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入菩薩行論 第二章 罪悪の懺悔

この宝の心(菩提心)を得るために、これなる私は、如来に対し、正しく供養をささげまつる。穢れ無き正法の宝と、功徳の海なるブッダの子(菩薩など)たちに対してもまた。

あらゆる花と、果実と、種々の薬草と、世にある限りの宝と、清澄にして快適なる水と、宝の山と、孤独に快適な森の場所と、美しき花に飾られて輝く蔓と、見事な果実に枝もたわわなる樹木と、天界などにおける香りと、芳醇なる香りと、もろもろの如意樹と、宝樹と、蓮華に飾られ白鳥の声によって楽しき池と、野生の植物と、栽培による草木と、供養の対象を荘厳すべき他の物と--虚空界の広がる限りにあまねきこれら一切のもので、しかも個人に属しないもの--これらのものを、これなる私は、意識に捉えて、最上の聖者と、ブッダの子とにささげまつる。
最善の供物を受けるにふさわしく、大悲の心ある彼らは、私を哀れんでこれを受けたまえ。

私は福善なく、はなはだ貧しい。他に供養すべき何ものも私にはない。ゆえに、利他の心を持ち給うもろもろの世尊は、私の利益のために、これを自らの力によって受けたまえ。

私は、私自身を、勝者とブッダの子とに残り無くささげる。衆生の最高者たちよ。私を受け入れたまえ。私は熱烈なバクティ(信愛)をもって、あなた方の召使となる。

あなた方に受け入れられれば、それによって私は恐れるところ無く、輪廻界において衆生のためになることを行なう。
そして以前作った悪に打ち勝ち、重ねて他の悪を行なわない。

柱は宝の光によってあでやかに、天蓋はちりばめた真珠で輝き、敷石は透明に輝く水晶よりなる、芳香ただようかの浴室のうちで、快適なる香水と花に満ち、大いなる宝石で作られた幾多の水瓶をもって、この私は、如来とブッダの子(菩薩など)を洗浴する。賛歌を唱え、音楽を奏しながら。

さらに、香を薫じ、汚れなく、類のない布で、私はその(ブッダや菩薩の)体をぬぐう。それから彼らに、色鮮やかな馥郁(ふくいく)たる最上の衣をささげる。

柔軟にして優しい種々の見事な天衣、また種々なる装飾をもって、私は、サマンタバドラ(普賢菩薩)、アジタ(弥勒菩薩)、マンジュシュリー(文殊菩薩)、ローケーシュヴァラ(観音菩薩)などにも供養し奉る。

全三千世界に薫の行き渡る最上の香料をもって、私は--火で焼き、石で擦り、酸で洗った黄金のような光沢を持つ、すべての聖者の王の身を塗る。

薫高く心を奪う曼陀羅華、素馨(そけい)の華のすべてをもって、またあでやかに組み立てられた花輪によって、最も恭敬すべき聖者の王を、私は恭敬する。

濃厚な行き渡るあでやかなにおいの香煙で、私は彼らを薫ずる。そして、いろいろの固い食物とやわらかい食物をもって、私は彼らに飲食の供物を供える。

また私は、黄金の蓮華の中に連ね並べた宝石の灯明を供える。そして香料の塗られた床の上に、楽しい花束をまきしく。

さらに私は、真珠と宝石のすだれで美しく輝き、諸方の面の装飾の光彩陸離たるかの楼閣の雲集と、楽しい賛歌とを慈悲尊に供養する。

優雅な黄金の柄によって高く掲げられ、真珠をちりばめて極めて美しい宝の傘を、この私は偉大なる聖者のためにささげる。

これからあでやかな供養の雲集と、すべての衆生の喜ぶ音楽歌唱の雲集とは、起こりあがれよ。

宝のごときすべての正法の上に、またストゥーパと仏像とに、絶え間なく、華と宝等の雨はふれかし。

妙音(マンジュシュリー)等が勝者(如来)を供養するように、私は尊き如来とブッダの子とを供養する。

音調の区分が海のように豊かな賛歌によって、私は功徳の大海をたたえる。そして、称賛合唱の雲が、彼ら(ブッダや菩薩)に対し、たがわずに起こらんことを。

また一切の仏国土にある微塵の数に等しい敬礼の数で、私は法と最勝なる(菩薩の)集団とを伴う一切三世のもろもろの覚者に敬礼する。

すべてのストゥーパを、また菩薩の所依を私は崇拝する。拝むべき親教師に、また長老に帰命する。

覚醒の境地を得るまで、私は覚者に帰依する。また真理の法に帰依し、菩薩の集まりに帰依する。

一切の方位に住する正覚者と、大慈悲心ある菩薩に、合掌をささげて私は次のごとく告げざるを得ない。

無始の輪廻において、あるいはまた今生において、獣のごとき私が、いかなる悪をなし、あるいは他をしてなさしめたとしても、あるいは無智のゆえに、身を滅ぼすための罪過を是認したとしても--かかる罪過を、私は後に受けるべき苦痛に悩まされて、告白する。

三宝に対し、父母に対し、師に対し、あるいは他人に対し、身と言葉と心をもって、私は怠慢のゆえに罪過を犯した。

導師よ。多くの過ちによって堕落した罪深き私が、いかに恐るべき罪悪を犯したにしても、そのすべてを私は告白する。

どうして私はこの罪悪を逃れえようか。速やかに守りたまえ。私の罪が滅びない間に、にわかに死が私に到来しないように願う。

この死は、我々がことをなし終わったか否かをかえりみない。確信をもってわれらを滅ぼす。それは、健康なると否とによって当てにしがたい。大電撃のように突然に我々を襲う。

愛しいもの、憎らしいもののために、私はしばしば罪悪を犯した。いつかはこれらすべてのものを捨てて行かねばならぬ事実を、私は悟らなかった。

やがては憎らしいものもなくなり、愛しいものも存在しなくなるであろう。私も存在せず、すべてのものもなくなるであろう。

知覚せられたあらゆるものは、すべて記憶の中に去り行く。夢で知覚したもののように、一切は過ぎ去って、再び認められない。

私がここにとどまっている間に、愛しいもの・憎らしいものの多くが、過ぎ去っていった。ただ彼らのために犯した恐ろしい罪悪だけが、私の面前に残っている。

かように私は、自己がこの世の遇来の客であることを認識しなかった。そして無智と貪愛と嫌悪によって、多くの罪悪を犯した。

昼夜絶え間なく寿命はますます減少し、しかも増加の生ずることはありえない。私の死なないことが、どうしてありうるか。

ここに寝床に伏しながら、また親戚の間にありながら、私はただ一人で断末魔等の苦しみを忍ばねばならない。

ヤマ(閻魔)の使者につかまれたときに、どこに親戚が求められ、友人が求められるか。ただ福善のみが、私を救いうる。しかも私は、それを修めなかった。
 
師主よ。無常の生命に愛著して、この来るべき悲惨事を知らず、怠惰なる私は、多くの罪悪を犯した。

今もし、(何かの刑を宣告されて)手足を切断されるために引きたてられていくとしたら、人は気力を失い、のどは渇き、目はくらみ、世界を転倒して見るだろう。

ましてや、恐ろしい形相のヤマの使者に駆使せられ、大いなる恐怖の炎に呑まれ、糞便の排泄にまみれるにおいては、なおさらであろう。

臆病なまなざしで四方に救いを求めるとき、どんな善人が、この大危難から私を救うであろうか。

四方に救いがないのを見て、私が再び惑いに落ちたとき、この大危難の状態において、私は何をなしうるであろうか。

まさに今私は、大いなる力がある世界の師主、世界救済のために精勤し、一切の恐怖を取り除く勝者(如来)に、帰依し奉る。

また彼らが証得し、かつ輪廻の危難を滅ぼすところのダルマに私は帰依する。菩薩方に対してもまた、心から帰依する。

危難におののく私は、サマンタバドラに我が身をささげる。また妙音(マンジュシュリー)に対し、自ら我が身をささげ奉る。

また常に慈悲に満ちてあり給うローケーシュヴァラに向かって、私は恐ろしいままに、苦悩の声をあげて呼びかける。悪人の私を守りたまえ。

さらに聖なるアーカーシャガルバとクシティガルバとに、またすべて大慈悲心あるものに、私は心から救いを求めて呼びかける。

また、それを見ればヤマの使者等の悪鬼が直ちに恐れて四方に逃れ去る、ヴァジュラダラに私は帰依する。

これまで私はあなた方の言葉にそむいてきた。しかし今、危難がわかったので、恐ろしいままにあなた方に帰依を表する。速やかに危難を除きたまえ。

一時的な病にかかったときですら、人は恐れて医師の言葉にそむかないであろう。まして、四百四病におかされるにおいては言うまでもない。
それは、その一つによってもジャンブ州(人間界の一つのカテゴリー)すべての人が滅び、しかもそれには、治療の薬がどこにも得られない。

ただしここに、一切の苦悩を取り除く全智の医師がいる。私がその言葉にそむくとは。ああ愚かしき限りの私なるかな。

他の険峻(けんしゅん)を前にすれば、私は極めて注意深くそこに立つ。まして、永く逃れがたい千ヨージャナの険峻(地獄)を前にしたならば、なおさらである。

今にも死が起こらないか。私は安閑としておるべきではない。終局は必ず来る。そのとき私は存在しないであろう。

誰が私に恐怖からの解放を与えるか。いかにして私は苦しみを逃れえようか。必ず私は存在を失うであろう。どうして私の心は、安住することができようか。

先に享受してすでに滅び去り、また、それに愛著して私が師の言葉にそむいたその享楽--それから今、どんな価値が私に残っているか。

この生の世界を捨てて、また親戚と知己を捨てて、ただ一人どこに私は行くであろうか。すべて愛しいもの、憎らしいもの、共に私に何の役に立とう。

一人どこに私は行くであろうか。すべて愛しいもの、憎らしいもの、共に私に何の役に立とう。

不浄行(悪行)によって必然に生ずる苦しみから、どうして免れうるかと、昼夜常に考えることこそ、私にふさわしいことだ。

愚かしく迷える私は、いくつもの罪を重ねた。それは自性上呵責せらるべき(十不善業)と、ブッダによって施設せられた呵責とである。

これなる私は、苦しみを恐れ、師主の前に立って、合掌をささげ、幾度も平伏して、このすべてを告白する。

導師よ、罪過を罪過として受け取りたまえ。世尊よ、かような不善を私は再び犯さないであろう。


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