初めての携帯電話で、YMOファンBBSに書き込んでいたころの思い出
ライター: 斎藤 充博
インターネットが大好きで、Web記事を書くことがどうしてもやめられない指圧師です。「下北沢ふしぎ指圧」を運営中。
インターネットが大好きで、Web記事を書くことがどうしてもやめられない指圧師です。「下北沢ふしぎ指圧」を運営中。
携帯電話が普及し始めた2000年頃。高校生の中にも、ケータイを持つ人が少しずつ出てきました。
こんにちは。1982年生まれのたまにマンガも描くライター、斎藤充博です。僕の世代は、ちょうど2000年頃が思春期真っ只中で、ITの進歩と共に青春を過ごしていたと思います。そんな僕の思い出をマンガにしてみました。
第1回目は「初めての携帯電話」の思い出です。iモードで掲示板に書き込んでいたときのことや、みんな着信音に執拗にこだわっていた時代がいまも忘れられません。全ての体験が新しく、「これが未来だ!」と思っていたのです。
時代が時代なだけに、今回はドコモの話ばかりになってしまいました。マイネ王はmineoのメディアなのに大丈夫なんでしょうか。今後も昔の思い出を中心に書く予定なので、mineoは影も姿も出てこないかもしれません。
(企画・編集:ノオト)
57 件のコメント
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D210i
私も似たようなケータイ使ってました♪
次回でなくても良いので、ソフトバンクの「ホワイトプランの衝撃」なんてのもぜひお願いします。
このころは通信も定額が無くて、完全従量課金でパケットパックの基本料金によってパケット単価が変わったり無料パケット数が決まってましたよねぇ。
重いコンテンツは無かったですから、パケ死なんてことはそんなに起きてない時代でしたけど、従量課金しかないってのは今考えるとすごい時代でしたよね。
不便でも新しさで何でも許せた…にしんみり。
懐かし〜青春でした。
2000年問題と言うのがありました。
ドコモからAU に乗り換えた頃です。