後輩ちゃんと河嶋さん

久し振りに面倒臭いヒトが営業所に来た。

「あの…河嶋さん。会議室で社長がお呼びです」
知ってる。さっき中から『か～しま～っ！』って聞こえてたから…

「お待たせしました。何やらワタクシに御用があるそうで」
わざわざアタイを呼びつけるこの人物。
我が社の社長にしてアタイの同期。創業者の親族なれど『色眼鏡で見られたくない』とかいう何かよくわからない理由で身分を隠して入社してきた変人。
思い出したように営業所廻りをするもんだから、いつ何をしに来るとか全く読めない。
「急に呼び出したりしてごめんね♪」
こんなツカミから入られると嫌な予感しかしない。
「あのな、ちょっと頼みたいことがあるねん」
急に声のボリュームを下げたかと思うと、アタイの方をじっと睨む。
「さっき気付いてんけどな、アンタのところの『後輩ちゃん』のこと」
はい、なんでしょう？彼女はウチの若きエースとして頑張ってくれていますよ。
「あの子、相当無理してへんか？」
確かに。
彼女に何かを無理くり求めているようなことはないんだけど、独りで煮詰まって若干テンパってる感じはある。
「仕事の段取りとかフォローは他の子に頼んでるんやけど、あとは…そうやな……あの子のガス抜きしてあげて欲しいねん」
『へっ？』
「仕事はともかく、それ以外のフォローをしてくれへんかって話。仕事終わった後でちょっと一息ついて、愚痴でも恋バナでも雑談でも得意の深酒でもエエから…あの子の圧を抜いてくれってこと」
何を言いたいかはよくわかる。でもそれって仕事の段取りはオマエに任せられないって話に聞こえなくもない。
ちょっと酷いような、でも頼られているような…もの凄く不安定な立ち位置。
「あの子には、それとなく話は振ってある。なんかあったら『か～しま』に言うてみ、って」
ノリが軽すぎる。アタイに何をやれって言いたいんだ、この人。

「あの～、河嶋さん」
『へっ？』
「実は…お仕事と直接関係のある話じゃないんですけど……ちょっとお話ししたいことがありまして」
『いいよ。今日、仕事終わってから時間ある？』
「いいんですか？」
『晩ご飯…ていうより飲みにでも行くか！』
「はいっ！」

「うえぇぇぇい」
グラスになみなみと注がれたビールを一気に飲み干した後輩ちゃんが、美人の彼女からは想像できないような呻き声を上げる。丸椅子にちょこんと腰掛けた小さな身体の、どこにビールは吸い込まれていくんだろう。
「ここが河嶋さんの秘密基地ですか…」
秘密基地っていうか、単におうちの最寄りだからよく来るんだけどね。
『仕事が終わると…毎日じゃないけど、時々ここに来てお店の大将や他のお客さんとぐだぐだお話ししながら一日のガスを抜くんだ。毎日おうちと営業所の行き来だけじゃ面白くもなんともないし』
「そっかぁ…そういうことなんだ」
『どうしたの？』
後輩ちゃんがモジモジしている。
「あのっ！あたし、最近ずっと思ってたことがあって…」
何だろう。難しいことじゃなきゃいいけど。
「最近あたし、何をやっても上手く行かないことの方が多くて…」
それはアタイも同じだ。
「あたし、ずっとおっちょこちょいで失敗ばっかり…河嶋さんみたいに、テキパキと物事を進めたり出来なくて…で、家に帰るとずっとウダウダ考え込むばかりで…こうやってオンオフの切り替えをしながら楽しくやっている河嶋さんが羨ましくて…もっと河嶋さんみたいに」
アタイの仕事もあんまり上手くいってないけど…羨望や目標はアタイ以外にしてくれないかな…
「河嶋さんがお仕事をこなしてるのを見たら…」
後輩ちゃんが悩んでいたのはそこだったのか……
「どうやったら河嶋さんみたいに完璧な仕事が」
『それは違う』
「え？」
『後輩ちゃんが思う『完璧』ってどんな感じ？』
「そうですね…『非の打ち所がない』とか『もうこれ以上のものは作り出せない』みたいな風に」
『そう、その通り。だからわたしは『完璧』という言葉が大っ嫌い。『完璧』であるならば、それ以上のものはない。つまり、そこには新たなる創造の余地なんかどこにもなくて、完璧の先には知恵も、努力も、才能も立ち入る隙が無くなるよね？完璧なんていう下らない言葉を口にして、そこで満足しちゃうともう上はない』

後輩ちゃんがぽかんとしている。

エラいことをぶち上げてしまった。ドヤ顔で放った一言の元ネタが、久保帯人の漫画『ＢＬＥＡＣＨ』だなんて死ぬまで言えない。（考え方は同じだから別にいいんだけど）
『まあ…無理すると、まず間違いなく上手くいかないから…格好付けたり背伸びしたりせずに自然体でいいんじゃないかな』

「か～しまさ～んっ！」
おうちの近所で大声を出すんじゃない。
「あたし、もう少し河嶋さんと一緒に飲みたいですぅ」
ここまで彼女が酔っ払うとは思ってなかったけど…近隣に『もう一軒』はない。
『はい、お待たせ。ここが本当の「隠れ家」かな』
「隠れ家も何も、ここ河嶋さんのおうちじゃないですかぁ！」
良く言えば女子会、悪く言えばたちの悪い酔っ払いの二次会。
「今まであたしが思ってた河嶋さんと、今日の河嶋さん。またイメージが違っていて凄いですぅ。何か一つの身体にいくつかの人格が住みついてる、みたいな」
人のことをビリー・ミリガンやヤヌスの鏡みたいに言うんじゃない。
『仕事以外の姿なんて誰にも見せないからね。アハハ』
「あたしも河嶋さんみたいな人になりたいな～っ！あ、そうだ。もし良かったら、今度一緒に旅行に行きませんか？二人で温泉なんて想像するだけでわくわくしますよぅ」
旅行に行くのはいいんだけど、人生のベンチマークをアタイにするのはいささか乱暴だ。てかアタイ、そんな立派なヒトじゃないし……

機嫌良くベッドでスヤスヤ眠る彼女を遠目に見ながら、アタイは独り電気ブランを呷った。

もう少しだけでいい。
あと少しだけでいいから。
尊敬に値するような人間になろう。


ていうか、
後輩が酔い潰れるまで飲んで、まだひとりで飲むんかいな……