野馬追に見る、「馬具装束」
昔に比べてレプリカが増えた、とは言え
動く博物館、と言われる
「相馬野馬追」
特徴的な馬具を見でましょう。
一部、修理の際、現代の物に置き換わって
いる部分もありますが、
ほぼ、戦国時代〜幕末の形を留めている
様です。
あぶみ、は
馬上で立ち上がれる形になっていますね。
馬に装飾を施したのは戦場で目立つように
(勲功がわかりやすいように)というのもあったと思いますが
生死を共にする愛馬の愛情の現れ、だったのかも。
正面から
すぐに目につくのは
房、ですね
大抵は赤系統ですが
黒や緑の方も。
鞍にある九陽の紋は
桓武平氏千葉氏の流れをくむ相馬氏の家紋でもあります。
http://www2.harimaya.com/sengoku/bukemon/bk_souma.html
房をつないでいる紐?にも紋様があったりりしますが
これもそれぞれの家もしくは郷の紋なのかも?
袴に陣羽織という古装束で
古馬具を付けた競馬(くらべうま?)を見れるのは
かなり珍しいそうです。
賀茂競馬は宮中スタイル、でしょうか(^^ゞ
https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=4749
馬装束から離れますが
野馬追において最も重要な旗が
黒地に赤丸の総大将の旗。です。
(画像は昨年のもの)
この旗の下に総大将がおられますので死守する、
ものなのですね。
旗について。
南相馬市のhpによると
各家でそれぞれ違っていて、見分けるのに使われた、とあります。
https://www.city.minamisoma.lg.jp/portal/sections/61/6150/61503/study/1/2/1965.html
(画像は2009年)
5 件のコメント
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戦いあっての愛馬なのかその逆なのか解りませんが
『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』って言うことわざは意味も響きも
どうも好きになれない。いや嫌いだ。
>> 一郎太二郎太 さん
戦国時代は「木曽馬」が主流だったそうです。(武田の騎馬武者隊とか)
小さいけど馬力があって
あれで突進されたらかなりの威力があったかと。
交配されているので
足が細くて弱いです。
未整地では足を取られて転びやすいかも・・・
>明治時代になると武家社会に終焉を迎え、野馬追原に放牧されていた馬が捕獲されるなど相馬家の年中行事であった野馬追もできなくなりました
この頃までは在来種だったと思われます。
その後復活する際にサラブレッドに変わっていったのでは
無いかと。
現在は引退した競走馬の受け入れ先にもなっていますね。
2018年に、BS11「歴史科学捜査班」 『動物学で解剖!武田騎馬隊 真の実力』という番組で、荷役用と戦闘用の早駆けの木曽馬があったとして、早駆け用の木曽馬を復活させた人達を扱っていました。
BS11のサイトの紹介。
https://www.bs11.jp/lineup/2018/12/post-7307.html
番組では、サラブレッドよりも完全武装の武者を乗せて力を発揮していた。
youtubeには法的に微妙な動画が上がっていましたが……。(^^;