「くたばれ評論家」
ここ最近、いくつかのコメントを見ていて感じたのですが…
「投稿は自由」って視点は概ね賛同が得られるようですが、
「批評は自由」ってなると賛否両論になるっぽい点がややこしいですね。
この二つは、両立するのか? 両立しないのか?
ここあたりは、藤子・F・不二雄の漫画「エスパー魔美」のエピソード「くたばれ評論家」(画像)が参考になるかも知れません。
批評家・剣鋭介に酷評されて、激オコの画家のパパ。
評論を読んだ摩美も「批判する人は悪い人」だと怒りますが、パパは「批評の権利もある。怒る権利もある」と激オコしつつ、批判自体を認めてしまいます。
このエピソードは、ツイッターなんかでもたまに浮上する話のようで、普遍的だと評価する人もいますので、ご存じな人も多いかも知れませんね~。
因みに、摩美が剣鋭介に「パパが一生懸命描いた作品なのに!」と訴えたシーンもあるのですが…
子供の摩美に対して、なかなか容赦ない…W(`0`)W
因みに、私もたまにアイデア投稿してますが、ほぼ100%没になってるはずなので、駄作(by.剣鋭介)に終わる事が多いですw
もちろん、投稿すれば、皆さまからの批評も時折り来るけど、それはそれで視点が広がるモノもあり、参考になるときもあったりしますね。
しかし、いろいろな意見を参考にしつつ、アイデア投稿してみても採用されるケースなんてほぼないし、
逆に軽い気持ちで投稿した誰かの投稿が運営さんに採用されることだって、きっと多々ある。
なので、批評なんて役に立たないと思うなら、批評なんて気にせず(或いは摩美パパのように激オコしつつ)投稿しちゃえばいいんじゃないですかね〜。
批評が自由になされたとしても、それは決してあなたの投稿する自由を妨げるものではないのですよ。
53 件のコメント
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不毛な
争いもなくなると思うのですがねぇ~(>_<)。。。
投稿ってほとんど会話ですから、ちゃんと相手の気持ちを考え、楽しい会話をしようと心がけて投稿し合うのが最低の礼儀なんじゃないかと思うんですよね〜。
…おっと、これも批評になるのかな?
芸術か否か?プロかアマか?みたいな指摘は当然あるだろうな〜と思ってました。
その指摘を想定して、
「このエピソードは、ツイッターなんかでもたまに浮上する話のようで、普遍的だと評価する人もいます」と書いてます。
つまり、芸術か否か?プロかアマか?という視点から切り離して考えられるんじゃないかと…
因みに、作中で高畑くんは摩美の話を聞いて「一人の評論家に貶したからって気にする事はない。逆に褒めてくれる評論家もいるはず」「自分がよいと思えばそれで充分」と自分の考えを伝えます。
なんとなくアドラー心理学みたいな視点もあって面白いです。
まあ、アドラーはちゃんと読んだ事ないんですけど。