【長文】あんちゃんと東日本大震災
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あんちゃんにゃ!今回は、真面目な話をするので、猫語は飼い主のオノデラさんにとってもらうね。
まず、東日本大震災で被災されお亡くなりになった方に深く哀悼の意を表します。
あんちゃんの飼い主のオノデラさんがちょうど高校を卒業したのもこの時期。卒業旅行で、家族とともに訪れていたのが、青森県。
あの3月11日の朝、前日に東京・新宿からウィラーのバスで、秋田県大曲駅に到着。普通列車で、秋田駅へ。そこから、午前中のリゾートしらかみで、五能線経由で青森県弘前駅へ。
ちょうど、弘前城の観光が終わって、トイレを借りによった弘前市民会館で、あの地震に。
地震は、ソフトバンクのiPhone 4に入れていた「ゆれくるコール」で通知後、弱い揺れが2分間ぐらい続きました(当時、iPhoneでは消ETWSは利用不可)。通知では、震度7の地震が東北地方に来ると書いてありましたが、数日前にあった地震でも似たような通知がiPhoneに届いており、「全く、気象庁のジョークだろw」と思っていました。
2分間の揺れは、未だに覚えています。弘前は、震度4で、周りの被害はありませんでした。瞬間的な揺れではなく、時間をかけて揺れていたのを覚えています。
その後、建物では停電が発生。その時点では、ソフトバンクの電波はiPhoneには届いていました。とは言っても、信号機は消灯したままで、そのような中、弘前駅へ到着。ただ、五能線車内でiPhoneをたくさん使っていたため、バッテリー切れ。モバイルバッテリーも使い果たしました。(当時、日本ではAnkerなどの安い製品はなく、SANYOの安いローモデルの製品を使っていました)
弘前駅では、多くの人がいました。駅員さんも混乱しており、列車は動く気配はないとのこと。この時点では、すぐに停電は復旧する、大した地震ではないだろと思っていましたが、当時、周りの人はガラケーユーザーが多く、iモードやEZwebを使ってる人があまりいないため、情報が錯綜していました。(当時、家族のドコモのFOMAガラケーはiモード契約はしていなかったみたいです)もちろん、テレビも映らないので、あの津波が太平洋側を襲っていたということも知る由もありませんでした。
とりあえず、宿泊予定の大鰐温泉へ行こうとなったため、家族でタクシーで大鰐温泉のホテルへ。
電気がない中、ガスで温めた温泉に入りましたが、なかなか落ち着きませんでした。ご飯ももう既に地震前に用意してあったため、電気が消えている中、夕食をいただきました。それで、テレビも映らず、iPhoneも電源が入らなかったので、18時に就寝。
翌朝、電気が復旧して、情報収集のため、iPhoneを急遽充電したものの、ソフトバンクの基地局の非常電源が落ちていて、圏外表示。当時、Wi-Fiもなかったので、単なる携帯電話になっていました。
家族のドコモのガラケーは電話は通じていたのですが…
テレビで見るところ、太平洋側で大きな津波が来ていたのを見て、非常に驚愕しました。NHKで福島第1原発の事故のニュースを見て、とんでもない災害だなと思いました。
もし、三陸や福島の浜通りに旅行に行っていたら、死んでいたかもしれないと思う気持ちで、何もできない自分にイライラを抱えていました。
その後、NTT固定回線が復旧して、宿のパソコンでYahoo!JAPAN、BBCのサイトへアクセス。BBCでは、福島の原発がチェルノブイリ並みになると書いてあって、生きた心地がしませんでした。
本当は、大鰐温泉で1泊後、弘南バスで帰京する予定を立てていましたが、様子を見てもう1泊。
そして、飛行機が動いていることが判明、タクシーとバスで青森空港へ。
羽田〜青森便はJALのみでの運行。通常の機材を大型化させて、対応していたものの、青森空港では、多くのキャンセル待ちが。家族と、午前中にキャンセル待ちの予約をして、ようやく乗れたのは最終便。この時が本当に辛かったと言えます。
最悪、伊丹便に乗って、大阪の実家に行くことも検討しましたが、羽田便に乗れたのでよかったです。
羽田空港へ。この時の機長さんのアナウンスに感動しました。ドリンクサービスはないとのことで、退役寸前の機材でようやく羽田空港へ到着。
時間的に家まで間に合う終電はなく、浅草へ向かい、ギリギリ家の近くまで東武線で移動。そして家族に迎えにきてもらい、帰れました。
■この災害は忘れてはならない
正直言って、この災害は忘れてはいけないのだと思いました。毎年、思い出すのが辛いですが、また、似たような災害が起きた時、教訓があるはずです。
この前の福島の地震では、東北新幹線が影響を受け、高速バスと飛行機が迅速に東京と東北を迅速に結んだのは、東日本大震災の教訓があったこそだと思います。
また、携帯キャリアも災害対策を進めていて、当時は繋がらないと評判のソフトバンクも、だいぶ汚名を返上してきたと思います。
>> ねむ125@マイそくSL_ さん
あの地震は思い出すだけでも辛いんですが、あえて、マイネ王に投稿しました。あの頃のソフトバンクは本当に無能で…先日の福島県沖地震では、電話もネットも全くダメージがなかったことに驚きました。即、無事ですの返信ができ、情報もすぐ取ることができました。通信事業者の日々のご努力に感謝しています。
マイネ王らしく通信やケータイも絡めた体験記、さすがです。
私も震災時、妻の実家に向かっていましたから後少し遅かったら津波にのまれたかも?
実際困ったのは電話より、ガソリンが無いこと水道が出ないことでした。
電話の事で悩まれるのは、まだ幸せな方だと思います。
勤務時間中でした。
経験した事の無い長時間かつ
段々強くなる揺れに恐怖を感じました。
これは只事では無いと
全員が仕事を止めて携帯テレビの
ニュースを見ていました。
その後の度重なる余震に
ずっと地震が来ているかの様な
錯覚になった事を覚えています。
そして当日か翌日の
栄村の震度7。
思い出したくありませんが、
忘れては行けないんですよね。
それから、東北通いを始めました。
少しでも復興になれば、と思って。
青森旅行、改めて行きたいですね^_^。
東北大震災の経験談をありがとうございます。
怪我もなく無事で良かったですねえ!!
3月11日になったら思い出しますねえ!!
私も阪神大震災の被災者なので1月17日になったら思い出します。
募金することしか出来ない自分が、なんだか💧
幸いなことに電気は通っていたが、水が出なくて給水車が来ると並んでいた。ミネラルウォーターやカップ麺などを求めてスーパーに並んだ。後で知ったが放射能汚染の中。
県外の親族を頼っての一時避難のため、ガソリンを求めて何時間も並んだ。私の父母は今さら避難などしないとゆずらなかったので、父母を残して避難した。残していったらこのままどうにかなるのでは、と悲しかった。
避難先でのテレビは震災後の悲惨な様子と「ぽぽぽぽーん」「いいえだれでも」ばかりで気が滅入った。
しばらくの間は、実際に揺れていなくても、揺れているような感覚がよく起こっていた。
ほどなく一時避難から戻って元の生活を始めたが、地震よりも原発のせいで生活は一変。今も悪影響は続いている。
そして今度はコロナだし、先月も揺れたし、測量の専門家が地震の注意喚起してるし、やだな~~もお!
コロナ対策と地震対策、できることやっていくしかないね。
このスレが1番真剣と思われ👀
あの日、幸いにも直接的な地震の被害こそ有りませんでしたが、電車も車も動かなくなった東京で、新宿の事務所から自宅までの約20kmを5時間30分掛けて歩いて帰ったことなど、忘れることは出来ません。
また地震発生後、周りでは「携帯が繋がらない」と騒ぎになっていましたが、当時、私が使っていたウィルコムのPHSだけは、終始途切れることなく通話することが出来ました。
おかげで勤務先で動けなくなった妻とも常に連絡を取ることが出来、とても助かったことも忘れられない記憶です。
あらためて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
災害にはいつ来てもいいように、普段から備えましょう!
1億人いれば1億人にそれぞれの3.11があります。
あの震災は、思い出したくないけど、生かせることはあると思います!
とは言っても、ソフトバンクの無能さがよくわかりました。やはり、何かあったときには、ドコモ回線があれば、安心というように痛感したのも事実です。
ドコモは、大ゾーン基地局などありますが、ソフトバンクも災害対策を進めているのも事実です。とは言っても、どこまでやるのかについて、正解はないと思います。
孫正義氏は、ソフトバンクの携帯電話が繋がっていれば、助かる命もあったと発言していたこともありますが、やはり、ライフラインの一巻として、通信は非常に重要です。