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東京・神田に一風変わった博物館があります。その名も「絶滅メディア博物館」。「紙と石以外のメディアはすべて絶滅する」という考えのもと、進化の過程で滅んだ、もしくは滅びつつあるメディア関連機器が展示されている私設博物館です。
カメラ、パソコン、記録メディア、携帯電話、PDA、キーボード付きモバイル端末など約3000点が収蔵されており、うち1500点が常設展示されています。その8割が寄贈によって集まってきたものだそう。
はたして、館内にはどんな「絶滅メディア」があるのでしょうか? 館長の川井拓也さんに案内していただきました。
——こうして見ると、ガジェットの多さに圧倒されますね。さっそくですが、展示品の解説をお願いします。
わかりました。では、まずはPDAから。
PDAとはPersonal Digital Assistantの略で、自分の生活やスケジュールを管理するものとして最初に提唱したのが、Appleの「Newton」です。
スタイラスペンで書くと、アルファベットに直してくれる仕様です。ただ、日本語で書くにはフラッシュメモリカードに日本語OSを入れる必要があり、認識の精度もそれほど高くなかったので、日本ではヒットしませんでした。日本だとシャープ「Zaurus」が有名ですが、タイミング的にはNewtonとほぼ同時期です。
ちなみに、PDAという言葉(概念)を提唱したのはAppleですが、その前にシャープが電子手帳を発売しているので、それも含めるとシャープの方が取り組みが早かったといえます。
その後、ソニー「CLIE」なども発売され、PDAブームが巻き起こります。ただ当時のメイン機能は、スケジュールと電話、ToDo、メモぐらいしかなかったんです。
——今でいうアプリが4つしかなかった、と。
最初の頃は通信もできなかったので、クレードルという台座に乗せ、パソコンとつなげてデータを転送していました。その後、PDA本体に通信スロットが付きます。過渡期のデバイスともいえますが、この頃はまだパソコンが重かったので、PDAのような小さいものが好まれたんですよね。
ソニーはその後、独自の拡張を始めました。カメラ、キーボード、FeliCaなど、ソニーが得意な機能を「全部入り」にしちゃったんです。2003年にしては超ハイテクですよね。
——肥大化したガラケーみたいな感じですね。
Appleは1997年、Newtonシリーズの中では異色ともいえる「eMate 300」を発売しました。
——ノートパソコンみたいですね。
これは教育市場向けのデバイスなんですが、デザイン史の中でも高く評価されています。1997年発売なので、初代iMacの1年前ですね。接続端子は2ポートありますが、同時には接続できないため、スライドカバーにより片側のポートのみが露出する構造になっています。ほかにもペンを立てられる穴など、細部まで考えられている非常に美しいデザインです。
——すごい! 携帯電話がずらりと並んでいて、まさにガラケーの歴史ですね。
最初の頃はまだ契約金が高かったので、個人で持つというより会社で契約する時代でした。2000年前後になると、少しデザインが入ってきたり「写メール」が始まったりして、面白くなってきます。2003年あたりがデザインの変革期で、「au designプロジェクト」のINFOBARなど、いろんなバリエーションが出てきました。その後、2005年頃にワンセグやミュージックプレーヤー機能が追加され、2007年にiPhoneが登場します。
ソニーで評判だったジョグダイヤルの機種です。初期のジョグダイヤルは上下のスクロールしかなかったのですが、その後に進化して「くるくる回して、ピッと押し込む」形に。当時とてもヒットしましたが、ゲームはやりにくいということで廃止になりました。
今はSIMが当たり前ですが、WILLCOMは最初期にSIMを出したPHSブランドです。当時は契約の縛りがあったので、簡単に電話番号を移動させることはできませんでした。でもこれは「他の端末にSIMを入れ替えれば、番号ごと移動できる」というのを売りにしたんです。
といっても、WILLCOM内の対応端末で使用できるだけであり、キャリアをまたげるSIMではありません。それでも、自分の電話番号を維持したまま自由に機種変更できるシステムは、当時としては画期的でした。
ワンセグの時代は「テレビが見られる」というのが売りだったので、縦と横を入れ替えられる機種がいろいろありました。
docomo PRIME series P-01A(パナソニック/2008年)は、縦に開けると通常のキー表示ですが、横に開くと横専用のキー配列へと変化します。
——ギミックが面白いですね!
ドコモ「iBOARD」(2000年)。ガラケーの外付けキーボードですね。2000年前後は、こういう周辺機器がいっぱい発売されました。
「キャメッセプチ」(2000年)。写真を撮ったあと、ペンでプリクラみたいに落書きして送ります。いわば「外付けのプリクラ写メール機」ですね。ただし、これ単体では通信できません。ガラケーに接続して写真を送信します。
「ポケット・ポストペット」(2000年)。So-netが作っていたアプリケーション「ポストペット」の端末版で、携帯電話に接続して使います。
——デザインがかわいいですね。当時はガラケーでボタンをぽちぽち打っていたから、「やっぱりキーボードがあった方が入力しやすい」という感覚だったんでしょうね。
これ、何だか分かりますか? 「モデムセイバー」(1992年)というもので、海外の電話線ジャックと手持ちのパソコンのモデムをつなげる際、電流が強すぎて壊れることを防ぐためのガジェットです。
——電話線の電流を調べるためだけの機械?
調べるだけのものと、極性を変換できるものもありました。海外出張でノートパソコンを使っていた人にロードウォリアー(旅行向けモバイル用品のブランド名)のモデムセイバーを見せると、「空港で売ってた!」「懐かしい!」ってなると思いますよ。
これは、GPSのログとデジカメで撮影した写真の時刻をパソコンで一致させて、「この写真はこの位置のデータ」と付加させるためのGPSデバイスです。
——位置情報を取得するためだけの「GPS専用デバイス」があったんですね。当時は外付けにせざるを得なかった、と。
そう、このあたりにある製品の機能は、今はスマートフォン1個に入っているんですよね。
ソニーのVAIOに「ハンディカム」のレンズユニットを付けちゃった製品です。カメラを回転させてライブ配信ができます。といっても、まだYouTubeもない頃ですから、「専用のサービスを契約すると、運動会や結婚式が中継できますよ」というものでした。
キーボード、カメラ、Wi-Fiアンテナ、グリップ型のバッテリー、メモリースティック、コンパクトフラッシュも使える小型のVAIOです。初代iPhoneの発売が2007年なので、その1年前ですね。
——これを何とかしたら、iPhoneに勝てたかも……?
そこが難しいところですよね。これは当時の携帯電話やパソコンの延長線上として考えられたものであり、iPhoneは完全にゼロからの発想ですから。
スティーブ・ジョブズはiPhoneのプレゼンテーションで、「いまスマートフォンと呼ばれているものは、全然スマートじゃない。小さいキーボードやスタイラスペンなんかいらないんだ。一番素晴らしいポインティングデバイスは、人間の指だ」と発言しています。
そのときジョブズがディスった4機種(Moto Q、BlackBerry、Palm Treo、Nokia E62)のうち、3つは揃いました。iPhone以前は、この形が「スマートフォン」の標準だったんです。
——確かに、いま見ると「スマート」とは言い難いですね。
フロッピーディスク以降に登場した記録メディアを並べています。
——zipはなんとなく覚えていますが、jaz(ジャズ)、SyQuest(サイクエスト)、ezflyer(イージーフライヤー)なんていう記録メディアもあったんですね。はじめて知りました。
——展示物を手に取れるというのは、一般的な博物館にはない魅力ですよね。なぜ「触れる博物館」にしたのでしょうか?
行政が運営している歴史博物館って、入館料が200~300円くらいですよね。それは行政からの補助金やミュージアムグッズの売上があるから。実際には、運営費が1人あたり2,000~3,000円くらいかかっているんです。
ここは私設なので、補助金は一切ありません。入館料を公共博物館レベルに設定すると、家賃や人件費が払えなくなってしまいます。なので、入館料は映画1本分にあたる2,000円に設定しました。その代わり、触れる博物館にしたんです。絵画は触らなくてもいいけど、こういう機器は「触ってみたい」という欲望が出てくるでしょう? もちろん破損や盗難のリスクもありますが、オープンしてから盗難は1件もありません。
でも、半分くらいの来館者は、怖がって触らないんですよ。
——「貴重なものだから、触って壊しちゃうとまずい」という意識が働く、と。来館者はどんな人が多いのでしょうか?
半分くらいが訪日外国人観光客です。世代は若者からお年寄りまで幅広いですね。若い人にとっては、物理的なものが面白いんです。「ボタンがいっぱいある!」って。
——来館者からは、どんな感想が聞かれますか?
一番多いのは、「過去の記憶を思い出した」という感想ですね。「この携帯で恋人にメール送ってたな」「このビデオカメラで、子どもの運動会を撮ったな」とか。
あとは、「かつて憧れていた製品がありました」という感想。つまり、「当時めちゃくちゃ欲しかったけど、買えなかった製品だ!」みたいな再会があるんです。日本が一番元気だった頃の製品が揃っているので、外国人にとっても楽しいんですよね。
——展示品の約8割が寄贈品とのことですが、どんな人が、どんな理由で寄贈するのでしょうか?
理由は2つあります。1つめは、いっぱい機材を持っている人や、過去の同じ機体をオークションで複数買って稼働品を作る機材マニアの人。2つめは生前終活ですね。家族はただのゴミだと認識しているので、「このまま死んだら産業廃棄物になる。でも博物館に寄贈したら、好きな人が見に来てくれるだろう」と。いわば永代供養の場所ですね(笑)。
——いま探しているものはありますか?
1999年にヒットした映画「マトリックス」に登場する携帯電話「Nokia 8110」です。もしお持ちの方は、ぜひ寄贈してください。
ただ、展示・収蔵スペース共にもういっぱいなので、何か寄贈したいものがあれば事前に写真を送っていただけるとありがたいです。
——今後の予定や夢はありますか?
とにかく認知度を上げて、来館者を増やしたいですね。正直、博物館単体ではまだ赤字なんです。あとは、「この製品、俺が作ってたよ」という方がたまに来館されるので、ボランティア解説員や子ども向けワークショップの講師としてお手伝いいただくなど、学べる博物館にしていきたいと思っています。
夢としては、「スティーブン・スピルバーグ監督やマーティン・スコセッシ監督が、レッドカーペットで来日したついでに来ないかな?」とか、エヴァンゲリオンのシンジくんが使っていたDATプレーヤーがあるので、「庵野秀明さん、ふらっと来ないかな」とか。そんな妄想をしています(笑)。
何処まで行く⁇行き着くのかなぁ~⁇終着もなさそうですね🐾
興味深く楽しい記事を拝読させてもらいました。
ナイスレポートありがとうございます。
スタートはシナイ山から持ち帰ったモーセの石板(タブレット)なのかなぁ〜と、
ふと思いました🐾
その辺りも知りたいカモですね🦆🤙📲🐰
遊び場ですね ☺︎
たまりませんこのコーナー(≧∇≦)
実はレトロ家電集めてますw
ポケベル、見えラジなどw
ありがとうございます!
Newton、はい、買いましたよ!高かったよ!
使ってみた感想は、「お前、アメリカ人だな…」でした。まだ多言語対応にはほど遠く、日本語入れると重すぎてノロノロになっちゃって、使い物になりませんでした。
「紙と石以外のメディアは全て絶滅する」実に慧眼ですね。

これらはゲーム機だからジャンルがちがうか。1997年。今でも似たものはありそうです。