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延暦寺の修行、遠洋マグロ漁船、辺境の宿……「スマホが使えない場所」でどう過ごしているの?

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〜 本文は省略されました 〜

コイン・ランドリーさんのコメント
依存症というのは扱う時間ではなく、使用に因り不安を緩和する状態にある
携帯端末の有無の問題ではなく、コンテンツの存在の有無が問題となる
特定のコンテンツが無いと不安と焦燥感に襲われる気がする様になる
故に禁止されている状況に於いてもコンテンツを使用したくなるといったいわば割り切りの利かない状態となる

宗教の信者もある意味依存症だけどな……
僧侶なんて神仏依存症だろう
修行僧であろうと神仏に仕えたくて態々出家して修行するのだから、既に依存性優先順位の高い媒体が存在するのであれば俗世の情報なんかどうでもいいのだろう
例え持ち込み禁止でなくても、その内コンテンツなどは必要としなくなって来るのではないだろうか
あとは朝から晩まで皆で毎日決まって同じ事やってるから、娯楽的なコンテンツなんか差して気にならないのではねぇのかな

煙草もニコチンに依存性があるのではなく、心理性の物だ
だからニコチンは3日で抜ける筈なのに「禁煙して10年経ても他人の喫煙を見ると吸いたくなる」という事例はその為である
詰まり禁煙などは気持ちの持ち様であり、ニコチンのみを摂取しようと無駄な所業である

又、禁煙したからといって過去喫煙歴のある者が他人を“悪行”として叩く行為は愚かな物である
喫煙を悪としながら、過去の自身を卑しめる行為に過ぎない
自から煙草を絶たのではなく状況的に絶たされた為、心理的に依存症は解消されていない状態にある
依存症が解消された状態であれば、自身に関係しなくなった物などは一々関心など示さなくて良い筈である
無意識では禁煙の代償として他人を卑しめているのである

自力ではなく他力に因て絶たされた為に自身の過去を認められず、他人を卑下する事に因り存在証明を行い、過去の行いを存在なかった事にしている
本当に喫煙が悪い事だと思えば、自分の過去を反省し他人を卑しめる真似はしない事だろう
依存性から開放されていない為に他物を媒体とし、無意識で過去の我が身を叩くのである

過去を反省すれば自身も同じ喫煙者であったという事を忘却し、他物を卑下する事は無意識では他物を媒体に自身攻撃している始末となる
心理を解せば、それもある種の依存症状だが
そういった人物は其れを悟る迄自身を認める事は不成
自身を憎み続ける事となる
愚かな事だ