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ポストデジタル時代の社会

クリティカルヒューマニリズムと同様に、分子生命学、複雑系、バーチャリティ、ナノテクノロジーにより形成されたインターラクティブな社会、具体化されたメディアと複合現実との間の触媒によるトポロジカルなメタ作用を通してデジタル技術の人間化のエピトーメに取り組むオントロジーとして社会学者の松本良多はポストデジタルをとらえている。
ポストデジタルとはデジタルアート以降のハイブリッド・メディア、インタラクティブネットワーク、複雑系と偶発性をキャタリストとした松本良多の主唱する社会学理論である。
我々は既にデジタル技術が特別なものでないポストデジタル時代にいるとするキム・カスコーン、松本良多による説と脱資本主義社会のプラクティスを意味しデジタルツールによるクリエイティブプロセスにおいてその重要性を増している。ロイ・アスコットのデジタルとアナログの融合によるモイストメディアのセオリーが原点としてある。
ポストデジタルはキム・カスコーンのグリッチの理論により提唱されジョージオ・アガンベン、松本良多により社会、経済、文化にアダプトする理論として定義された。 ポストデジタル社会は視覚、触覚、聴覚、および運動感覚のメディア体験、仮想と拡張現実の間、オリジンとなるノードとグローバリゼーションのキャタリスト、インディビジュアルとコミュニティの対話との関係、およびウェブ対応のメディアにおいてアーティストの役割が再定義されたウェブ2.0における参加、交流、コラボレーションを通じてつくられた生成の系譜学である。


6 件のコメント
1 - 6 / 6
ほとんどのカタカナ語を一々ググらねば、1行1文たりとも理解出来ない人が若干1名おります。
\(^o^)/
前も投稿されていましたね。
https://king.mineo.jp/reports/144442

松本良多さんという人の美術作品(抽象画)のことみたいですね。
https://ja.localwiki.org/komoro/松本良多

解説込みの作品なんでしょうか。
この手の話、2019年にもアクセンチュアから出てきてます。

●「ポストデジタル時代」の到来 社会とビジネスはどう変わっていくのか(日経XTECH)
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00980/091700007/

デジタル社会の先は何か?ということじゃなくて、本質は「デジタル社会を踏まえてどのように変質することでさらに善し悪しが明確になるのか?」だと考えます。

逆に「デジタルを超えたらアナログだった(笑)」ならば、そもそも「アナログでははっきりしないからデジタル化した」の流れを否定しかねないので。

双方の良いところを融合させた技術展開になると考えます。

追伸:
そういえば昔ありましたねえ。「ファジー(fuzzy)」なんて言葉が。
概念としてはそういう方向になるんだと思っていましたが、
全然そうならないのでやっぱり「白黒はっきりつけないと比較対象の軸がぶれる」
ってことなんでしょう。
うーん、以前の投稿も今回のも、ほぼ作品や来歴の紹介文の切り貼りですね。何が言いたいのでしょうか?

個人的には、ポストモダン→逃走論→新自由主義→ クリティカルヒューマニリズム論(複雑系、脱構築)
この流れって、ポストモダンと逃走論が拡大して居るだけの様な。作品はまるでコルタナが暴走して電源コードを抜かれる直前に描いたAIの絵画風ですね。
そう言えば、美術を社会学に当て嵌めてみたりしても、誰もついてこないから美術手帖が消えたんだと思いますが。

個人的には身体性を捨てたらその時点で社会学では無く精神・文化カルトの類に近く、現状のVRも盲人を置いてけぼりにしている無法地帯にしか見えません。
必ず誰かが置いていかれる社会って、古代も今も同じじゃ無いのですか。先鋭化してる人達って排他的でオードリー・タンの言うフラットなデジタルの真逆に見えるんです。
だって会話が成立して居ないんですもん。

>> hageten さん

私も意識高い系文章のカタカナ語の洪水は理解できないおっさんですわ(^^)
こういう文章がスラスラ書けて言えたら仕事で便利そうなのですが(理解してると思えないけどこういのが好きなエラい人が多い)、聞く立場では「何言ってるかわかんない」と言えてしまう空気読まない、おっさんでもアリ〼
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