十二縁起
無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死
無明
ありのままに真実を見る事ができない→
行
経験に捕らわれ行が成り立つ(習性、物事の判断基準、観念)→
識
これはこうである、等の識別が起こる→
名色
識別により自我意識が強まる(自分という固定的な概念)→
六処
他の存在→
触
(名色、六処、触)は同時反応、自分があり、他人がいて、感覚器官を通して接触が起こる→
受
苦か楽か、どちらでもないという感覚が生じる(過去の経験に基づいた習性、反応)→
愛
渇愛へ移行、苦しい経験=嫌悪、楽しい経験=渇愛が何度も繰り返される→
取
取著(とらわれ)になる、これがないといられない、これは生理的に無理、と捕らわれる→
有
捕らわれによってこの世に束縛されている状態で、あの人(女や男)が欲しい、あれが食べたい、あの地位が欲しい、あいつは嫌い等、全てはこの世のものである→
生
この世に捕らわれて結び付けられる事で、生まれる→
老死
業(カルマ)を消費して、この世で過ごし老い死んでいくが、カルマを消費しつつも、新たなカルマを積み、永遠に終わる事がない(輪廻転生)
識別作用が経験(インプット)の方向性を決める
全ての経験は、ただ心の働きによってどうにでもとれてしまう
それは過去に間違ってインプットした情報を経験に当てはめているだけなので、ここを変更する努力が必要(意志力と実践で考え方を変える)
なので先に色々な考え方(教え)を学ぶ必要がある
自動で廻ってる歯車に棒を突っ込んで止める感じで、これにより行と識別が少しづつ良い方向に作り替えられる
無明と渇愛を切れ又は嫌悪を切れ
無明が無くなれば全ての苦はなくなるが非常に難しい
なので受で反応を止め、その先の捕らわれを無くせるように努力する
徳を積み、悪を滅し、心を浄化する(カルマの流れを変える)
渇愛と嫌悪を断ち切る
無明を断ち切る(完全な悟り)
四無量心を育む