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故人をデジタル上で蘇らせるのはアリか、ナシか? 亡き妻の歌声をAIで制作した松尾公也さんと考える

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〜 本文は省略されました 〜

_カブさんのコメント

>> _カブ さん

「故人を偲ぶ」方法の違いではないか と感じます。故人を偲び続けるのもよし、
故人を 時の流れの中で 忘れていくのもよし かと思います

 複製芸術時代以後、故人(生人)の作品は 公表すると 引用される という関係があります
 記事の場合は セルフカバー的とも感じました

 ボーカロイドの 中の人 が故人となった場合と 本質的な差異は少ない と感じます


記事の主旨とは ずれますが、
故人(生人)の「お気持ち」を持ち出すのは どうなんだろ と感じます
(検証不可能な問題を提示する「詭弁」)

 故人の お気持ちを 聞き出すには イタコに故人を呼び出してもらうしかありません
(イタコの宗教的意義は否定しません。死生観も 感情そのものの話だろうと感じます)


(参考)
詭弁
https://ja.wikipedia.org/wiki/詭弁

意図的に誤りを押し付けるのが 詭弁
誤りに気付いていない状態が 誤謬

結果的には 同じではないかと思います
(誤謬を装った詭弁も「お気持ち」の推測はできない以上、見破ることはできない)