた時リョウくんはエラい熱心にメモ取っとったな。もしかしたら、冗談抜きで『脳死判定』されたときに何ぞひと悶着あるかもしれんぞ。俺は精神科の医者やよって、ご家族のカウンセリングとか治療とかは出来るけど、そこまで繋ぐんは辻さんしか出来へん。なあ、辻さん…ご近所さんやったら、それとのう見守って『ヤバい!』思うたらすぐに言うてくれるか」
先生は、そう言って寂しそうに笑った。

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一ヶ月後。

私と先生は何となく『嫌な予感』がしたのでリョウくんの病室を二人で訪れた。
「辻さん…それに先生…態々お越しいただきましてすみません」
お父さんが丁寧に御礼の言葉を述べる。お母さんは、ずっとリョウくんの傍に付きっきり。お父さんは、言葉を慎重に選びながら私たちに告げた。
「さっき、医師から説明を受けました。何度も検査をしたけど、回復の見込みはないって。これにて、脳死判定確定です……」

重苦しい空気が病室内を支配する。

「辻さんは、これをご覧になりましたか?」
そう言ってお父さんが差し出した免許証の裏面を、私は注意深く眺めた。臓器提供意思表示の署名は、見慣れたリョウくんの字ではっきりと書かれていた。
『脳死判定後に、提供可能な臓器をすべて提供します』の欄に力強く印が入れてある。
「見たことはないですけど、この字はリョウくんの書いたものに間違いないですね…」
私が呟くと、先生が反応する。
「署名の日付、あの研修があった次の日になってるなぁ」
お父さんは寂しそうに微笑むと、話を続けた。
「免許証の裏に署名した日のことははっきり覚えています。母さんが寝た後で、二人でビールを飲みながら話をしていたんです。『サナトリウムの院内研修で臓器移植の話があったんだよ』って」
私と先生は何も言わず、いや何も言えずに言葉の続きを待った。
「玲人が差し出した免許証の裏面には、あいつの意思が表示されていました。『脳死判定後に、すべての臓器を提供します』ってね」
「でもっ」
お母さんが不意に声を上げた。
「私もリョウくんが事故に遭う当日の朝、その免許証を見ました。『死んだ後に身体を切り刻まれるなんてとんでもない』って思いましたけど、それがあの子の意思なんだって漠然と考えていました…でも、まさか本当にこんな事態になるなんて…」
お母さんが嗚咽を漏らしながら話を続ける。
「私だって『脳死』ってものがどういうことかはわかっています。いや、わかっているつもりです…でも、この子は……」
そう言うと、お母さんは突然声を荒げて捲し立てた。
「脳は死んでいて、二度と蘇ることはありませんっ!でも、この子の身体は生きているんですっ!事故に遭ってからもう一ヶ月ほど経ちますが、その間にもリョウくんの髪や髭、爪は毎日少しずつ伸びているんです…!そんな状況を……頭で理解出来ているつもりでも、心で理解できないんですっ!それなのに、お父さんは……」
お母さんの言葉を、私が今までに聞いたことがないような大声でお父さんが制した。
「俺が何の考えもなしに、玲人の言葉を鵜呑みにしているとでも思ったか?」
普段は温厚で冷静なお父さんがここまで言葉を荒げる姿を私は初めて見た。
何か言おうとした私を先生が制する。
「俺はあの日の晩、玲人に何度も問い質した。でも、あいつの考えは全くぶれなかった。『僕は今、人の生命を助ける仕事をしているんだ。僕はこの仕事に誇りを持っている。だからこそ、僕の身に何かあったときは身体の一部を提供することで何か人の役に立てるんなら、躊躇うことなく僕の思いを叶えてほしい』ってな」
そう言うとお父さんは、溜まりに溜まった負の感情を何かにぶつけるように、握りこぶしを力一杯コンクリートの壁に打ち付けた。溢れ出る血を、私と先生で慌てて処置する。
「すみません、なんか取り乱してしまって」
力なく笑うお父さんに、かける言葉は見当たらない。
「その日の晩にね……玲人は言ったんですよ……『これは、死体を切り刻むとかそういうことじゃない。僕の身体が、誰かの役に立つのなら…誰かのために、誰かの身体の中で僕の身体の一部が生きていけるんだとしたら、これは生命のバトンタッチなんだよ』って」

『バトンタッチ……ですか』
私と先生は、何も言えず病室を後にした。

「この後、どうなるんでしょうか…」
病院の駐車場で車のシートを倒して開け放たれた屋根から空を見上げ、溜息交じりに問いかけた私に先生は呟くように返答した。
「まあ、結論がどっちになるにしても親族が同意せんことにはどないもならん。ただ、何やかんや言うて『本人の意思』が一番尊重されるべきやと俺は思うけどな」



結論の出ないまま、私たちが燻らす紫煙はいつまでも青空を曇らせていた……


15 件のコメント
1 - 15 / 15
やはり生命の「バトンタッチ」でしたか…
切ないですね…
超シリアスですねー😆
その割にアイコンのナース姿に🤣🤣🤣

>>生命のバトンタッチ
もうひと捻りありそうな気がします。
伏線は連呼してた辻綾乃さん?
(꒪д꒪II
なかなかリアルです!読みながらの臨場感は某ドラマ〇ERのようです
そしてコレからのお話が、人の尊厳死な繋がってゆくと言う深い内容
家族の葛藤などがどうえがかれるのでしょう
あぁ、続きがすぐ読みたいような、少し読み手の私の気持ちを熟成させたいような
5回完結なのも勿体ない気もします。
続編も…って今から思ってしまう
第一話は内容が重すぎてコメント控えましたが、第二話は引き寄せられる描写です。
テーマは重いですが、これは素晴らしい小説になりそうです。

第三話以降注目です。
ありがとうございました。
第一話を読み逃したので、まずは・・
振り出しに戻る🔙

>> licky さん

ありがとうございます🤗
頑張ります😃

でもちょっとプレッシャー😰
家族としてはまだ生きてる以上は…という気持ちは当然でしょうし…
結論の出る問題ではないけど、いざ自分の身内に起きたら、と考える事も必要ですね。
 救急ヘリで搬送される位のでかい交通事故に遭った事が実はありまして。幸運なことに意識も戻り、後遺症もなく回復したもんですが、なんか通じるものがあって涙が出ます。
先ほど、気が付き第一話、第二話、一気読みさせて頂きました。
桃さんの文章、素晴らしすぎて、ほんと引き込まれます。
海外のドラマなどでもよく移植の題材のをみます。。。w(←こっちは、ラブコメ、、、)
続きを楽しみにしています!

>> まきぴ~ さん

只今、第三話の最終確認作業中Death😰
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