「メディアリテラシー」とは言うけれど・・・
最近は自粛で在宅勤務する人も多いと思います。
かく言う私も平日の日中に家にいる機会が増えてきた訳ですけども。
そこで気になったのが、平日の日中に各局で放送している報道番組。
アナウンサー、キャスター、芸能人、コメンテイター等が好き勝手に持論を展開する。
街頭インタビューや報道対象者へのインタビューもそれに寄せたもののみ抽出してる(ように見える)。
これが、延々と数時間にわたり公共の電波で垂れ流されてる。
これまでは目にする機会があまりなかったけど、ちゃんと見てみるとすごく疲れる。
『「これが正しい」とか「政府は間違ってる」とか決めつけた内容で報道してるけど、あくまでもそれは貴方(貴局)の意見に過ぎないからね』
という前提で、事実だけを拾い集めようとして見てるから本当に疲れる。
ウイルス拡大防止の為に飲食店等に営業自粛要請が出ていますけども。
こういう“報道番組もどき”も放送自粛要請した方が良いんじゃね?
と本当に思った。
いや、現実的に報道規制が危険なことは分かってはいるけども。
それでも、アナウンサーとかコメンテーター(?)がネット民と同レベルのコメントをドヤ顔で公共の電波に流し続ける番組なんて要らんでしょう、と思った。
メディアリテラシーとは言うけどさ、メディア側のリテラシーも何とかして欲しいよね。
チラ裏みたいなスレ、失礼しました。
ちょっと嘆いてみたくなりまして・・・。
(´・ω・`)ゴメンネ
152 件のコメント
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>今の高齢者さんたちって、以下略
対外強硬論(戦争開戦)を助長したのってメディアなんですよ。テレビの無い時代は新聞がそれをやっていました。で、戦争に投入していった。1945/8/14の新聞を読んだことがありますか?終戦前日の朝日新聞は何を書いていたのか、自由研究で調べたことがあるんです(図書館で読みました)。
航空機の増産や食糧増産を行えば一億が火の玉となって敵の暴虐を報復できると「社説」に書いてあるんです。ま、今の北朝鮮みたいなことを言ってるわけです。ズタボロになって負ける前の日に「モノ作れば勝てるから」と書いてある(材料もなければ工場も焼かれているのに)。
当時の「唯一にしてまともであるはずの」ニュースソースである新聞にそう書いてあるから「そうかもなぁ」と思った人がどんだけいたかはわかりませんけど、いたにはいたでしょうね(北朝鮮国民だって反金正恩な人はいるだろうけど大多数はあのオバハンが叫ぶテレビしか見れないのだし?)。
で、その結果の反動で起きた反戦運動は理念としては正しいが、結果としてやったこと(安保闘争~あさま山荘・よど号事件等)って間違ってません?って話。それもメディアに炊き付けられたんですから。結局、戦中の人らもその後の団塊の世代も、どちらもメディアを鵜呑みにしてきた人たちなんですよね。
私はさらにその子供の世代ですけど、新聞もテレビも嘘ばかりなので信用してないし、かといってネット一辺倒でもない、いろいろ俯瞰して見られるようになっていると思いますね。結果としてそれを学んだからだと思いますし、システムとしてもグローバル化が進んで即座に知ることができる。国外からの報道を介して日本がどう報じられているかを知ることも容易になりましたし。
これは私も心懸けるようにしています。
ちゃんと出来てるかどうかは分からないけど、常に意識するようには心懸けてる。
でも、客観的に、俯瞰的に、と心懸けて考えて発した意見が周囲から見ると異端になってる事もしばしば。
なかなかに難しい・・・。
>トッチンさん
一瞬、誰だか分かりませんでした。(笑)
気分転換でアイコンを変更したせい?笑
(一応、カエルと色の要素は踏襲しました)
適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する事のようであるが、最初の適切にが出来ていない時点で、リテラシー不合格でござるね。
自分で学ぶ事が出来た人は少なく、幸いにもそういう教育を与えられた人も少ないからです。
(ディベートの訓練って今は学校教育の中に取り入れられているのですかねぇ?)
「適切」というのが何なのか、というとまた難しいですけどね。
時代、地域、立場、等々によって「適切」が変わってきますから。
だから色んな意見が出る事自体は自然な事だし、悪くないとは思いますけども。
「テレビに出ている人がいっている事だから正しい」と鵜呑みにする事は少なくとも止めたいし、止めて欲しいかな。
まぁ、本来は「テレビに出ている人(制作する人)」に言いたい事ではあるんですけど、それは叶わなそうなので次善として。
出来る/出来ない、というのは仕方ない部分もありますが、「俯瞰で考えようとする」意識は大切だと思うんですよね。
>幸いにもそういう教育を与えられた人
昔と比較して情報が溢れている現代なので、情報の取捨選択や考察を放棄した人は危険に思います。
でも、現状では大多数なんですかねぇ・・・。
昭和のテレビっ子だからおじさんはテレビ大好き。良く見てる。
一時資料、とっかかりとしてはテレビの情報はありがたいね。
テレビは恣意的に誘導しているというけれど、ネットの方が酷いよね。まあ、ネットの場合、明らかに偏った思想が分かりやすいから見る方の心構えが違いかもしれないけれど……。
ネットに正しい答えが有るというのは、必ずしも良いことでは無いよね。自分が正しい、気に入っている答えだけを見ているだけのことが多いのが実際では無いだろうか。
だから、テレビのいうことは間違いに思える。ネットだと類友情報しか触れないことも多いだろうな。それはそれでちょっと怖い。
昔は新聞やテレビがプロパガンダにも使われた。今はそれにネットが加わっているね。大勢加担している人もいるし。
メディアリテラシーはネット情報も含めてメディアリテラシーだから、皆さん、ネットも十二分に疑ってね。
自分に心地よい意見の人の話ばかり、見聞きしていませんか?
相変わらず不思議なのが、テレビや新聞メディアが政府の足を引っ張って民衆を先導しようとしていると信じている人と、テレビや新聞は政府に忖度し民衆を洗脳しようとしていると考える人が、どちらもテレビや新聞が嫌いなんだね。(^^;
さてどちらが正しいのだろう?
国民が政府が正しいことをしようとしているのに国民が我が儘で愚かな行いをしようとしていると感じる人は前者だろし、政府が国民を都合よく動かそうとしているとしていると思う人は後者なのだろうね。
で、テレビを見ない人が増えているのは事実ですが、それはもうメディアが増えたのだから仕方のないことで、しかしだからと言ってテレビが消えることも無いでしょう。
メディアの花形だったのが、その他大勢の一つになっただけです。
ネットとの融合も進むでしょうし。
あ、先のコメントで書き忘れましたが、ネット民の方がテレビ民よりリテラシーが高そうなイメージを受けましたが、ネット民も大体の人はメディアリテラシー低いですよね。(苦笑)
などど、テレビを擁護してみましたが、ここからは、テレビ番組の駄目なところ。だいたい皆さんと同じですね
・ワイドショーと報道番組を一緒にした番組ばかり。
諸外国では別々扱っているところも多い。
・不倫などのゴシップは要らない。プライベートな問題であって下世話な興味を満たすニュースなどニュースではない。
(これはネットの同じ。モラルのかけらもない人が多い)
・続きはCMの後は既にメディア心理の専門家から、CM製品に不快感を与えるのでやめた方が良いとのこと。かなり昔に出ている。広告代理店もスポンサーも馬鹿ですね。
皆さんに喧嘩売るような書き方をしちゃいましたが、テレビも数あるメディアのひとつと考えて、見れば良いのではないでしょうか。
>自分に心地よい意見の人の話ばかり、見聞きしていませんか?
このへんのSNS問題は「エコー・チェンバー」でググると情報がでてきますね。
ほとんどバラエティーですけど。
何も考えずに、ただ笑うだけの時間って結構リフレッシュできる。
>テレビは恣意的に誘導しているというけれど、ネットの方が酷いよね。
仰る通り「ネットの場合、明らかに偏った思想が分かりやすいから見る方の心構えが違う」という事が大きいと思います。
「ネットの情報を鵜呑みにするな」というのはよく言われる事ですが、「テレビの報道を鵜呑みにするな」というのはあまり聞かない。
そもそも、「メディアリテラシー」という言葉が定着したのも、ネット情報が氾濫し始めてそれに対するコメントとして定着したんじゃなかったかな、と。
>テレビや新聞メディアが政府の足を引っ張って民衆を先導しようとしていると信じている人と、テレビや新聞は政府に忖度し民衆を洗脳しようとしていると考える人が
私はちょっと違くて。
「テレビや新聞メディアは、政府でも芸能人でも大衆が気持ちよく攻撃できる矛先を見つけて、事実・真実を後付けにしてでも煽って演出する」
という感じ。
>テレビも数あるメディアのひとつと考えて、見れば良いのではないでしょうか。
そのように俯瞰というか客観的に見れれば何の問題も無いですよね。
まぁ、私はそれを続けると疲れるので、バラエティー番組に走っちゃう訳ですが・・・。
年寄りは〜とか古老乙と言われそうだけれど😓昔のTV番組と今のTV番組は想定視聴対象者の想定が全然違うと思います。
日本人としてこれだけは知ってるはずという土台(教養)の上に作られていた番組と、とにかく視聴者はバカだからと“わかりやすく”作られた番組とどちらが面白いかと言えば……これも人それぞれなのかなぁ?
テレビの機能として字幕や第2音声での視聴補助がなかった時代の番組とそれらがあるのにわざわざ大きなテロップに小学校で習う漢字にルビを振ったり平仮名にして放映・更に何度も同じシーンを流す番組と、どちらがお好みでしょうか😉
少なくとも私は自分(視聴者)をバカにして製作された番組を見たいとは思いません。
それにわざわざテレビの前に行って耳と目を向けて自分の時間を使うだけの価値がある番組を探すのも無駄な努力(=見るだけの価値を感じられる番組がほぼ見つからなくなった)と感じる様になり自然に自分の生活からテレビはフィードアウトしました。
結局のところ物事を俯瞰して見られないのはTV番組制作者側の方が酷いかもしれないと思います。
だから立ち位置グラグラの番組を制作して相反する思想の持ち主両方からそっぽをむかれる結果になってしまうのかもしれません。
公共の電波に載せる乗る責任を感じ真摯に番組を作れば離れた視聴者もいつかは戻ってくるかもしれませんね〜
バラエティやドラマも、今の話題を知るために少し見たりもしますけど、
真面目路線ですと、経済番組のほか、歴史や自然の考証番組、
アート系の番組も面白いですね。あとは映画。
テレビ番組に批判が集まるのは、ツイッターなんかでもよく見かけるけど、
テレビ番組のレベルが低下したのは、結局、視聴率が高いってのも大きいハズ。
お笑いよりも、歴史や自然などの教養番組の方が視聴率が取れるなら、
テレビはそういう番組を増やすと思いますよ。
テレビ局にとって、広告収入は重要でしょうから。
(最近のテレビ局は不動産の収入源が大きいみたいだけど)
余談ですけど、
最近ですと、今話題の「アマビエ」を昔の伝承や宗教から探った番組ありましたね。
(「アマビエ」は元々は「アマビコ」という猿の顔をした妖怪が大元らしいです)
>真面目路線ですと、経済番組のほか、歴史や自然の考証番組、
>アート系の番組も面白いですね。
このへんは、国内だとまだまだテレビが強いはず。
そうなると、視聴率が高くてスポンサーが付きやすいバラエティとか、(マユツバですが)スポンサーの意向が沿った偏向ニュース番組が増えてしまうはず。
YouTubeだって広告収入があるわけですから、YouTubeがフラットなワケではない。
ただ、ネットは一般人が情報を低コストで発信できるようになった、その点は大きな魅力だけど、一般人の情報収集力って、ガチで政治家の収支報告とかみてる一部のNPOとか、本当に一握りの人しかもっていないはず。
なので、私は今後も無料の真面目番組を見て、そういう制作サイドを応援していきたいと思いました。まるwww
メディアへの持論を少し投稿しただけなのですが、気を悪くしたらごめんね。
これに関しては、ちょっと違う意見です。
テロップの効果って「視聴者への説明補助」というよりも「視覚的印象によるインパクト」のような狙いじゃないかと思ってます。
私はバラエティー番組を見る事が多いんですが、バラエティの場合は芸人さんのコメントにテロップをつけた方が格段に笑えます。
聴覚だけじゃなく視覚からも情報が飛び込んでくるので、脳が喜怒哀楽に辿り着くまでの時間が短くなり、笑いが大きい。
これは制作側の演出効果努力、と思ってみてます。
>結局のところ物事を俯瞰して見られないのはTV番組制作者側の方が酷いかもしれないと思います。
俯瞰して「見る事が出来ない」のか「見る事は出来るけど、視聴者レベルに合わせて煽ってる」のか、どっちなんでしょうね。
結局、制作側は視聴率に走ってる訳だから、後者のようにも思えますけど・・・。
そう考えると、番組制作者が悪いんじゃなくて視聴者のレベル低下が悪いんだ、って事になっちゃうんですが。
それは大きいですね。
確かに、番組制作側は視聴率を追い求めるでしょうから、番組レベルが低下したとするなら、「それは視聴者が望んだから」とも言えるかも。
結局、耳障りの言いコメントと、ストレス発散のスケープゴートを求める視聴者が多い、って事かなぁ。
で、それを望まない人は離れていく・・・という。
>お笑いよりも、歴史や自然などの教養番組の方が視聴率が取れるなら、
テレビはそういう番組を増やすと思いますよ。
お笑いばかり見てる私が通りますよw
考えてみれば、お笑い番組ばかり見てる私なんかが、動画配信に移りやすい人なのかもしれない。に
>私は今後も無料の真面目番組を見て、そういう制作サイドを応援していきたいと思いました。
私は当面、報道やスポーツ中継はシンプルなCS放送。
バラエティや教養番組は民放。
映画や音楽は動画配信。
情報収集はネット。
このバランスで行こうかな、と。
うん、割とバランス良さそうw
大丈夫ですよ。
連投の最後を読むまでそう取れるとすら思っていませんでした🙂
あーかもこーかもあーでもないこーでもない……異なる人間がそれぞれの(異なる)意見を出し合って考えていくのが掲示板なのだから、感情的に明らかに暴力的な書き方をされない限り攻撃と受け取るのはあり得ません。
でも気を使っていただいてありがとうございました💚
あ、でも美術展の紹介をテレビでされると来場者が非常に増えるので個人的には止めて欲しいです。
番組放映前に行ったら私以外4人しかいなかったのに放映後に再訪したら人が押し寄せて入場制限掛かっていました💦
うまちゃんさん
視聴者のレベル低下が先かTV制作者のレベル低下が先か……これはもうにわとり卵論争になってしまいますね😥
あーひとつ思い付くのは昔の番組制作者は多分今よりもっと色々な人がいただろう事。
NHKの大河ドラマの中に必ずといって良いほど衆道関連の描写がありそっち方面の人がいるのかな~と思っていたのを思い出しました(イヤな子どもだな~)
私の友人の家に視聴率調査の機械が付いていまして、義務の様に『良い番組』を見ているそうです……
いつかその努力が報われる日が来ると良いね……😅
>お笑いばかり見てる私が通りますよw
私はサンジャポ好きなので大丈夫ですw
爆笑問題の田中とか、北野武(TVタックルとか)は、他の情報番組や下手なニュースより切れ味が鋭く面白い。
美術展の混雑の具合はメディアの影響が大きいでしょうね~。
フェルメール展は日本では大人気ですけど、フェルメールの生まれたオランダの美術館いったら、超スカスカでした。笑
まあ、繁盛する美術展があるからこそ、いろいろな企画展が開けるんでしょうし、アートファンなら、苦笑いしつつ、喜ぶしか!!
私は最近はアート系の活動がはめっきりご無沙汰ですが、東京都内だと原美術館や東京都庭園美術館など小ぢんまりした美術館が好きです。
昔は今と違って制約が少なかったみたいですからね。
色んな意味で昔は“攻めてる”番組が多かったように思います。
今は批判が多くて、その批判ばかり気にして窮屈な番組しか制作できないのかも。
そう考えると、制作側も“大衆迎合に向かわないと生き残っていけない”という事情があったのかもしれませんね。
だとしても、「じゃあ仕方ない」とはならないけど、まぁ同情はできるかな。
>私の友人の家に視聴率調査の機械が付いていまして
それ、言ったらアカンやつだw
面白いですよね、これ。
やっぱり、バラエティに振り切ってくれた方が見やすいです。
ワイドショーとか報道番組のコメントにドン引きして、
バラエティでの鋭いコメントに感心するという。
ついでに「驚愕映像」「面白映像」的な番組はほとんど「見たことのある動画集」でしかない。昔はこれがテープに録ったビデオの「投稿」だったからテレビが世間に対する発表の場であったけれども、今は一次ソースがネット(YouTubeなど)になったから全て「二番煎じ」になった。こんな番組面白いわけがない。
君はちゃうやろ、と言いたい。。。
アメトーークとか特集にもよりますがけっこう好きなんですよね。(私にとってのハズレ回もけっこうありますが(^^;)
ネット情報の方が優れているような意見もありますが、向き不向きがあってネットでは扱わないか、埋もれてしまうような情報をテレビで扱ったりしているように思います。
そもそもネットの情報は確証の取れていないものが多いですよ。(^^;
ひとつ思うのは、テレビに出ている人に好感を持っている人が多いのか、ネットに出ている人に好感を持つのかの違いもあるのかもと思います。
ネットに出ている人が、テレビに出て言っているから信用するみたいな話も聞きましたし。
ここの人達は明らかに昼間のワイドショーに、大なり小なり不信感をもっているようで、それはMCやコメンテーターのタレントによるところが大きいのだろうなと推測いたします。
そして、経済番組や科学番組とかと比べると昼ワイドは論調がだいぶ変わりますからね……。例えば、福島原発の問題も、経済番組、科学番組、お昼ワイドではまるで違う視点ですね。(^^;
お昼のワイドショーって、明らかにここスレの人達の層を対象にはしてないでしょうからね。(笑)
今は、テレビは民意じゃねぇ、いらねー、ネットが民意だ、さいこー。みたいな話になってきてるんですね。
う~ん、この流れは止められないかな。第一等メディアの地位をテレビは無くすのかな。
戦後、『新聞は信じない、テレビはどこだ!」って言った政治家(佐藤栄作だっけか。事実は違うという話も……)が、いたような。
このとき、新聞は、メディア第一の地位をテレビに明け渡したとも言われる。
こんどはネットがメディアで一番の地位を手に入れるかもね。
あ~、なるほど。
それは確かに。
私はTwitterやInstagramのアカウントすら持ってないのでTV番組でそれらの話題を取り上げられると割と新鮮に見ますが、そもそもSNSを多用している人達から見れば二番煎じも良いところですね。
新鮮味のない情報に魅力はない。
ごもっとも。
そうなると、ますます若い世代のTV離れが進みそうですね。
番組制作者側の怠慢とも取れるので自業自得かもしれんけど。
タレントも、TV番組で露出して名前を売ってからネットの世界に主戦場を移すという流れが主流になったりして。
カジサックみたいな。
そう、それ。
そういう番組に辟易したんですよ。
しかも、各局揃ってそんなのばかりだったので。
専門家(もどき)や有識者(もどき)の必要性も疑問だけど、情報番組でのタレントの真面目コメントが一番要らないと思う。
アメトーークとロンハーはマストです。
(^^)
あと、イッテQとかネタ番組は毎週録画。
>テレビは民意じゃねぇ、いらねー、ネットが民意だ、さいこー。みたいな話になってきてるんですね。
受け取る方のリテラシーの違いも大きいと思うんですよね。
「ネットの情報や思想は正誤双方溢れてるし、思想や意見に偏りもある」という認識で見る人がほとんどだと思います。
一方、テレビの情報番組は「テレビで言ってたから正しい」と盲目的に見てしまう人がそれなりに多いんじゃないかな、と。
で、テレビ番組はリテラシーが高くない人にも受けるように、万人受けする分かりやすい矛先と安易に感情移入できる意見・思想を提供する。
これがダメなんだと思うんですよね。
テレビの情報番組も全く無駄ではないと思うんです。
思想や意見を省いて、事実だけを拾えば有用な情報源。
さすがに、誤報には気をつけてるだろうから、核となる情報自体の信頼性は高い。
その辺は誤情報が溢れるネットより優れていると思います。
ただ、事実だけを拾おうとすると、雑音が多すぎて辟易してしまう現状が“なんだかなぁ”と。
新聞からテレビへの移行は上手く行ったけれど、ネットはプロもアマも悪意を持って情報攪乱させようという人も善意から偽情報を拡散してしまう人もいて完全に信じるには足らない……ということさえ覚えていて欲しいと思うし、これこそがネットリテラシーなのじゃないかと思います。
もっと簡単に言えば活字になっている物や電波に乗っている物、検索した結果出てくる物等々を簡単に信じるな~という事なんじゃないかと。
Wikipedia、実はあの中の一項目に私が自サイトで書かれた文章が丸々引用されているのですが(Wikipediaに掲載するとの報告は一切無し、でもWikipediaってあそこから引用しようとする事に色々と制約を掛けているのが全くもって納得出来ません)、実はその中の情報ってそれを研究している人の研究発表を妨害する訳にはいかないからすごくぼかして(意訳)記述した事が含まれているので、偶然あのWikipediaのページを見つけた時には頭を抱えてしまいました😰
たまにWikipediaでこう書かれているから!とあれを根拠にする人がいますがWikipediaってそんなに信頼に足るソースではないんですよ……
こういった事にも自然に気付いて欲しいものです。
トッチンさん
品川の原美術館は12月に閉鎖ですね。
あの建物は大好きなのですが現代美術には興味がない私です(^◇^;)。
東京には無料で行ける施設も沢山あって黒田清輝記念美術館(上野)で彼のデッサンを見て何と凄い画家だったのだろうと感嘆しました。
(でも年に3度位しか公開されない)特別室の教科書に掲載されているような代表作にはあまり惹かれなかったです。
銀座の画廊も中々良く、また東京その他で美術博物三昧をしたいものです。
これは、結構多くの人が気にしてると思うんですよね。
「ネットリテラシー」は結構大きく問題視されてるし、最近は教育もされてるし。
でも、「テレビで流されてる思想や意見を盲信するな」とは教えられない。
こっちの方が問題に思うんですよね。
羽鳥さんや宮根さん辛坊さん、等々のコメントは全て正しい。
そういう感覚は危険だと思う。
>Wikipediaってそんなに信頼に足るソースではないんですよ……
そもそも、Wikipediaって誰でも編集できるサイトですしね。
誤情報は管理されているようなので、参考程度に利用するには便利だとは思いますけども。
私は割と広辞苑的に利用しています。
この辺は、放送業界の広告収入が減っていることが関係しているんだろうと予想してます。
ツイッターの画像や動画で流用しているようなニュース情報って、娯楽や社会ニュースの類が大半だと思うので、ぶっちゃけコスト削減で流用するのはアリだと思っているんですけどね。
でも「コストが浮いた分でまともな報道したりしないんだろうか?」とは思います。
文春砲とかにあるように、週刊誌や新聞は取材力あるけど、テレビの報道陣って、実はあまり取材力がないんじゃないだろうか。。。
詐欺事件なんかはテレビでも「関係者に極秘取材しました(音声を変えてお伝えします)」みたいな感じの番組がたまにあるけど、あまり時間をかけて取材したようなスクープはなさそうな印象。
よくよく考えると、テレビのツイッター流用っていうのは、今始まった話ではないのかも。
今までテレビ番組で報道してる政治や芸能、ゴシップ系のスクープだって、文春とかフライデーとか海外メディアとかの情報を流用してるのがほとんどだろうし。
実はニュース番組が独自取材したものって僅かしかなくて、新聞や週刊誌と比べると意外と取材力は弱いのかもね。
番組自体も制作会社に作ってもらっているだろうし、テレビ局っていうのは、ヤフーサイトのように「他社からの情報を掲載して広告収入を得る」ようなポータル型なのかな。
テレビが独自取材する企画って、ドキュメントみたいなのが多い印象です。
自身が取材したいものを企画して取材する、みたいな。
問題提起としては有用だけど、旬な報道(所謂ニュース)とは一線を画してるモノにも思いますね。
それにしても、取材力が劣る。
で、タレントやコメンテーター(?)のスカスカなコメントに代表されるように、制作力も怪しい。
・・・長所がないw
大衆迎合に準じてる分、「分かりやすい」のが長所といえばそうかも。
ん~、長所・・・か?w
報道局とか、政治記者とか、各テレビ局に居ますよね?
或いは日テレが読売、フジが産経、TBSが毎日、テレ朝が朝日、テレ東が日経みたいに系列の新聞屋(というか、新聞屋がテレビを始めたのだから逆か)の記者がそこのニュースソースの取材元だったりしましたけど、今はそいつらがTwitter眺めてて発信者に「その記事使わせてくれ」とDM打ってるらしいですから。落ちたもんですよ。
芸能に関しては昔で言えば故・梨元勝みたいな専業のレポーターも居たし、スポーツ紙や週刊誌の芸能担当記者が兼ねていたりもしましたけど。
などで検索してみてください。許諾も取らずに勝手に使ったとか、都合のいいように改変されたとか、罵詈雑言の嵐ですよ。
素朴な疑問なんですけど、発信元のSNSの情報にウラは取れてるんですかね?
このスレでも「ネットの情報は信頼性が高くない」とネットリテラシーが話題になってますが、ちゃんと事実関係とか画像の信頼性とかは担保してるんだろうか。
さすがにプロだから、それは問題ないのかな。
>"マスコミ ツイッター DM"
>などで検索してみてください。
検索してみました。
カオスですねw
話半分だとしても、かなりのもんですな。
まぁ、こういう姿勢が中身スカスカな番組の印象に投影されるんだろうなぁ。
そりゃー、例えば事件があったとして、通りがかりの人がスマホのカメラ向ける、映す、どこそこで事件だよー、と投稿する、これはクルーがクルマ飛ばして撮影に行くよりは圧倒的に早い「生の情報」なんだけれど、それを局の中でネット監視してて「これ使わせてくれ」までは良い、良いけど、そのあとその裏取ってんの?って話ですよ。
取ってないからガセネタに引っかかる、ガセネタ報じる、そんなのばっかりでしょ?
いつだっけ「ガリガリ君」で存在しない味を紹介したとか、ものすごくレベルの低いミスがあったりしましたが、そんなの投稿者じゃなくてアイスのメーカーに聞けば済む話じゃないですか。それすらしないってどういうことなのかなと。
だからマスゴミなんて揶揄されるんですよ。
それと、
https://matome.naver.jp/odai/2133525526420805701
こういう「仕込み」「ヤラセ」の類はいっぱいありますよ。
>取ってないからガセネタに引っかかる、ガセネタ報じる、そんなのばっかりでしょ?
それだと堕ちますね。
信頼性も存在意義も。
ネット情報と比較してテレビ報道の長所は「核となる情報自体の信頼度は高い」という事だと思うんですよね。
有象無象が発信できるネットと違って、免許持ったプロが公共電波使って放送するんだから当然なんですけど。
それが無くなっちゃったら、確かに電人さん(今度は間違いませんw)の仰る通り、凋落は近いのかもしれないですね。
「ブラウン管から流れる情報を盲信する世代」は着々と減少しますから。
でも、バラエティーやドラマは残るように思う。(というか残って欲しい)
ニュースは制作費かけずに、CS放送みたく淡々と事実だけ流した方が良い。
テレビ番組のドキュメンタリーもの、それはそれで結構好きだったりします。
(演出入っているんだろうけど、過去の戦争や事件をドラマ化したものとかも面白いし)
電人さん
そういえば、フジテレビの買収騒動で、株主がラジオ局(ニッポン放送)であることなんかも明らかになりましたし、そのあたりの構造もあるんでしょうね。
良質なコンテンツ(面白い、ばかげている、も当然含む)は見ます。例えばドリフなんて繰り返し見ても面白いし、今でも笑えるってすごいことです。ドラマも然り、良いドラマは良い。例えば「北の国から」とか「おしん」とか「Xファイル」とか、根強く一定のファンがいるのはそういうことだと思うし。良質なものって残りますから。
リアルタイム性を追うと事件の生中継は今はスマホで誰でもすぐにできるわけですし、やっぱりこれもネットの勝ちかな。
(ってことで、結果ネットの方が優位ではあると思う)
ネットの即時性も現場のその場も強みですが、少し時間の置いたまとまった情報というのでは、どうしても断片的になりますし、ネットのまとめサイトなどはただの断片のリンクでしかないですし。
テレビで品物が不足している映像を流すから、品不足に拍車がかかるなんてことを言っている人がいますが、そもそも紙のときなどネット民が原因でテレビのニュースで流さなければテレビ民の行動は遅れに遅れ、原因であるネット民だけが買い占めに走り、テレビ民は訳も判らず取り残されてしまうことでしょう。
近頃の冤罪リンチも酷いものです。関係のない人がネットで犯罪の犯罪者や関係者などに勝手に認定されて、心的にも実害にも発展しています。
勝手に正義の名の元に垂れ流す、極悪な所業です。
テレビでも間違いや勘違いで、無辜の市民に笑い事で済まない迷惑を掛けることがありますが、悪意のレベルが違うでしょう。
また、故意のフェイクニュースもネットは遥かに悪い方に進んでいます。
その多くが広告収入をあてにしているというのですから、たちが悪い。
こうした点は、大いに減点する必要があるかと思います。
その前に自分自身で思考する事を取り戻さなければなりませんが……
(首の上にあるのは帽子の台ではなくて考える為のアタマです~)
トイレットペーパーのことだってネットでそういう「噂(在庫が無い、輸入である=嘘)」が拡散される一方で、ネットで正しいこと(在庫のこと、流通のこと、国内生産のこと)を言っている人も一定数ちゃんといましたから。
テレビはそういうことをやるのも結局はネットから情報を拾うだけ。トイレットペーパーのメーカーに取材して裏を取ればすぐわかることなのに。馬鹿なんじゃないかなと思う。
テレビは一方通行ですが、ネットは発信者にも受信者にもなることは出来ますし、自分から情報を得に行って取捨選択することもできます。
ネットは悪い方に進んでいるだけではなく良い方向にも遥かに先を進んでいます(そういったものが5Gとして形となって表れる)。
そうですね。でも、噂に踊らされた人の方が多くてそういう事態になったわけですよね。
ネットの中ですと、事実はなかなか嘘を真に受ける人には届かなくて、むしろテレビの方がまだそうしたところへ事実を伝えるのには力があると思います。
もちろん、こちらにもいらっしゃるようなリテラシーの意識の高い人達にはネットで信頼のおける情報にアクセスできるでしょうが、未だ多くのネット民は自分の目に触れるだけのものしか信じない。
> テレビはそういうことをやるのも結局はネットから情報を拾うだけ。トイレットペーパーのメーカーに取材して裏を取ればすぐわかることなのに。馬鹿なんじゃないかなと思う。
いや、済みません。テレビでは再三、トイレットペーパーは不足しないと言ってましたが、トイレットペーパーが日本から不足しますなんて言ったテレビ局があったのでしょうか?
ネットのテレビをディスるところからの記事では無いですか?
> ネットは悪い方に進んでいるだけではなく良い方向にも遥かに先を進んでいます(そういったものが5Gとして形となって表れる)。
べつにネットをディスるつもりもないですよ。私もネットの黎明期から親しんできましたからね。
ただ、ネットに偏って何故か、テレビを目の敵にしているのにちょっとバランスを欠いているように感じています。ネットも怖いものなんですよ。
新聞もラジオも今やネット上に展開しています。テレビもじわじわとネットに吸収されてしまうことでしょうね。
テレビに映る映像の力はやはり大きいのです。
たとえテレビが時計代わりに成り下がっていてもふとした時に眼に映る物の力は(その映像を送り出した側の想像以上に)強いのかもしれません。
製紙工場のトイレットペーパーの在庫の山を映したのはその騒ぎのあとからでしょ。最初にそれを映すべきなんじゃないか、っていう話です。
映像の力が大きいというならそういうことを率先すべきでしょ、と思う。
あれ、見始めると最後まで見ちゃうんですよね。(笑)
内容をチェックして楽しみに待つ、という程のものはないけど、演出も含めて結構見所ある制作多いですよね。
あれはテレビ放送各局の報道も取材してるなぁ、とは感じます。
まぁ、思想とか見解の偏りを感じる部分は多々あるけども。
で、拍車をかけたのがTV報道なのも間違いないと思う。
TV報道で「在庫は充分にあります」とコメントしたところで、空の棚と映しながら買えなくて困ってる人のインタビューを繰り返し流す。
そりゃ、それだけ不安を煽ればデマと分かってても必要以上に買う人は増える。
この問題に関して言えば、TV報道は放送を控えるべきだったんじゃないかと。
TV報道で尺をとって大展開したから、本来はネット情報にも触れないような人達にも隅々まで不安を広げたんだと思う。
で、一番の問題はTV報道関係者がそういう考察や反省をしているか否かじゃないかな、と。