買ってしまいました「ブラックジャック大全集」
掲載誌と同じB5版
連載順(単行本は手塚先生がセレクトしたいので
連載順ではありません)
カラーページ再現。
で一冊3850円😨全15巻ですが、
とりあえず一冊、マイベスト5の
「おばあちゃん」収録の6巻です。
手塚プロダクションが収録予定無し
とした三作以外は収録されていますが
全巻集める予定はありません😅
(旧単行本は全部あるので)
カラーページ。
手塚先生はアシスタント制を
早くから使われていましたので
彩色やベタ塗りはアシスタントの様です。
(手塚アシスタント経験者の
著名な漫画家も数多く)
そう言えば
手塚先生の原稿が落ちそうになって
ときわ荘の藤子,石森,赤塚4氏で
代筆した,なんてことも。
(結局、手塚先生の原稿が間に合ったそうで
雑誌には載らなかったとか😁
24 件のコメント
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私もブラックジャックの大ファンで、文庫版は全巻持っていたのですが、引っ越しの際にどこかへ行ってしまいました(;^_^A
もう一度全話読み返したいです。
後、遺伝子のキメラ
先生の作品の中で一番好きかもしれません
子どもの頃の話ですが…
テレビで『加山雄三のブラック・ジャック』を観た時は衝撃でした
OPとEDが怖かったの😰
>> ポンコツ河嶋桃@🐢大洗女子カメ㌠🐢 さん
これか!確かに怖い😱
opのお姉さん達の衣装がきわどいので、リンクのみ😰
https://youtu.be/XECOkPe_If8
他に好きなのは
「ハローCQ」
「六等星」
「地下水道」
「春一番」
「ピノコ ラブストーリー」
辺りですヽ(^o^)丿(他も全部好きですけど(^^ゞ)
手塚プロに遊びに行った時に机の上に置かれている次に発行されるマンガ少年の「火の鳥」の原稿がほぼ真っ白だったことに驚愕した覚えがあります💦
でもちゃんとその原稿が仕上げられて掲載されていたのでさすがだと思いました。
(手塚先生は原稿を上げるのが遅いからあのクラスの漫画家にしては原稿料が安いと他のマンガ家さんから聞きました。
永井豪先生だったか高橋葉介先生だったかな?)
>> noel@誤変換が酷すぎる…… さん
手塚プロへ行かれたのですねヽ(^o^)丿しかも未完と言え「火の鳥」の原稿を(; ・`д・´)・・・
ブラックジャックでも毎回最低三話考えて編集さんに選ばせていたとか。
書くスピードは速かったそうなので
書き始めるまでは、編集さんがやきもきしたでしょうね~(^▽^;)
>> magrodon さん
ハローCQのラストは毎回読むたびに泣きそうになります(>_<)>> まきぴ~ さん
ピノコ語講座👍>> 5gh@えるなんふらっぷ さん
こういう発想も近くに小さい子がいないと再現不可能ですよね。>> 5gh@えるなんふらっぷ さん
私は手塚先生にお会いしたことはないのですが(チーフアシスタントの方が相手してくださいました)手塚先生から電話が掛かってくると凄かったですよ。マンガ家の対談を読んでいると手塚先生の思い出として衆人環視の中で手塚先生の原稿描きを見る機会があったけれどそれだけでもう「芸」だった……と。
原稿用紙をくるくる回しながら凄いスピードでペン入れされていたそうです。
東南アジアかどこかの空港の待合室で原稿1本を仕上げて日本に送ったというエピソードもお持ちですから。
(手塚先生はコンテを切らずに初っ端からペン入れをして行くので描きたいものが多い時には後に行くに従ってコマの形が小さくなっていくのが特徴とも)
萩尾望都と浦沢直樹のマンガ対談に行った時にも手塚作品で話が盛り上がっていました。
皆大好き♡マンガの神様ですよね~~~
>> ポンコツ河嶋桃@🐢大洗女子カメ㌠🐢 さん
手塚治虫記念館、行きました~。エントランスの踏み絵(^▽^;)
>> 杏鹿@………………………… さん
マンガだからいいのだヽ(^o^)丿割と初期はえっ無理でしょ?と言うのが多いですね(^-^;
>> なかっぴ さん
その衣装デザイン:コシノジュンコだった・・・😲なかなかの御立派な。(^^;
ブラックジャックなら価値はあるかもですね。
>> なかっぴ さん
収録リストです(^^ゞ基本はチャンピオンコミックスですね。
掲載順が連載通りでは無いですが
手塚先生が選んだ順なので、やはり基本です(^^)
http://qden.my.coocan.jp/etc/bj.html
>> まきぴ~ さん
アッチョンブリケなのよさ🤣>> Jijing さん
一巻辺り15話程度収録なので一話256円。うん十分価値はありますね(^^ゞ
中古でヤフオクだともう少し安かったりするので(汗
気長に揃えます(^^)
>> 杏鹿@………………………… さん
るみ子さんがモデルと言われてますね~個人的BJ名言がこれです(笑)
火の鳥、と言えば
1957年、
いつも締め切りギリギリ
(ほんとにギリギリ)で
連載を抱えたまま先生が行方不明
(他の出版社に、軟禁された😅)
😅
になって、東京→京都→福岡まで編集さんが
探偵ばりに追っかけて行ったエピソードが
↑にあって
時間が無くて下書きだけした
「火の鳥」の原稿を
東京に送って
石森、赤塚、両氏が、ペン入れして
掲載された、なんてことも
あったそうです。
その時福岡で
アシスタントをしたのが、
松本零士、高井研一郎さんらだったとか。
(それで「ぼくはそんごくう」が間に合って
藤子、赤塚、石森氏の代筆は使われなかった
と言う結構凄いエピソードが
載ってました😅