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今から34年前にエプソンから発売されたハンドヘルドマシン HC-20です。現代のタブレットに近いポジションですね。
メンバーがいません。
当時の私のお小遣いでは、PC-1500がやっと(しかもプリンタは高値の花)だったので、NECのCMをしていた斉藤由貴と同じくらいアンタッチャブルと思っていました。
マツヤデンキ、当時は福井の駅前にもありました。
そのころから数年前までEPSONファンでした。
PC-1501は持ってたなぁ
ポケコン懐かしい・・・
当時の私はPC-1245をお年玉で買いました。
一昨年くらいに無償に昔のポケコン欲しい病に罹り
・PC-1500 (2台)ジャンクプロッタ付き
・PC-8201
・PC-1251 (不動品含め2台)
・CE−125(2台)
を揃えて、PC-1251とPC−8201のBASICで請求書作成プログラムを作って遊んでました。
ただ、どうも感熱ロール紙で出す請求書が「カタカナ表記で見づらい」と不評でやめちゃいましたが・・・。
唯一20年以上前に買った電子手帳が残っていて会社に置いてあります
SHARPのPA-8500だったかな
この時代は時計メーカーも尖ってましたよね。
> 立石野毛男さん
実はPC-1500やPB-100のカタログを探してたんですが
HC-20とかPC-8201とかしか出てこなかったのです。
> 寒月さん
プリンター高かったですよね。
結構値段が下がってからEPSONの15インチを買いましたけど、それでも10万近くした記憶があります。
地元のマツヤデンキは隣にジョーシンがあって閑古鳥が鳴いてる割につぶれないなーとか割と酷い事を考えてました。
> ikvさん
私もエプソンは好きなメーカーでした。
98互換機PC-286VEも買いましたし、プリンターはずっとEPSONでした。
> バギンズさん
ハンドヘルド流行らなかったけど記憶に残るマシンでした。
ポケコンも楽しかったですよね。
私が最初に買ったのはカシオのfx502p(プログラム電卓)でした
そのあと、はじめてのマイコンがVIC-1001
多分、その次にPC-1501を買ったと思います
プロッタも持っていたのですが、同時に買ったのか、別々に買ったのか記憶にありません
お金持ちっていうより、アルバイト代やお年玉を全部つぎ込んでいただけの様な・・・
VIC-1001!!
ベーマガにリストありましたよね。
ああ、いま唐突に「シンクレア」という名前が出てきました。
なつかしーw
昔はヤフオクもなかったのでniftyの売ります・買いますコーナーで中古品を買ったり、ベーマガの中古通販をよく利用してました。
私がバイトで最初に買ったのはMZ-1500でした。倉沢淳美がCMをしていたやつ。
VIC-1001はコモドールですね。私も店頭でいじったりしてました。
互換性のない個性的なマシン達が綺羅星のように輝いてた時代でした。
カシオのFX型番は今も受け継がれてますね。
> すすむ2さん
シンクレアと言えばZX-81ですね。アルミ箔を吹き飛ばすプリンターが個性的でした。
MZ-1500も良いですね。OSもカセットでロードするのはMZ、X1シリーズの特徴でしたね。当時の友人がMZ-80BやMZ-2000を持ってました。
ハンドベルトコンピューターという単語を聞くと、デジタルデビル物語シリーズというライトノベルを思い出します。
ハンドヘルドは一部の業務用でだけ使われたのかもしれませんが
一般向けではないですね
私はPC-286Vを持ってました
エプソンは、セイコーの子会社なのに名前があまり知られてないので、セイコーエプソンに社名を変更した経緯がありますね
当時勤めていた会社がエプソンの仕事を受注していたり、エプソンのオフコンを売っていたりしたので、PC98互換機以前のエプソンのパソコンも置いてありました
HC-20もありましたw
HC-20用の単漢字変換か何かを作ったとか言ってたような・・・
実は私、メガテンシリーズも好きなんです。
アイコンもソウルハッカーズに出てきたスプーキーズのロゴを使ってます。
PC-286VはROM BASICを乗せた98互換機としてエポックメイキングなマシンでしたね。
しかしHC-20で漢字というのも凄いですねー。漢字ROM無かったからQC-10連携でしょうか。
> wuckyさん
プラレス3四郎とはまた懐かしい名前が
ベーマガは、たしか最初はラジオの制作の付録でしたね
MZ懐かしいですが、オールインワンのイメージがあるのですが
1500はディスプレイついてないんでしたっけ?
シンクレアはなんかちっちゃなイメージがあります
>babelさん
X1は、パソコンとして使わなくなってもTVとして使っている人が多かったですねw
それに比べ、六本木パソコンと言われたTV付のPC-6601SRはあっという間に消えましたw
やはり、TVはシャープの方がいいですもんねww
HC-20については、私は関わっていなかったのでわかりませんが、開発してポシャったものもあったと思います
QC-10も会社にありました
私はIBM-5550(5インチ2DDのFDD×3)で、IBMの汎用機用端末のエミュレータを作っていました
FDDには、MS-DOSが1枚、漢字フォントが1枚、データ用に1枚って感じですね
ROMに漢字フォントを持っていない以上仕方ないですかねw
銀色の紙ww
今は亡き放電プリンタですね。知っている人はいないだろうなぁ・・。
漁船の何かの記録用に使われていて(改ざんされにいくいので)、でもそれをごにょごにょする仕事をしてた知り合いがいましたけどw
バギンズさん
MZ−1500やMZ−700はテレビにつなぐタイプでした。
ファミコンのディスクシステムでも使われたクイックディスクというフロッピーとテープの合いの子みたいなメディアに記録してましたっけ・・。
X1は「スーパーインポーズ」といって、パソコンの画面にテレビ画面をクロマキー表示できました。
X1Turbo2を24回払いで買ったのもいい思い出だなぁ・・・。
IBM-5550は「ゴーゴーゴーマルッ」のCMが思い出されます。
あの巨大な三連フロッピードライブは他の機種にはない特色でしたね。
私が仕事でIBM-5550にかかわったのは1回くらい。自動車販売店の顧客管理だったかなぁ。漢字ROMを必要としてたのは当時は日本くらいだったしIBMなら仕方ないですよね。
放電プリンタにそういう用途やごにょごにょする仕事があったとは興味深いです。
パソコン用としては早い時期に廃れちゃいましたからね。
クイックディスクは生産が早く終了したせいもあり、ファミコン用からディスクを抜いて入れ替えるとかやってましたね。
スーパーインポーズも懐かしい。私はFM-77AVにビデオキャプチャーカードを搭載してました。
そういえばいま、ラップトップPCって言わないですよね
一時期ですが膝にのせてたら重さに耐えられなくなる東芝のJ-3100(赤のプラズマディスプレイ)を持ってました
一応AT-PC互換をうたってた日本語が使える唯一のPCだったと思います
その後にDOS/Vがでてやっと国産PC以外でも日本語が読み書きできる環境が出来ましたね
この30年位でいろんなことが目まぐるしく変わってきたように思います
一番びっくりしてるのがPCの価格です
PC-8001っていう8bitの「パソコン」は168,000円もしました
本体だけ買ってディスプレイは何とかしようとしましたがTVじゃ同期が取れず、やむなく廉価版の低解像度14インチCRTを買ったらそれも168,000円
今思えばどこから資金を捻出したんだろう
それにしても視力低下はここが原因だろうと思いますw
何のことやらと思ったら、銀色の紙の放電プリンタの事でしたかwww
思い出しました
感熱用紙は今でもレシートとかで使ってましたっけ?
今はページプリンタが当たり前なので、スプロケット用の連票用紙は見なくなりましたね
あの、横穴を切り取るミシン目を切るのが好きだったなw
裏紙使う為に、セロテープで繋げたりとかも懐かしいです
そうこっちでもやってました。
こちらでもヨロシクお願いします。
ラップトップもハンドヘルドも滅んでノートPC全盛ですからね。
J-3100はDOS/V導入前に出てきた名機でしたね。重さも許せるんじゃないでしょうか。
ラップトップと自称してた中でそれは無いと思ったのはPC-9801Tシリーズです。
なんと10Kgオーバー。拷問用じゃないかと思ったくらいです。
初期のPCは本当に高かった。そして誰もが趣味に全力投球してた時代でした。
私もいくら注ぎ込んだことやら…
8ビット機は競争が激化して値下がりしましたけど、その後のPC-9801時代は高値安定でした。
それを思うと今のPCは本当に安くて性能が良いですし、モバイル機器も同様ですよね。
私がコンピュータの世界に足を踏み入れたきっかけは、
高校の時に同級生(マイコン部)が視聴覚室でPC-8001に雑誌からUFOシーティングのゲームを打ち込んでいたのを見かけてからですw
※当時はパソコンではなく、まだマイコンでしたね
自分もマイコン部に入り、私は主に顧問の先生が持ち込んでいたPET-2001で雑誌や本からプログラムを打ち込んでいました
あの頃は楽しかった・・・
https://youtu.be/iGeFnCmEvlM
小倉さん若いww
でも髪の毛が今より少ないwwww
ここから8年も続いたんですね。
宮永さんも懐かしい。なんとなくほんまでっかTVに出ている澤口先生に似てます。
六本木パソコンはネタでしたね。個人的にPC-6601の真骨頂はTALK文でしゃべらせるボイスシンセサイザーだと思うんですけどね。
感熱用紙はレシートや値札などで根強く使われてますが、連続用紙は流石に衰退しました。
スプロケット用紙を閉じるファイルとかも普通の文房具屋に売ってましたね。
職場などでもソースやダンプを打ち出したものがよく綴られてました。
しかしドットインパクトプリンター自体はカーボン複写伝票などで未だに需要があるそうです。
雑誌からのソース打ち込みはよくやりました。ミスがあっても翌月に掲載されるという気の長い時代でした。
BASIC程度だとバグってても自分で直してしまうんですが、マシン語のダンプリストは流石に手に負えませんでした。
雑誌付録のソノシートも結構ありましたね。
何故か今もコレクションしていたり。当時からではなく、かなり後になって、友人が捨てるときにタダで貰う事で、集まったものの一部です。
どちらも良好な状態を維持されてますね。
素晴らしいです。
眼福、眼福。昔々、PC-1500(意外に厚みがある)を鞄に、友人と貧乏旅行(当時は国鉄)したことを思い出しました。
では、うちのPC-8201も。
同級生の医者の息子が当時これを買ってもらって羨ましく見てました。
当時は1行表示のポケコンが多い中、これは4行表示でLOCATE文とか使えて憧れたなぁ。
昔の機械ってデザインがすごくエレガント。
これも状態が良いですね。
PC-8201が出た時は独特のカーソルキーのデザインに驚きましたね。
この手があったかと。
反面、一部キー(右下のあのキー等)の配置に「え?」とか思ったのも覚えてます。
時期の近いPC-2001とともにNECの数少ない小型機でした。
これ、本当に綺麗なんですよ。
使用感があまりなくて。
PC-2001も持ってましたよ( ´ ▽ ` )ノ
あれはビープ音に音階が設定できて感動したなぁ。
この8201には自作のCMTケーブルを作ってマイクロカセットレコーダーを繋いでCSAVEとCLOADの動作をさせて遊んだりもしてました。
PC-2001の音階。ありましたねーそういう機能。東芝のPASOPIAもそういうタイプでした。
CMTケーブルも懐かしいですね。
カセットレコーダーと言えば、T&EソフトのゴルフゲームがモーターON/OFF用のリレーのカチカチ音で拍手を表現してたのは壊れるのが早くなりそうで恐ろしかった。
初めてのパソコン。レッドのX1。
BASICを使えるまでに15分(^^ゞ
漢字を表示させようと思ったら,オプションの漢字ROMを買わなきゃ…。
「今TVが変わる」とか言ってたCMでもレッド押しでしたね。
MZシリーズと同じくBASICのロードに時間がかかるのはアレでしたが、
同じ時期のMZシリーズに比べてボーレートが早かったり、PCGが使えたり、カラーだったり、TV事業部らしくスーパーインポーズが出来たりと印象深い機種でした。
パソコンを家電ルートで売ろうとしたシャープの戦略にもびっくりしましたし。
もっとも私はX1Gという末期タイプを買って後悔しましたが(苦笑
そういえば、X1以降はセパレータータイプが流行りましたね。
それまではPC-8801くらいだったのに、FMシリーズはFM-77。日立のベーシックマスターS1、カシオのFP-1100等軒並みセパレータータイプへ移行しましたね。
モーターカチカチってww
怖すぎる!!
でも当時は音の出ないパソコンも多かったので、FMラジオを近づけてノイズで音を出すとかもあったなぁ。。
MZで音声をサンプリングして2秒だけ録音再生させたりとかもしてました。
流しのモバイル人さん
プリンターネタだと、プリンターヘッドにフォトダイオードをつけて、オペアンプで信号を増幅してスキャナーを作ったりして遊びました。
死ぬほど解像度低かったけどwww
色々無茶してた時代でしたね。
そのスキャナはのちにアップルのImageWriterプリンタのオプションのスキャナとなったやり方ですよね。すげぇ
8ビット時代はハードが出来る方も多かったですね。
今はジョブスばかりが有名になっちゃったけど、ウォズニアックも忘れちゃいけない人ですよね。
Beepを高速にON/OFFするだけでもPCMは可能なんですが音質下げてもメモリが足りず長時間は難しかったですね。
そう、スティーブは二人^ ^。
放電プリンタ、実は煙が出てちょっと臭かったのを思い出しました。匂いの記憶は長く残るものですね。
でも、ハードの苦労より、データのcheck sum が合わなくて、友人と読み合わせをした時間が懐かしいです。
二人揃ってなくてApple Iが出来なければ、今につながるMacやiPhoneも存在しなかったでしょうしね。
臭いの記憶で思い出したのは部品が焼けた時ですね。ハード屋さんは臭いで「○○か」と見切ってたのが印象に残ります。
火入れの時は五感を使います。確かにw。
部品が爆ぜる音とか(手遅れ(T_T)
これで気力もあったら人生256倍くらい楽しめそうなのにw
そそ!使えるユーザーエリアも少なかったなー。
そういや裏RAMを使うとかもありましたね。
寒月さん
昔は漢字を出すのに本当に苦労してましたよね。
ある年の年賀状に半角かなでラベル印刷したのが不評で、翌年は年賀状の住所氏名分だけ24ビットくらいのフォントを作って8ビットプリンターで直に印刷をしてみました
パワーを使ったわりにこいつも不評で、当時はかなり凹みました
確か準備に半年くらいかけたと思います
若いときってこう言うしょうもないエネルギーがあったんですね
私は初PCがPC-8001でしたが、ハンドアセンブル程度はできましたので雑誌のマシン語ゲームはバイナリエディタで直接改造したりしてました。
ハードウェアをいじるのも好きで、PCG-8100にRAMを追加してフルカラー化したり、データレコーダーの600→9600bps化に挑戦したりしていました。
広大なメモリ(32KB)を全部セーブしても、あっという間でしたねぇ(笑)
懐かしの名機機種ばかり、自分の家にはPC8801やPC9801Eや初代Macなどあったけど10年前に家を新築する際に泣く泣く断捨離‥。