記事紹介:真贋を見極める。でも真すら危ういこともある。
http://japan.cnet.com/news/commentary/35092751/
ネットに蔓延する虚偽ニュースにだまされない方法
http://japan.cnet.com/marketers/news/35092785/
ニュース記事とネイティブ広告の区別がつかない学生が多数?--スタンフォード大調査
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ご参考まで。
インターネット上には莫大な情報がありますが,それが本当かどうかの判断はあくまで各個人に委ねられています。インターネットに限らず,オフラインの情報も同様。
でも,真と思ったものでさえ,そうでない場合があります。例えば新聞やテレビでも,公平・中立なんて都合の良いものはありません。人が関わっている以上,何らかの意向が働いていることが多々あります。
いずれにしろ,鵜呑みにせず一旦引いて,冷静に見つめた上で判断したいものです。
インターネットの中の,小さな小さなマイネ王の中でも一緒。
いつも「ご参考まで。」としていますが,そのような思いで書いています。ご覧いただいてどう思うかは,目にした方々次第。
自らの意見はあったとしても,偏っている(であろう)意見を押しつけるつもりはありませんので。
情報の海の中,上手に泳いでいきたいものです。(と,水泳できない私が言ってみる(^^ゞ)
34 件のコメント
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高橋名人逮捕とか、スーパーマリオの9-1とか。。
しょっちゅう騙されておりましたよ (^^;)
ヾ(^v^)k
リアルでも声の大きい人の意見が通っちゃうことがありますからね(^^ゞ
後で冷静になった時,「一体なんであの意見通った?」ってなることが…。
皆さん,驚きの情報には飛びついちゃいますからね(^^ゞ
人は教えてもらえないと,知りたい知りたい!教えて!となりますが,極度に重要な情報や自分にとってよろしくない情報を知りすぎてしまうと,知らない方が幸せだった…ということもありますね。
後で冷静になった時,「一体なんであの意見通った?」ってなることが…。
昨日のNHK大河の真田丸の交渉(和睦の内容)がまさにそうでした(^_^;)。
大蔵卿、どっかに閉じ込めておいて!って思いましたもの。
各所のコメントでも同様なものが多数ありますね(^^ゞ
悲しいことに,声の大きい人は適切な判断ができる人,とは限らないですからね…。
自分的に問題と思うのは・・・・
4月1日に大手が堂々とウソを付くようになり(話題目的ですが)
これを一般の方まで真似し始めて増え始めて傾向があるようです。
営利目的のウソと個人の知名度目的のウソとの
境界が見えにくいのもある。
時には誹謗中傷に発展する場面もあるのでネット社会では難しい所です。
そうですね。いろいろとややこしくなりましたねぇ…。
情報に踊らされても,誹謗中傷に発展して傷つけ合うようなことは避けたいものです。
正しいかどうかは視点や立場でも変わりますので真贋の見極めは極めて難しいと思っています。神ならぬ身の知る由もなし… (-_-)
絶対的な正しさなんてないですからねぇ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161125-01243036-sspa-soci
相手の立場を尊重した上で,言葉を発するべきなのかもしれませんね。難しいことですが。
今も王国広場で何やら怪しげなやりとりがありますね。私には下手な謝罪会見で炎上してしまう企業に見えて仕方ないです。もともとはそんなに悪意がなかった、シャレのつもりだったのに(シャレも出すタイミングが悪すぎたようですが)、謝るタイミング、謝り方を間違えて感情を逆なでするケースですかね。
こういうケースでも爆発するから、真贋が微妙となれば、そりゃもうメチャクチャなところに話が行ってしまいますよね。
会って話せば何のことはないのに,文字になるとそうはいきませんよね。話し方,タイミング,間などありませんから,どんなふうに感じているのかわかりません。
よっぽど気を許せるまでは,馴れ馴れしい言葉遣いや軽い冗談さえも,できるだけ避けるようにしています。特にマイネ王などのオンラインでは。
自分としての礼儀でもありますが,自分を守るためとも言えます。
のは、真偽を判断するための基本だと思います。
ただ、それでも分からないことがあるので、結局最後は自分の勘ですね。(^^;
ただ、私はGoogle画像検索まではやっていなかったのでなるほどなと
思いました。
私自身は偽のニュースに騙されることはあまりないのですが、これは怪しい
と思った投稿が本物だったってことはあります。
具体的には博多駅前の崩落写真はあまりに衝撃的な写真だったので、
メディアが報道される前の時点では本物だろうかと疑ってしまいました(^^ゞ
先日の地震もそうでしたが,昔からデマというのは変わらず広がるものですよね…。
一人一人独立した考えを持っているように捉えがちですが,一人で生きていない以上,必ず何かの影響を受けて,自分なりの考えを形成しているわけで…。
ヒトとインターネットは鏡に映ったものどうしなのかもしれません。
そうなんですね。私は初対面の方にもかなり危ない言い方をしてしまう方なので、きっと不愉快な方も多いのだろうと思ってます。自分の発している温度できっと受け止めてもらっているという安易さがあるんですね。
一旦受け止め方が間違うと、あとはエスカレーションの一途…仕方ないんですかね。
本当は欧米並みに(?)もっとフランクで良いのかもしれませんが,日本ではそうもいきませんからねぇ…。
まぁ,徐々に打ち解けていくプロセスもまた楽しいと思いながら…。
そうですよね。私たちは当たり前のように「真実はどこだ?」って考えるし、そのための行動を取りますよね。その方法、道筋はそれぞれに違うかもしれないが、「真実はどこだ?」という姿勢は共通しているはず、と疑ったことはないですよね。
Post Truthって、その「真実はどこだ?」ってことをやめてしまう。それどころか、「真実?関係ねえや」「俺様が真実だ」っていう心理が蔓延していること、蔓延しやすい状況にあることをいうようですね。
ヒィロさんがこのスレッドで提示されていることはまさにこのことかな、って思って思わずコメント書いちゃったんですが、先ほどからのご指摘どおり、温度感が違う中でいきなり書くのはちょっとなあ、と反省しているところです。
1リットル位の空ペットボトルが救命浮輪の替わりになると聞きました、500mlなら持ち歩いている事が多いですし、いつでも中身を捨てて構わない(笑)ですが果たして?
これも一応鵜吞みにしないで、お風呂場で試してから実行(?)して下さい。
水分補給はよくするので,ペットボトルは比較的持ち歩いているかもしれません。
でも,500mlなんで浮かなさそう…。
何より水辺には近づかないようにしています(^^ゞ
藁よりはずいぶん良さそうですね(^^ゞ
> 極論に見える考え方を、人に、まずは受け入れてもらう為に、
オフラインでも,いろいろな根回しなどが必要になることがありますものね。
「極論に見える考え方を、人に、まずは受け入れてもらう為に、皆さんのおっしゃる逆サイドからアプローチする」という点について
具体的な例を教えてもらえませんでしょうか。私も行間を読まずに表面をざーっと読むことがあり、例えばwagamiさんがおっしゃるケースなどでは誤解したままになるかな、と思ったものですから。
逆に、そのような手法で表現した文面を、表層的に読まれて誤解された、という経験はありませんか?
ヒィロさんのおっしゃるように
>会って話せば何のことはないのに,文字になるとそうはいきません
って所は非常にリスキーなので、文章では、奇をてらったことはあまりしないようにしてます…なつもりですw
ネットなんかじゃ、怖くてできないと思います。文章だけなら、地道に正攻法、がBESTじゃないでしょうか?
口頭でじっくり話せる環境がなければ、本当にただの極論で終わってしまいます。
拒絶感を乗り越えてファクトに目を向け自分の頭でもう一度考える、そこに辿り着くために、詐欺師のような「方法論」で道をつける、こんな感じでしょうか。
(リアルワールドだと、例えばカルトからのホニャララが○✕△☆!%…。)
相手を信用するかどうかは、嘘をつくかつかないかが一つの判断基準になります。
特に大事なのは、誰に対してもそうなのか、です。
反面、ココロ豊かな社会では明白な嘘に気づかぬフリをして受け入れたりもします。
真実と事実が時に同じでないように、真贋も真だけが正義ではないと思います。
とは言え一線を越えたら自分を抑えることはできませんけどね。
問題は線の位置も長さも、十人十色という難しさですネ。
世の中の多くは,そうである,そうでない,と明確に切り分けられないものに溢れていますからねぇ。
年を重ねて,世の中を知れば知るほど,その複雑さに取り込まれそうになります。
まぁ,そんなふうに思っているうちは,世の中を知ったことにならないと,年長者に苦笑いされそうですけど(^^ゞ
ヒィロ様
619_ak@mnemo様
本来、意見の断片的な切り取りはしてはならないと思いますが、すいません、あえて切り取りします。
wagami様
ファクトに目を向け自分の頭でもう一度考える、そこに辿り着くために、詐欺師のような「方法論」で道をつける
619_ak@mnemo様
線の位置も長さも、十人十色という難しさですネ。
真贋も賛否も正誤でさえも、状況あるいは文脈で変わってしまい
1本の線でさえ、誰が描いたかでその価値が変わってしまう
ヒィロ様
世の中の多くは,そうである,そうでない,と明確に切り分けられないものに溢れています
お三方の意見は、ネット上の議論が相対的なもの、そもそも懐疑的なものであるとのお考えが共通していて、だから慎重に対応するのだ、もし論議が妙な方向に向えばあえて正反対からアプローチすることもある、という点で共通されているように思いました。
同意です。
しかし、実際にはお三方のような、理性的な素地の上で論を進めるのではなく、情動的といいますか、そういう発言も散見されるわけで(他のコミュニケーションサイトに比べると比較にならないほど少ないですが)、一旦情動に支配されるとエスカレーションの一途をたどる、手段を選ばない、さらには目的ですらいつのまにか目の前の相手を罵倒すること自体に目的が移行する、というような事態を見かけるわけです。
これって、仕方ない、そういう時は近寄らない、くらいの対処法しかないんですかね。義を観て立たずんば(いやいや義すら相対的かもしれませんが)、とも思いますし、なにもしなければ結果そういう情動的な発言を認めたことになり、さらに全体の雰囲気はさらに悪化するようにも思われるんですが。考えること自体が無意味なのかなと思うと鬱になります。
言及されているような残念なやりとりに,私は加わるつもりはありません。
自分の大事な時間をそれに費やすことに,何ら意義を見出すことはできません。
それよりももっと,「したいこと,やるべきこと」は他にたくさん溢れていますから。
ご自分の大切な時間や、他にしたいこと、やるべきことが明確になっている方はそれでいいのではないでしょうか。また、速やかに気分を切り換える事ができる方もいいかもしれませんね。
少し最初の主題から逸れそうな書き込みをした私が良くなかったと思います。主題は『真贋を見極める』でしたね。
失礼しました。
何より,あまり悩まれないよう,ご自愛下さいね。