報道の自由度ランキング、日本は66位
先日、今年の世界報道自由度ランキングが発表された。日本は66位。自由度ランク3(顕著な問題)のグループ。これは世界の特派員、ジャーナリスト等の評価によるもので、客観性の高いものと思っている。(参考URL:https://yorozu-do.com/press-freedom-index/)
以前はもっと上位だったころもあったのに、なぜか安倍さんになってからはずっと50より下位をキープしている。
私が国内の報道について不信感を抱くようになったきっかけはもう少し前にある。それは9年前の東日本大震災の直後、福島第一原発の爆発の時から。テレビのニュースでは、かなり遠くから森か何かの向こうで粉塵が音もなく舞い上がる不鮮明な映像で伝えていた。それを見た時は、不安感を感じたもののそう大きくはなかった。
海外からの懸念の声も伝えられ、海外ではどのように報道されているのだろうと思い、YouTubeを検索してみた。すると、たくさんある中の1本の動画に目が留まった、海側からの映像で、ずっと至近距離、原発建屋も鮮明に映っている。そんな中で爆発が起き、何より音、「ドカーン」という生々しい爆発音も入っていた。それを見て驚き、大きな不安感を感じた。出所は憶えていないが、米海軍のドローンによるものかなにかではなかったろうか。
こんな映像があるのにテレビでは1度も見たことがない。(今になって再度検索すると、見つけられなかった。)別の海外メディアの動画で、政府の対応に反発する一部の日本国民を密かに監視する人物がいるといった取材内容のものもあった。
それ以降、日本メディアも手放しで信用できない感じになった。
そして、今回のコロナ禍について。国内では感染者、死者は外国に比べてかなり低い数値に留まっている。外出自粛は指示・命令でなく要請であるにもかかわらず。
しかし、その報道については情報操作や隠ぺいはないと考えている(どこかの国と違って)。それは、ひとえに日本人の律儀な気質によるものだと信じている。
それでも、PCR検査の数が諸外国に比べて桁違いに低く、なかなか伸びないでいるのには(日本は先んだ国であるにもかかわらす)モヤモヤした感じが残る。それは、単に政治家の指導力不足によるものかもしれないが(それはそれで残念だけど)。
緊急事態宣言が延長されて、今後無難に終息に向かうことを願うばかりだ。
福島第一原発の爆発シーンについてはどの映像のお話なのかわかりませんが、私は当時ほぼリアルタイムの報道でヘリから撮影した原子炉の建物が大爆発で吹き飛ぶ映像を繰り返し観ていたのを記憶しています。あれよりさらに接近した米軍映像があるという事なのでしょうか。
PCRの検査数は野党やマスコミが作り上げた論点で全くどうでもいいところですね。そんな事より、自粛期間にしっかり感染者を減らしておく事が大事だと思います。
> ペンが暴力に屈して沈黙してしまうというのは非常に情けない事態です。
別にこれは日本社会の「お気持ちお察しバイアス」だと思っていますので。
※そんな事を言いだしたら反政権側の発言とかどうするんだ?
って感じですし。
結局色々と矛盾を抱えているのは言うまでもないんですけど、それも結論から言えば『いくら聖人君子と言えど、所詮は人間』と考えなければならないですし、それと同時に「そういう人間を選択してるのは有権者」ということもあります。
※個人的に考えると「これだけ政権側をこき下ろしても逮捕すら
されない社会構造」って、ある意味「自由といえば自由」だよなあ、
と思います。
むしろ「言いたいことを言える社会」ですけど、ただそれに対して
「反する意見は潰してしまえ」というのは駄目だと思います。
『その点だけに関して』はテンゴさんの仰ることに同意です。
私は桑田佳祐さんが紫綬褒章を受賞した時にライブでちょび髭パフォーマンスをしたら右翼団体が怒って連日事務所周りに押しかけ街宣車で騒音を撒き散らして圧力をかけ、謝罪騒ぎになったのも残念に感じました。神奈川県では警察署の目の前を右翼の街宣車が大音量の軍歌をかけて左右の道路の分離帯をまたいでど真ん中を爆走していても警察は全く無視していました。
ああいう行為を取り締まれなくなっているというのは日本もだいぶ危なくなっているなと感じます。
日本ではそんな風に個人が右翼団体から狙われても警察は役に立たない訳です。清水の次郎長親分に頼るしか無い。いつの時代の事でしょうか?とんでもない後進性です。
報道の自由度ランキング、日本は66位、そんなに悪いのだろうか?
せめて、42位、43位、45位の韓国、台湾、アメリカより、上位になら
なければならない。そのためには内閣は若手に交代して、新しい内閣
を作る必要がある。
> パフォーマンスをしたら.....(以下略)
> 神奈川県では警察署の目の前を右翼の街宣車が大音量の軍歌をかけて
> 左右の道路の分離帯をまたいでど真ん中を爆走していても警察は全く
> 無視していました。
上記ともども「表現の自由」の範疇であり、かつ「既存各法規上、違反がないと判断される場合は警察側も民事不介入」ですので。
逆に考えると「そういう行為をバンバン取り締まってしまうと、自由な表現すら制約されかねない」というお話もあります。
刑事で確実に上げられる事案でないと、警察は早々簡単に動きませんよ。
ご指摘の内容であれば、それこそ「人身事故でも起こす」ようなことがあれば、警察も強制的に介入するでしょう。
※それともそういう強制介入をお望みですか?。私としては「強制介入
がないからある程度自由であり、かつ社会の中でも『皆さん好き
勝手言える』と考える」側面はあると思います。
法的に拘束を受ける手続きを踏める事実・証跡を残す。これは法治国家上避けられない制約だと思います。
圧力団体が問題だ、とおっしゃる場合は「破防法の指定団体」に該当する事実を集めるしか無いですね。
されない社会構造」って、ある意味「自由といえば自由」だよなあ、
と思います。
極めて普通の民主主義国家の姿だと思います。
国民が政治家を自由に批判できるのが民主主義の良いところなのですが……。
政権批判をして逮捕する社会って、どこの国のことやら……。(^^;
ホント大丈夫ですか、ばななめろん さん。最近、言うことが過激になってきているような気がするのですが……。
> 極めて普通の民主主義国家の姿だと思います。
> 国民が政治家を自由に批判できるのが民主主義の良いところなの
> ですが……。
> 政権批判をして逮捕する社会って、どこの国のことやら……。(^^;
普通にありますよね?。先進国でも政権侮辱で罪に問われる事例、過去にあったと記憶してますが?。詳細まで思い出せないので、必要であれば調べてみてください。
> ホント大丈夫ですか、ばななめろん さん。最近、言うことが
> 過激になってきているような気がするのですが……。
別に過激にはなっていないですよ。
逆にマイネ王で「批判するための批判」が多すぎて、皆さんそれに慣れているので「それって何か生むんですかね?」って疑問を持ってるだけです。
※そういう「批判するための批判」って言葉は悪いですけど結局は
「傷を舐めあってる」みたいなものなので。
別に宗教論は展開しないですけど
『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう。』
という、以前のTV番組(心のともしび)もあったかと思いますが、結局批判だけって観ていて呆れてしまうし、生産的でもないです。
逆に「様々批判してて、その程度で済んじゃう(=溜飲が下がる)んだ」と私は感じる方です。
批判するくらいだったら「批判じゃ済まない様に、かつ合法的・合理的・感情論排除でお話が回る方法」を考えますね、時間が無駄なので。
個人的には生産性と成果が重要です。
恥ずかしながら,浅学の身ですから、これまでそんな先進国の話を知らないのですが、よろしければ、いや是非に教えていただけませんか?
ぐぐってみることぐらいしか出来ないもので、『”政権侮辱”』で検索しても北朝鮮ぐらいしか出てこないのですよ。
まあ、ここも『朝鮮民主主義人民共和国』と民主主義を国名に掲げていますが、もちろん民主主義国家と認められたことは一度もありません。
そもそも、政権批判が政権侮辱になるのもおかしなはしですし、政権侮辱で罪というのは、現在の健全な民主主義国家には存在しません。
何処の国の話でしょう。
議会侮辱罪はありますし、ひょっとしたら国会侮辱罪と訳されるようものが世界にはあるかもしれませんが、いずれも政治批判ではなく正当な理由が無く議会証人を拒んだり、情報提供を拒んだりした場合などに適応されるもので、政権批判そのものの罪ではありません。
世界には未成熟な民主主義国家もありますので、政権批判を行った相手を権力者の都合に合わせた法律で罪に問う場合もありますが、健全な民主主義国家ではありえません。
また、侮辱罪と言っているので、安倍さんのアベノマスクのイラストが侮辱罪に当たるのではないかと思われているかも知れませんが、昔から現在まで政治の風刺は民主主義の根っこの精神です。
これも健全な民主主義国家では、普通のことで、独裁的な国などで罪になるだけです。
> 別に宗教論は展開しないですけど
『暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう。』
それってやっぱり「教え」や「説法」ですよ。
個人に諭すときに使ってもらったら良いと思いますが、何度も言いますが政治や経済を語る時には、議論をするものです。
個人的には生産性と成果が重要です。
批判を不平不満と封じ込めようとするのは、けっして合理的では無いし、むしろ感情的でしょう。
「こうしたら良い」と言っているのを、「不平不満を言うな!」
で、つまりは、「上が決めたことは黙って従え」ってことですが。
一応、我々は主権者なんだから「決まったことは従うが、間違ってると思ったら批判はする」でしょう。