女子高生の象徴からおじさん愛用のアイテムに!? 2020年に終了するPHSの変遷を振り返ろう
2020年にすべての一般向けサービスが終了するPHS(Personal Handy-phone System)。1995年に生まれ、25年でその歴史を閉じることとなりました。「ピッチ」という通称は、「アムラー」「ガングロ」「コギャル」などと合わせて、90年代後半の女子高生を象徴するキーワードと言えるでしょう。
今ではほとんど見かけなくなりましたが、一体どんなものだったのでしょうか。どういった人が使っていたのか、携帯電話(ケータイ)との違いは何なのか、デジタルライターのコヤマタカヒロさんに話を聞きました。
〜 本文は省略されました 〜
PALさんのコメント
PHSの話なら投稿せざるを得ません。
実は、25年ほど前にPHSの技術開発をやっていました!
開発最初の年は新技術の実現性を確認するための「実証実験」です。
この時に作った最初の試作機は弁当箱を2つ重ねた位の大きさで重さが3kgもあったので、“Personal Heavy Phone"と陰口をたたかれていました。
(PHSはPersonal Handy Phone Systemの略です)
翌年の「実用化実験」では、真冬に札幌の街中を歩きながら通信可能距離を測定したり、東京のビルの屋上でビル風で凍えそうになりながら実験していました。
その後は量産端末の設計もやりましたが、ソフト開発が遅れて完成したのが発売3日前、関係者全員が夜中に工場のラインに並んでダウンロードしたのを覚えています(涙)。
PHSは今でも勤務先の構内電話として使っています。
軽くて電池もちが良く、何より通話音がキレイで聞き易いのが仕事用に適していると思います。
公衆PHSサービスが終了するのは残念ですが、5Gでワクワクするような新技術や新製品が出てくることを期待しています!
実は、25年ほど前にPHSの技術開発をやっていました!
開発最初の年は新技術の実現性を確認するための「実証実験」です。
この時に作った最初の試作機は弁当箱を2つ重ねた位の大きさで重さが3kgもあったので、“Personal Heavy Phone"と陰口をたたかれていました。
(PHSはPersonal Handy Phone Systemの略です)
翌年の「実用化実験」では、真冬に札幌の街中を歩きながら通信可能距離を測定したり、東京のビルの屋上でビル風で凍えそうになりながら実験していました。
その後は量産端末の設計もやりましたが、ソフト開発が遅れて完成したのが発売3日前、関係者全員が夜中に工場のラインに並んでダウンロードしたのを覚えています(涙)。
PHSは今でも勤務先の構内電話として使っています。
軽くて電池もちが良く、何より通話音がキレイで聞き易いのが仕事用に適していると思います。
公衆PHSサービスが終了するのは残念ですが、5Gでワクワクするような新技術や新製品が出てくることを期待しています!