【潜入!】防衛省 武器学校! ~fioの旅 番外編~
防衛大学校は知っていても、日本に武器学校が有ることを知っているのは恐らくミリヲタか、茨城県の阿見市民くらいなのではないでしょうか?
先日、茨城空港(百里基地)への旅の計画中、折角行くのだからもう少し行ける場所無いかな?そう言えば以前マイネ王で、「茨城県は予科練等もあり、軍事と縁が深い」というお話を伺った事があったっけと、ストリートビューで周辺を見ていると、突然視界に戦車が飛び込んできました。「せっ、戦車ぁ~!?」と、しかも見慣れた四角い90式ではない平たくてトゲトゲしいそのフォルムは最新の一〇だぁ!?
ミリヲタではないけれど、首都圏?でひとまるが見れるとあれば、これは行くしかない!と早速行ってまいりました。
武器学校ホームページ、見学の申込もこちらから👇
https://www.mod.go.jp/gsdf/ord_sch/
15分前に到着し、よく映画なんかで見る、所謂基地のゲート(衛兵が居る鉄門扉と真ん中に高速の料金所みたいな詰所が有って入場と出場の車輛チェックをする場所)を抜け、オフィスで見学に来た事を告げていると、広報班の方がちょうど迎えに来てくれました。
最初に案内されたのは火砲館で、榴弾砲の歴史を学びます。
当時は輸入したものを国内で改良しては強度が不足したり、思考錯誤の歴史だったようです。
車輪は木製に鉄を巻いたもので、これを馬に曳かせて移動していたのだとか。
火砲館を出ると、屋根付き駐戦車場?が有り、帝国陸軍89式中戦車が停まっていました。
最近の巨大な戦車と比べると可愛く見えるこの戦車は数年前迄イベントで走らせたりしていたらしいのですが、履帯を止めるボルト穴が拡がってきてしまったり傷みが出て来た為、この様に展示のみとなっているそうです。
イベントで走っている様子はYoutubeで見るコトができます。
https://youtu.be/FTPojpqFsLk
こちらはアニメ、ガールズアンドパンツァーでもお馴染みの?帝国陸軍三式中戦車チヌです。
先の89式に比べると大分立派になりました。
後ろに回ると、エンジンルームの鉄板が僅かに捲れていて、中には空冷V型12気筒エンジンを見ることができました。
広い校庭の端には歴代の様々な戦車や車両が並べて展示されています。
こちらは米国の有名なM4A3E8シャーマン戦車。
当時の日本軍の戦車に比べると履帯が太くてどこを走ってもへっちゃらそうです。
後ろに伸びた砲塔が特徴的な陸上自衛隊61式戦車。
570馬力で最高速度は45Km、90㎜戦車砲を装備。
今の戦車とは比較するべくもないスペックですが、当時としてはどうだったのでしょう?
でも、まさかこの車輛まで有るとは思っていませんでしたので見ることが出来て幸運でした。
今も現役74式戦車。
720馬力で53Kmを実現。戦車砲は105mmにパワーアップしています。
90式は一〇式に比べると小柄な車体は本州の狭い道で使うには小回りが利いて良さそうに思えます。
もっとも、本土決戦みたいな事は経験したくありませんが…
74式と90式のエンジンはなんとバイクでは生産されなくなった2ストロークエンジン!
広報班の人によると、かなり小回りもきいて良く走る戦車だったらしいですが、全開走行するとエンジンが壊れやすい弱点も有ったのだそう。
戦車ですから、高性能化も大事ですが、径戦能力というのも設計で大事だなと思いました。
北の護りの要90式戦車。
一気に1500馬力70Km120㎜滑空砲と高スペック化。
「74式迄は砲弾を弾く為に流線形だったのに、何故こんな角張った形になったの?」と聞くと、「重装甲になり充分に砲弾を防ぐことができるようになった為」と教えてくれました。
データリンクについて聞くと、ちょっと言い淀みながら「90式や初期の一〇式迄はオマケ程度で本格化したのはつい最近の配備分から」と教えてくれました。
ちなみに、一〇式はエンジンが小型化して高出力化している為、音が大きくなってしまっているそう。
ちょっと戦車は一休みして、お隣の予科練平和記念館をご紹介。
https://www.yokaren-heiwa.jp/
現在、見学には予約が必要。
こちらは記念館脇の格納庫に展示されている零式艦上戦闘機21型の実物大レプリカです。
先月呉の大和ミュージアムで見た零戦は緑の塗装でしたが、こちらの塗装も赤い日の丸が映えてキレイです。
この他に見れる車輛等はコメントで続けてご紹介しますね。
良かったらこちらのスレも見てね。
見た!来た!乗った!フリートウィーク2022
https://www.economist.com/the-world-ahead-2023
初めての航空機撮影 in 岩国BASE と、その後 ~fioの旅 番外編~
https://king.mineo.jp/reports/207527
~fioの旅~ the beautiful world? 【画像多め】【内容薄め】【不定期更新】
https://king.mineo.jp/reports/23691
こちらは「回転一型」の実物大模型。
本当に魚雷に人を乗せるだけの簡単なもので、直径1mの胴体上部にはお尻がギリギリ入るかな?という程小さなハッチが有りました。
武器学校の横には無料で見学できる雄翔館があり、予科練から巣立った人たちの遺品や家族へ宛てた手紙。その他の特攻兵器の紹介などが見学できます。
小さな展示館なのですが、パネルをきちんと読んでいると1時間では足りないです。
爆弾ボートの「震洋」、機雷を手持ちで海底で5時間も待伏せする潜水服「伏龍」、甲標的の発展型の「蛟龍」等が模型展示されていました。
こういった展示を見学する度に思うのですが、戦後の戦争教育と言えば、日本のアジアにおける戦争犯罪と、原爆の残酷さで終わりですが、「こういった先人達がどの様な思いで国や家族を護り、今の国体を維持したのか」という事を教える事も大切だと思うのです。
修学旅行といえばディズニーランドというのが定番になっていますが、それは“修学”旅行と言えるのでしょうか?
LVTA装軌式水陸両用車
第二次大戦の頃から米軍の上陸作戦で使われていたもので、砲塔付と砲塔無しがあるそうです。
水上移動速度は12Km/hとのことですから、砲弾の雨の中海岸に向かう車中では気が気でないことでしょう。
映画 「硫黄島からの手紙」で、見た?
日本の73式装甲車
12名の兵員を乗せて移動できる装甲車。
水上も移動可能なれど、水上速度は時速6Km…
fioは…乗りたくないです。
米軍のM24軽戦車(チャーフィー)
砲塔の形が特徴的でアメリカの戦車にしては比較的小柄。
とは言え“警察予備隊”に供与された車体は当時の日本人の体格に合わず、座布団でかさまししないと前が見えなかったり、アクセルペダル等に足が届かない等の苦労が有ったそうです。
逆に74式は狭くて乗り込むのも一苦労だったとか。
戦車兵って大変なお仕事です。
米軍のM36駆逐戦車(ジャクソン)
大戦中から朝鮮戦争まで使用された戦車。
450馬力で42Km/h 90mm 戦車砲と61式戦車と同じ位。
もしかして61式戦車のモデルとなった車体?
米軍の40㎜自走高射機関砲M42
最近は歩兵の手持ちの対空ミサイルが高性能化して陰の薄くなった自走対空砲ですが、40㎜の大口径は当たれば一撃必殺です。当たればの話ですが。
陸上自衛隊60式自走106㎜無反動砲
写真は射撃姿勢の物で、戦闘時以外は砲塔部が潜望鏡の様に下がり、砲身は前部の眼鏡の様な台座の位置に格納されます。
全高1.38mと発見されにくく、全長4.3m、全幅2.23mと軽自動車より少し大きい程度。
砲身の上に機銃を備え付け、先に機銃で試射して狙いが合っている事を確認して無反動砲を発射するんですって。
シンプルな造りで威力偵察なんかで活躍しそうです。
製造は軽装甲車と同じKOMATSUなのですが、同社はすでに防衛装備品の製造から撤退してしまったとの事。
防衛装備品の調達は利益が出ないので仕方が無いとはいえ、大変残念なことです。
日本の74式自走105㎜榴弾砲
導入時に既に時代遅れとなっており、翌年の75式155㎜にとって代わられた悲運の車輛。
20輌のみ配備され、2000年に全車退役。
日本の75式自走155㎜榴弾砲
先の74式自走榴弾砲に替わり、1977年~1985年迄に201輌が調達され2016年に全車退役済み。
案内の人に、「自走榴弾砲の砲塔は何故戦車と違ってみんなこの形なの?」と聞くと、榴弾砲は狙う距離によって火薬の量を変更し、車内で火薬を砲弾に詰める作業が必要で、その為に大きくて広い砲塔になるのだとか。
さすが武器学校、勉強になります。
日本の99式自走155mm榴弾砲
75式の後継として1999年より導入、一輌あたりの調達価格が9億6千万円!
全長11.3m 全幅3.2m、全高4.3m、重量40tとm車体も価格も超巨大!
砲弾への装薬まで自動化したのは日本だけ!
防衛大綱で、火砲数が400、300と年々減らされ、自走榴弾砲はその数を減らしていく運命のようです。
87式砲側弾薬車
自走榴弾砲の後ろについて、弾薬を補給する所謂動く弾薬庫です。
米軍では自走榴弾砲一輌に一台が随伴するらしいのですが、自衛隊は予算が限られているので数台の自走榴弾砲に一台で補給を行うそうです。
それにしても動く弾薬庫なんて危ない!!
本当にいろんな仕事が有る自衛隊ですが、裏方さんも命がけです!
73式牽引車
南極観測隊の雪上車かと思ってみていたら、全然違いました。
上の車輛と同じだと思いませんでした?外れです(笑)
日立で制作していた牽引車で、92式地雷原処理車や96式自走120㎜迫撃砲等、様々な派生車を生んだ。
87式砲側弾薬車もこれの派生型の一つ。
60式自走81㎜迫撃砲
迫撃砲といえば、筒の上から砲弾をポンって入れるとポンって飛び出す簡単なモノというイメージで、自走型が有るなんて初めてしりました。
僅か18輌が配備されただけの希少車
日本の戦車だけでなく、魚雷、
米国の戦車まで展示してあるのは凄いですね。
[壁]ω´・;)ス、スゴイ・・・。
75式130㎜自走多連装ロケット弾発射機
昔風に言うと噴進砲、装弾数は30連装!
自走多連装ロケットシステムM27(MLRS)
MLRSとはMultiple Launch Rocket Systemの略です。
その後米軍では飛行機でも運べる高機動型のHigh Mobility Artillery Rocket System、通称ハイマースを開発し、ウクライナでも活躍している模様。
1992年~2004年迄99輌が調達され、2008年に麻生内閣がオスロ条約に調印しクラスター弾が使用できなくなった為、保有弾頭は全て廃棄、車輛も退役となっています。(国民の血税が…)
案内してくれた方は、「海岸で上陸してくる敵部隊を一掃するのに必要なのに、もう少し考えて条約調印して欲しい」とぼやいていました。
戦時におけるクラスター弾の残虐性を気にした結果、自国軍や自国民に多くの犠牲が出るというのは、確かにおかしい様に思われ、政治家先生達も外国の顔色をうかがうばかりでなく、国内の現場の声も聴いて欲しいものです。
90式戦車回収車(奥)、11式装軌車回収車(手前)
腰下が90式戦車の回収車奥と、腰下が一〇式戦車の11式回収車。
クレーンやブームで動けなくなった車輛を回収してくる縁の下の力持ち達。
82式指揮通信車
戦後初の装輪装甲車。82年~99年迄231輌が調達された。
製造は小松製作所。
いろいろ見て来て好きだなって思う車輛が小松製が多い気がします。
毎年秋に駐屯地の開放祭で戦車に乗りましたと言ってもデッキのかごの中ですが それでグランドを一周猛スピードで走ってくれます
96式装輪装甲車
10名を乗せて、その最高時速は100Km!
さすが装輪車です。
軽装甲車
海上自衛隊の観艦式でも展示の有った装輪装甲車。
小松製作所製でカッコ良くて子供達にも人気の車輛ですが、
乗り心地が悪い、視界が悪いなど評判はイマイチみたい。
一台の調達価格は驚きの3千万円弱!
如何だったでしょうか?陸上自衛隊装備のうち、かなりの数の車輛を一同に見ることができ、見学者も少なく触ることもできちゃうこんな場所が都心から1時間半ほどで行けるなんて!
ここまで見てくださったあなた!早速見学に行ってみてはいかがでしょうか?
あと、fioはミリヲタジャナイヨ…
(ΦωΦ)
(ΦωΦ)
>> fio@帰ってきた自宅警備員 さん
あと、fioはミリヲタジャナイヨ…↑
芸人さんの押すな~と同じですね。
ちゃんと、『fioミリヲタでーす』に脳内変換しておきました。
しかし住んでる県内にこんなところがあったとは初めて知った。そのうち行ってみます。
>モバイル クエストさん
これだけの貴重な資料が全部無料で見学できるって凄いですよね!
案内して下さった広報班の方もすごく親切で、想像以上の収穫でした。
アンケートのおススメ度が有れば10を付けて推したいところです。
>よっちおじさんさん
74式戦車に乗られたことが有るんですね!
羨ましい限りです。やっぱり乗物ですから、動く姿を見てみたいし乗れるものなら乗ってみたいと思いますよね!
乗っているのが大きなお友達?ばかりなのがちょっと気になりますが、小さな男の子とかきっと大興奮間違いなしだと思います。
>ギリアム・イェーガー・ヘリオスさん
“本領発揮”って、大事なことだから2度言いました的な?(笑)
これで、陸、海、空と一通り写真も撮って満足しました。
さすがに宇宙部隊迄は手が届きません…
>じんでさん
是非ともお出かけください。
それにしても茨城って広すぎです。車は街中以外はさほど混んでなくて流れているのですが、空も周囲も広くて走っても走っても進まない感じです。
南部だけでこれなのに、常陸那珂とかまで行くことを想像すると気が遠くなります。
終戦間際は知っての通り特攻ばかり。特攻といえばロケット機の桜花、次に零戦や紫電改等製造数の多い機体、更には銀河の様な攻撃機なども使われていた事は解っていたのですが…
パネルを見ていると、九三式中間練習機(通称:あかとんぼ)零式練習用戦闘機などで出撃した人も…
そして、回天などの人間魚雷の搭乗員の名前には〇〇二飛曹などの記載が。
並々ならぬ決意で特攻を志願して、複葉機のあかとんぼや速度の遅い練習機で出撃させられた訓練生は、或いは飛行機乗りを目指したのに魚雷に乗って特攻となった訓練生はいったいどの様な思いだったのかと思うと胸が痛みます。
「桜に錨の七つ釦」など耳ざわりの良い言葉も有りますが、これとて予科練を兵学校(士官学校)と同待遇と偽って人を集め任官時は最下位だったことへの不満の対策であったり、特丙という兵種では半島や台湾からの若者の訓練を行っていたり、最後の最後には防空壕を掘ったりする土方仕事ばかりやらされて「どかれん」と呼ばれたり、粗野な若者の集まりと化して「与太練」と呼ばれるなどの暗部が有った事もまた歴史の一部として知っておかなければいけないと思いました。
今回見学した戦車をはじめとする装備品たち。
今も現役の車輛たちが戦地へ赴く事なく、役目を終えて武器学校へ帰ってこれると良いなと思います。
それにしてもよく調べたりしましたね。これが調べる事なく書かれていたとしたら、、、
ミリオタ
確定ですねw
様々な装備を写真と解説付きで見せて頂きありがとうございました。勉強になりました。
>> LEELEELEE さん
陸海空と一通り見たので漸く落ち着きました。お付き合いいただきましてありがとうございました。
お陰様で私も撮影を楽しむ事ができて、お休みしていたカメラをまた楽しむ事ができそうです。