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ウィズコロナで海外のデモってエゴの塊?

近未来までコロナの影響と一緒に過ごさなければいけない、
と言う覚悟の言葉ですよね。
僕とすれば仕方ないね♪ と言うふうにとらえるのですが、そんなこと出来るか!というデモが海外で起きているということはどういう事なんでしょうか。
結局。人間が一番偉いのになんでウィルスごときと共存していかなければいけないんだ!って事ですよね?

僕の短編SFを読んでいただけた方なら解ると思いますけど、とある国のウィルス兵器説や、数十年シールド・マスク・ソーシャルディスタンスは続く、そのため人間にテレパシーが復活するというふうに考える人はデモなど起こさないと思うんです。

結論。人間のエゴが生み出した環境破壊と同じように、新型コロナを甘く見ているとしっぺ返しが来ると思います。医療体制に真剣に取り組んでいる政府・組織・個人の努力に対し、欲求のままデモをしている民衆はエゴの塊にしか見えないのは僕だけでしょうか?


5 件のコメント
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過去の歴史を顧みると一つの想定が出てきますけど、人間というのは「人智が及ばない問題に遭遇すると混乱する集団と、それに対してチャレンジする集団に分かれる」とも言われます。

技術・知識をつけて「どのように対抗するのが良いのか?」と知恵を巡らせることが出来る集団は「冷静かつ現状の範囲内で出来ることを求める」ように思いますし、そこまでの技術・知識を持たない、もしくは誰かに頼り切る集団は「逆に不平不満を論うだけ」ともいえるかと?。

実際に SARS-CoV-2ワクチン関連でそういう流れが見えましたし、それ以前に日常生活などを見ていてもそういう想定に至るのは当然の帰結じゃないかと個人的には考えます。

なので可能な限り「学識なり技術などに基づいた体系的な学習・情報収集を行う癖をつける」のが重要だと思っています。

噂とか報道の内容を鵜呑みにするのではなく、「なぜそういう流れがあるのか?」を自問自答する際にも 可能な限り中立的に考え、より多くの情報から得られる平均値を基に「その妥当性を吟味する」ことが本当の意味で「人智に至る」のではないかと?。
ある意味人生って哲学ですので。:)

※プラトンとかアリストテレスなど、哲学書を読むと
 「昔から人間は同じようなこと考えていたんだなあ」
 と思える内容もあったりします。(^^)
テレパシーは、発達するような気がします。「猿の惑星「とかそうでしたよね。口を開かずに、テレパシーで話をしてる未来人が出てきました。
自由な国は好きだけど、自由を履き違えて自分本位に生きる人は嫌ですね! 自分以外の人に迷惑が掛からない教育をする社会が、必要だと思いますがね・・・・・
>>そんなこと出来るか!というデモが海外で起きている

海外で起きているデモは、
ワクチン接種有無による行動制限反対
ワクチン接種義務化反対
ではないかと思いますが。

では、なぜこんなデモが海外で起こるのか?
それは、現代社会では人々の目的が
可能な限りの個人の自由を追求する=個人の幸福 であるからです。
上記のデモの根源にも
個人の自由を追求するという自由を制限するな
という思考があります。

この思考のもとでは、
公共の概念が非常に小さくなります。

日本のように
公共概念 が 自粛 という形で 他者への同調を強制する という過剰とも言えるほどに強調される国は日本くらいかもしれません。
一郎太二郎太
一郎太二郎太さん・投稿者
Gマスター
地球の仲間たち。その先は宇宙の仲間たち。
そんな考えをもたらすのが哲学・科学・宗教であって欲しいと思います。
母性の自己犠牲とまでは行かなくても協調して欲しいですね。
デモに協調するとき問題が何かなのか見極めて欲しいと思います。
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