消えた情報端末「PDA」って知ってる? モバイル黎明期、未来は僕らの手の中だった
ローカルネタ・ガジェット・卓球が好きなライター。過去に番組リサーチャーとして秘密のケンミンSHOWなどを担当。
1990〜2000年代にかけて、PDA(Personal Digital Assistant)という、いわば“小さなパソコン”がよく使われていた。
ノートPCと、ガラケーの中間をいくポジションのコンピューターであり、ちょっとしたインターネットや文書作成、電子手帳的な作業ができる機器で、筆者も所持していたことがある。
しかしだいたいスマートフォンが普及したぐらいから、その姿はとんと見かけなくなった。
PDAはどこから来て、どう使われて、どう去って行ったのか。
PDAマガジン(エンターブレイン)で編集長を務めたジャイアン鈴木さんの自宅へお邪魔して、お話を伺った。
2000年前後に一般層でブレイク
辰井
PDAっていつから人気が出たんですか?
ジャイアン鈴木(以下、鈴木)
日本の一般層に普及したのは、ソニーがCLIE(クリエ)を出した2000年前後だと思います。それにPHSカードを入れて、通信できるようになったぐらいからですね。
▲CLIE の初代モデルPEG-S500C。あのソニーがPDAに参入したのは大きなインパクトに(SONY プレスリリース より)
辰井
AIR-EDGEですね。ダイヤルアップより遅い32Kbpsとかでしたが、僕も使っていました。
▲DDIポケットのPHSデータカード、CFE-02(NECインフロンティア)(Photo by Marus )
辰井
当時のWEBブラウジングには、満足していましたか?
鈴木
端末のスピードはそこまで不満はありませんでした。ただPHSの電波を使ったAIR-EDGEは、電車の走行中などにデータを受信しづらかったんです。
辰井
そうでしたね……!
鈴木
なので、駅に着いたときにアクセスしてデータを読んで、移動している間に読むようにしていました。
辰井
当時PHSを使っていた人は、自然にそのしぐさをしていたかもしれませんね。
鈴木
あと1997年12月に発売した、ドコモのポケットボードとか。
辰井
ありましたね……! 10円でメールができる簡易的入力デバイス。
▲ポケットボード(NTTドコモ)。当時は10円という安さでメールができた画期的な端末だった(photo by Takkitakitaki )
鈴木
携帯電話とつなぐ、PDA的に使う端末ですね。そのほかにもWindows CEで動くポケットポストペットなんてのもありました。
辰井
うわぁ、あった!
▲ポケットポストペット(NTTドコモ)。ネットサーフィンやメールができたほか、ちょっと変なゲームも搭載されていた(Photo by Marus )
辰井
お部屋には名機と言われたPDAがそろっていますね。
鈴木
この中でいちばん古いのが1994年発売の「HP200LX」です。はじめて買ったPDAが前バージョンのHP95LXかHP100LXで、その後継ですね。
辰井
時代を感じさせるモノクロ液晶。
▲PDAの走り、HP200LX(Photo by Tamie49 )
鈴木
マニア層には火付け役となった一台で、当時は確か10万円近かったです。
辰井
あのころはPCもすごく高くて、30万円超えもザラでしたからね。
鈴木
使えたのは電卓、電話帳、メモとか。パソコン通信【※】もできましたよ。
※ インターネットが一般的でなかったころに流行していた通信サービス。電子メールや電子掲示板、チャットなど文字によるやりとりが中心だった。
辰井
あ、「Lotus 1-2-3【※】のキーは懐かしいですね。当時使っていましたか?
※ 一世を風靡した表計算ソフト。マイクロソフトのExcelに圧され2013年に販売を終了した。
▲1991年発売のHP95LXでLotus 1-2-3を使う(Photo by Jiri Brozovsky )
鈴木
はい、パソコンのベンチマーク(性能の評価)をするときに、このロータスで数字を記録していました。あとは……マイクロソフトのフライトシミュレーター(飛行機の操縦を疑似体験するソフトウェア)が動いたんですよ。
辰井
へええ~! シミュレーターってマシンパワーが必要なイメージがありますが。
鈴木
それでも3D表示で動いていました。ゴールデンゲートブリッジの下をわざとくぐって遊んでいましたよ。
パソコン通信の書き込みを取り込んで読んでいた
辰井
PDAを好きになるきっかけはなんでしたか?
鈴木
当時、PDAでは携帯電話の赤外線経由で通信できる機能があったんですよね。遅かったんですけれども、それが楽しくて。
辰井
当時からすると、画期的だっただろうなぁ。
鈴木
あとニフティサーブなどのパソコン通信の書き込みをPDAで取り込んで、読んでいました。
辰井
当時は接続に電話代がかかりましたし、あとで一気に読めるのはいいですね。
鈴木
ほかはスケジュール管理とかをしていましたね。ちなみに200LXは主に親指でタイピングしていましたが、タッチタイピングも前は少しできました。
辰井
小さいのに、すごい……!
鈴木
はい。当時雑誌の仕事でイラストの原本をタクシーで取りに行っていたんですけど、40分の移動時間、これで原稿を書いていました。
片手で使えたネットマシン、使い心地は?
辰井
ちなみにPDAって処理速度が遅いイメージがありましたが、どうでしたか?
鈴木
当時はPDAよりも携帯電話のネット回線のほうが遅かったので、ネットサーフィンに不満はありませんでした。が、ソフトを動かすには中には重いものもありましたね。
辰井
当時でこんなに小さな筐体でしたからね。ちなみに当時は高級ながらもそこそこ小さなモバイルノートPCもありました。それ一台で済まそうとは考えなかったですか?
鈴木
満員電車の中で、片手で使える端末はPDAぐらいなので。当時は東芝のGENIO eにAIR-EDGEを入れて、電車通勤中にネットを見ていました。
辰井
確かに片手のブラウジングはPCでは難しいですね。PDAって小さなパソコンのイメージでしたけど、どこまでPCらしいことができましたか?
鈴木
僕が持っていたリナックス【※】ザウルスに関しては、オフィス互換アプリも入っていて、文章作成や表計算が使えましたね。
※ コンピューターを動かす基本ソフトの一つで、Windowsなどと違い無料でカスタマイズの自由度が高い。
辰井
マイクロソフトのオフィスは?
鈴木
機能制限版ですが、Windows CEを搭載したPDAではWordやExcelなどが使えました。
辰井
使い勝手はいかがでしたか?
鈴木
基本的に当時の PCと同じようなことはできました。ただメモリ容量が小さいので大きなデータを扱えずにたくさんの写真を貼り付けたドキュメントの編集はできなかったのと、ソフトの切り替えが遅かったですね。
▲HP 620LX。画面右にWordやExcel、PowerPointのアイコンが確認できる(photo by Geognerd )
iPhoneの登場で一気に衰退……いまのPDA事情は?
辰井
人気を博したPDAはその後、衰退していくわけですが、何か兆候はあったのでしょうか?
鈴木
ある種PDAの顔的存在だったCLIEがなくなり、シャープのリナックスザウルスもSL-C3200を最後になくなり、PDA時代が終焉に向かっていった印象です。
辰井
なるほど。PDAの人気はいつまで続きましたか?
鈴木
やっぱりiPhoneが出るまでですね。PDAはソフトのインストールに知識が必要だったんですが、iPhoneはApp Storeから簡単にインストールできました。さらに開発者側が収入を得られる手段ができたので、たくさんのアプリがあふれかえって。iPhoneが普及したのはApp Storeの存在がいちばん大きかったと思います。
▲iPhone 3Gの本体と箱(Photo by Dimitris Kalogeropoylos )
辰井
ちなみにPDAをあまり見かけなくなったのも、そのあたりですか?
鈴木
はい、2008年7月に日本でiPhone 3Gが出た後からは、決定的に使われなくなったなと思います。
辰井
ちなみに、こういうPDAをいまだに使っている方っているんですか?
鈴木
HP200LXはまだ使っている方は割といますね。
辰井
ええ~! ちなみに鈴木さんが思う、いまでも使えそうな昔のPDAはありますか?
鈴木
強いて言えば、リナックスザウルスのSLC-3200とか。Amazonで中古が2万円前後で買えるので、それにWi-Fiの通信カードを挿して、多少カスタマイズすればWEBブラウジングやメールとかは一通りできるはずです。
辰井
PDAを売っているお店も減っていますよね。
鈴木
秋葉原のBEEPさんとかソフマップさんでは、昔の機種をたまに見かけますね。
辰井
へええ、探してみたいな。
アポロ11号を思い出す、感慨深いPDA
辰井
PDAは当時のモバイルシーンにおいて、どんな存在でしたか?
鈴木
「PCがポケットの中に入るんだ」と。いままで持ち歩くのが大変だったのに、いろんな情報へのアクセスがすごく便利になったと思います。
辰井
当時はノートPCもすごく重かったし、ガラケーでは読めないサイトも多かったですからね。では最後に、鈴木さんにとってPDAとは?
鈴木
……昔から、小さい機械が好きだったんですよ。ポケコン【※】も好きでしたし、はじめて買ったゲーム機もファミリーコンピュータで。
※ ポケットコンピューター。関数電卓としての機能をそなえ、プログラミングもできた。
辰井
ファミコンですね。
鈴木
僕の生まれた年に、はじめて人類がロケットで月に着陸したんですけれども。
辰井
1969年、アポロ11号ですね。
鈴木
そのときに使ったコンピューターが、ファミコン並みの性能だったという話もあって。自分の生まれた年に大きな人類の第一歩を踏みしめるのに貢献したものより高性能なコンピューターが、いまは自分のポケットの中に入っちゃうんだっていうのが感慨深くて。
辰井
わかる気がします。
鈴木
たくさんの情報を持つことができて、自分の能力を拡張するものとして、すごく……誇らしかったって言うと、ちょっとヘンなんですけどね。僕にとってPDAは、そういう存在です。
(編集:ノオト )
時代の変化には驚くばかりですね。。
1990年代に青い翼のA社の国内線の若いCAさん達は、ポケットボードをみんな持っていました。
地方ステイが多かったので、東京で落ち合って飲むために、ドコモの10円メールをポケットボードで送りあって連絡を取り合っていたんです。
当時は、画期的でした。
PDAは余り使いませんでした。
Lotus 1-2-3
Ward pro とか有りました。
今でも、リッチテキストに変換しているのもあります。
黎明期ならではの楽しさがあります。
今は画一化しているので、それはそれで
楽しい。またの投稿をお待ちしています。
あったなぁ。
カッコイイと思いつつ
自分がどう使いこなすか想像できなくて
欲しいとまでは思いませんでした。
32Kbpsでしたが、どこでも使えて便利でした。
今でも取ってあります。
懐かしい!
懐かしいですねー。今ではどうということないですが、スケジュールが共有できるのは画期的でした。ただし、今では有り得ないですが共有がリアルタイムではなくて遅れたりしてましたがσ(^_^;)
その他、PHSのガラケーの小さな画面でwebを見て感激してましたね。
今iphoneですが、ほんとにこの進歩は恐ろしいぐらいです。
全く知りませんでした。
この時代、この軽量仕様に驚きました👍
今みたく通信速度は速くなかったですよね
Lotus 1-2-3は黄色い箱のですね^ ^
久しぶりに名前を聞きました。
懐かしかったです♡
貴重な情報をありがとうございました🎹
毎月のように新機種が出るので、物欲を抑えるのが大変でした。
グラフィティー入力、今でもできます!
CFカード型のPHSもなくてはならないアイテムでしたね。
あれがあって、今がある、のですね。
校則で携帯禁止だったので、電子辞書に見せかけてこっそりと...。
電車通学だったので、自分にとって、親と連絡を取る唯一の手段でした。
単体でJAVAが動いて、簡単にGUIが作れたので、プログラムを書いて遊びました。意外とキーボードが打ちやすかった覚えがあります。
GPDとか、今でもちっちゃい筐体に色々無理して詰め込んだガジェットが気になるのは、これがきっかけですかねー。
そういえばlibrettoも割と会社で使ってました。なにげに非力ではありましたが一応ちゃんとしたWindowsパソコンでしたし。
ThinkPadの小さいやつはかなり欲しかったです。
しかし、個人的にはHP-200LXがバランス的に最強だったと思います。Windowsではありませんでしたが、ランチャーソフトも入っていて不自由を感じなかったですし、大きさとか電池の持ちとか当時の処理速度から言っても満足度が高かったです。
PDAであのバランスを超えた機種にはまだ遭遇出来てないですが、ある種スマホが違う次元でPDAを通り越しているような気がします。
Palmは3台持ってました。最後にかったモノクロの IBMのWorkPad は十分実用に耐え得るするものでグラフィティ入力は秀逸でしたね。
自分にとって思い入れがあるPDAといえば、なんといっても Magic Cap
NTTの paseo って企画がこけたのが残念でなりません...
学生の頃 買ってから格段にメールが楽になり、辞書や手帳を持ち歩かなくなって、一気に生活が変わったのを覚えています(ちょっと大袈裟)。
実家を漁ったらまだどこかに埋もれてるかも。
私自身は、プログラムが組みやすいポケコンは持ち歩いていたのですが、PDAは結局買わなかったのですけれど、周りでは使って居る人が居ました。
ただ、何故か未だに売れ続けている「手帳」という強力なライバルの存在も有って中々「皆が持っている」という状態では無かったです。
結局、スケジュール管理とか携帯電話で出来る様になると、皆そちらに乗り換えていきましたね。