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君の名前で僕を呼んで

アンドレ・アシマン
高岡香 訳


映画館の広告でタイトルを知る。とても惹かれた記憶があるけれど、映画を見ることはなかった。
数年ぶりに本を読む時間ができた。リハビリにこの作品を選んだ。前半はとても読むのが遅くて、自分でも嫌になる程。時間もなくて半分ほどで切り上げる。
読書をする自信をなくす。

ひとまず、「イタリアって水着のまま食事をとるのね、それは意識せざる負えなくない?」
日を改めて後半を一気に読み終える。
人を好きになるってどういう感覚だった?
恋愛ってどうはじまって、どう進んでいくものだった?
恋愛による「苦しい、悲しい、胸がキュッと詰まるような感覚」を疑似体験させられたからだ。捲る手を止められなかった。
学生の頃、1番に学校に到着しては教室の前の窓から登校してくる学生の波のなかに埋れた先輩を見つけるのが得意だった。1日1度でも先輩と会話ができれば良かった。初恋を思い出した。若い頃の恋心の浮き沈みや、相手の言動行動全てを深読みしすぎてすれ違ってしまったり全てを知りたくて聞き耳をたてたり変に勘ぐったり。
大人になった今ではもう何年もそんな「特別」な感情を人に向けることもなくなって主人公エリオのなかのマルツィア程度の関係性しかもてなくなってしまった。
「対照的」なエリオとオリヴァーのような関係性は正に稀有。エリオの父の言う通り、稀有なのだと思う。友達であり恋人でもある、許せる相手でもあり情熱を向けられる相手。あと言葉のやり取りを楽しめる相手というのもとても羨ましく思った。少し(?)子供じみた印象のエリオが抑えられない気持ちを吐露するとオリヴァーが、優しく諫めるやりとりだったり、オリヴァーの「あとで」の意味合いが2人の関係が変わっていくようにガラッと変わっていったり。
やりとりでいうとヴィミニと2人のやりとりもとても素敵だった。ヴィミニの存在の儚さと2人の「6週間」ていう時間の儚さが重なったり。時間の短さをヴィミニという登場人物で濃くしたのかなと。2人のすれ違いを修正する役割として。
2人の6週間が、おわったあとの2人の人生はまた「対照的」で少し嫌になったくらい。イタリアの一夏の思い出が残る街で過ごしたエリオ。エリオとの思い出を大切にしたまま同性愛への偏見が強かったアメリカで結婚し家庭を作ったオリヴァー。
結婚をしたオリヴァーが、再会したエリオに伝える「本当」がまたいじらしくて堪らなかった。
きっと誰にでもある燻りを、「誰にでもある」と慰めてくれる一冊な気がする。誰にもないその先は私のいつかになりました。
好きな人の服を抱きしめて眠る夜はとても幸せだろうなあ。


6 件のコメント
1 - 6 / 6
しらたまたまさん

「君の名前で僕を呼んで」難しそうな本ですねえ! 読むのを
止めときます。
原作があったのですね。

映画好きの友人から良かったよーと聞いていていつか見ようと思っていた映画です♡
たけちゃん3さん

外国の作品は特に言い回しが独特だったり活字から気持ちを汲み取りづらいですからね。ただ何度も読んでみると理解が深まって、ひとつひとつの台詞に人物の背景やおもいに自分なりの解釈がどんどんついてくるのが楽しかったりします。
noelさん

私も映画はまだみていないのでこれを機に見てみたいなあと。原作でこれだけ胸が締め付けられたので映画では感極まりそうだなあと!あと海の見える街が舞台のようなので映像が綺麗そうです。
映画見ました。

大好きな映画です。若干原作と違うところがあるようですが、終わり方も心に染み入るようでした。

原作も良さそうですね。
kukuriさん

宣伝を観ましたが映画もとても魅力的です。時間があれば観たい作品の1つです。
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