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今から34年前にエプソンから発売されたハンドヘルドマシン HC-20です。現代のタブレットに近いポジションですね。
メンバーがいません。
ヒィロさんX1なつかし~
萩尾みどりさんが司会のパソコンサンデーで何度CMを視た事か。
256倍とか65536倍は当時よくあったフレーズですね。
FM-7の場合メインCPU側には裏RAMの方が多かったんですがバンク切替すると当然ながらROM上のBIOSにアクセスできなくなるのが難儀でした。
FMシリーズはBIOSがキチンと実装されてたので(しかもFM-7まではAPI仕様書がついてきてた)重宝してたんですよ。
> absente さん
年賀状ソフトなんてなくてプリントゴッコが幅を利かせてた時代ですもんね。
私はカセットテープやフロッピーディスクのラベル印刷に情熱を傾けてました。
> ふくちゃん さん
PCG-8100は(PCユーザーにとっては)懐かしのHAL研ですね。しかも改造とは素晴らしい。
データレコーダーの高速化はマシンによってはソフトで高速化するものも出てきて特に流行ってましたね。
> よそもの さん
新築するときは結構廃棄しますよね。逆にそういう機会に廃棄しないとずっと捨てられないままになってこれはこれで困りものです。
MSXは、興味があるだけで買わなかったですが(^^;
当時は、18禁ゲームが勢いがあった頃だったので、
PC-9821Asを使って遊んでました。
音としては、PC-9801-86のFM・PCM音源や、
MIDI(SC-88Proなど)が盛んでしたね。
ぴゅう太は16ビット日本語BASICとか宣伝しましたねー。ベーマガとかに載ってるリストも多機種に比べて違和感アリアリでした。
バンダイのRX-78とかソードのM5もありましたね。
中古ですが私もPC-9821As2/M2を買いましたよ。
目的はまあ御同類ということで(^^;
MIDIは作曲の才能などは無いのでゲームも含めて聴くだけでした。
当初はSB64GoldとかのSoundLibraryとかでやってましたが、最終的にはSC-8820を買いました。
ギャラクシアンやりたくて
PCG-8100買った人いましたよね。
医師兼プログラマー芸夢狂人氏に
どれ程憧れ、お世話になったことか‥。
断捨離し切れなかった、同じくHAL研製造のCATやMSX規格初期のYAMAHA CX-5は(FM音源ユニットや🎹もありますが、いかんせんSAVEがカセットテープ‥)まだ倉庫の奥に眠っています。
芸夢狂人氏ですか、これも懐かしいですねー
ゲームを一人で全部作る時代を象徴する素晴らしいゲーム作家でした。
HAL研ハードはPC-9801用の光学マウス(青いマトリクス模様のついたアルミ板上で操作するヤツ)にお世話になってました。
謎のPC-6001互換機 サンヨー PHC-25。
本体は捨ててない筈だがここ20年くらい見た覚えがないです。
どこに入れたのやら…
I/Oは当時のパソコン少年(死語)の愛読書でしたね。
PCGギャラクシアン、スペースマウス、ガーディアンとか懐かしい限りです。
>babel さん
サンヨー PHC-25??
こ・・・これは知りませんでした。
パピコン系列はあまり関わらなかったもので。
友人が持っていたのでちょっと遊びましたが、あのキーボードが苦手でした。
さて、私が好きだったゲームを思い出せる範囲で挙げてみます。
Bug fire/OLION80/Crazy climber/ALIEN part2/River rescue/
Various/UTAN/Double barrier/PioPio/表参道アドベンチャー
知っている人、います?
Crazy climber厨房の頃にゲーセンでやりまくりました。
しらけ鳥の糞や鉄アレイに植木鉢に看板が落ちてきたり、キングコングのパンチや電撃をかわしながら屋上目指しました。
懐かしさが込み上げPCG-8100のゲーム動画や平安京エイリアンにディグダグやPENGO等のアーケードゲーム動画を先程までようつべで魅入っていました。
昭和53年の夏頃でしたか、サッカー部の部活帰りに本屋で衝動買いしました。前年に週刊少年チャンピオンで連載していたメチャクチャな漫画『スーパー巨人』の影響も有ったかも知れません。
まだ国産のパソコンなんて無かったし‥。コモドールPETの記事があったのはうっすら記憶にあります。
ふくちゃんさんが仰るI/OやマイコンやRAM等の雑誌もありましたよね。黎明期の頃の『パーソナルコンピューター』の略称もI/Oなどでは『パーコン』だったりもしたのにいつの間にか、『パーコン』は淘汰され『パソコン』に統一されてしまいましたよね。
最初薄かったI/Oやマイコンも段々分厚くなりゴロ寝で読むのは辛くなったり。
ASCIIも月刊誌の晩年はファッション雑誌並みにやたら重くて読みづらかったのも覚えています。
そういえば当時は工学舎から色々と本が出てたよね。
これは一昨年手に入れた本ですが。
ポケコンのデータレコーダー&プリンターを治すのに重宝しました。
休みの日はBIT INへ行って、TK-80やTK-80BSも触ってたりもしました
>ふくちゃん
そういえば、元々I/Oはハードの雑誌でしたよね
学校と友達の家にはPC-8001がありましたが、私はVICだったので、主にLOGINに載ってるゲームが多かったです
標準5Kで3KRAMパックを付けても8K-VRAM(1.5K)=6.5Kしかなく
PCG標準搭載といっても、横22×縦23という狭い画面でなかなか苦労しました
PC-6001の麻雀ゲームを移植したら、メモリ不足で点数計算が入れられなかったので、点数は手入力にした記憶があります
後で16KRAMパックを買って、VRAM拡張して、アスキーの載っていたBASICのテキストゲームを入力しました
BASICのソースが長さでソートされたソースリストになっていたやつ・・・スタートレックの亜流みたいなゲームだったような・・・
山手線トレック? なんかそんなゲームです
昭和53年(1978年)頃というと丁度スペースインベーダーが流行っていた頃ですね
翌年にPC-8001発売
その翌年にクレイジークライマーって感じですかね
私はキング&バルーンが好きでしたよ ヘルプ!ヘルプ!サンキュー
今でも、mameでたまにやりますw
RAM辺りは皆さんに言われないと思いだせてなかったかも。
総合誌、プログラム系、ゲーム系、組み込み系などいろいろありましたねー
それらの境界線もビミョーですし時代の変遷で性格が変わったものも多いですよね。
I/O、アスキー、マイコン、RAM、Oh!シリーズ、インターフェース、
ベーマガ、ログイン、テクノポリス、コンプティーク、Beep!、PiO、
DDJ、Programmer's Page、トラ技コンピュータ、The BASIC(ざべ)、
C MAGAZINE、Software Design etc...
Beep!懐かしや。
確か昭和59年か60年頃でしたか、自分も投稿した覚えがあります。
しかも、発行はSoftBank‥。
自分もキング&バルーン、カメレオンアーミー、スペースインベーダー、パックマン、ギャラクシアン、ラリーX、クレイジークライマー、ミサイルコマンド、ノーティボーイ等にハマりまくりました。
任天堂もアーケード版インベーダー出していましたよね。
Beep!は余所と毛色が違ってて面白い雑誌だったのですが、まさか途中でメガドライブ雑誌になるとは思ってませんでした。
Crazy climber、ゲーセンでプレイするには財布が厳しかったので、PC-8001版をやっていました(笑)
それはもう、8つのキーを駆使して登りましたよ♪
パーコン、実に懐かしい響きですねぇ。
>babel さん
おおっ、VIC1001でしたか。
I/Oにも「Crazy PIG」とかゲームが載っていましたね。
懐かしい雑誌名の数々に感涙(^^;)
Beep!、メガドラ系の雑誌になってから購読してました。
機械じゃ無くて、販促物ですが(^^;
BIT INも懐かしいですねー。当時はメーカーが各地にショールームを展開している事が多かったですよね。
マシンをいじりに行ったり、新型を見に行ったりしてしました。
> えい兄ちゃん さん
立派なメガドライバーですね。私はメガドラは購入には至らず友人に借りて遊んでましたがサンダーフォースIIIとかスペースハリアーとかが面白かったです。
「バザールでござ~る」は大ヒットでしたね。
当時は「世の中、何がウケるか分からんなぁ」と思ったものです。
パソコンか家庭用ゲーム機でケンスイみたいに上がっていくやつありませんでしたっけ?
もしかすると、小型の携帯型ゲーム機だったかも
多分、これが私が持っている中で一番古いコンピューター系の物です
今でも動きます
カードは、今入っている関数計算カードの他にゴルフゲーム、競馬予想、四柱推命があります
何というかこれもまた状態が良い。皆さんホントに大事にされてますね(^^)
四柱推命は古いPCでもよく見かけたコンテンツでした。やっぱメモリが少なくて済むからでしょうか。
パソコンならPC-8001版ということでファイナルアンサー!(^^;)
携帯ゲーム機なら、ワンダースワンが記憶にありますね。
大事にしていませんが今でも動くのはSHARPだからかもw
>ふくちゃん
動かないワンダースワンならありますw
ゲームボーイ系はことごとく壊れました
ソフトだけ残ってますねw
PC-8001は、よそものさんが言うよに、パソコンじゃなくて、パーコンですよww
「パーコン」、一本取られたぁ!!(笑)
ワンダースワン、実はちょっと欲しかったです♪
縦持ち、横持ち、斜め持ちが斬新でしたね。
National製グリーンモニターまだ動くようです。
とりあえずサターンの起動画面で
MZシリーズ辺りは訪問修理もあったそうですし
ワンダースワン。底値になったらキープしておこうかと思ってたら
アッという間に消えて無くなってしまいした (><)
MZ-80Bはかっこよかったなぁ。
通称グリーンコンピューター・・・あれ、一文字間違えた?
またゲームで恐縮ですが、エスケープ大作戦が印象に残ってます。
MZ-80B。カセットデッキまでソフトで制御できるのは格好良かったですね。
MZ-2200やMZ-700でオールインワンを放棄したのもカラー化の波で仕方なかったですが、あれはあれで少し寂しかった。
そうそう、APSSで頭出しまでできたのが実にテクノ(死語)な感じでした。
それまでのぐいっと押し込むスイッチも好きでしたが、MZ-80B登場のインパクトは大きかったですね。
不可能は無いで有名なMZ-700ですか。
タイニーゼビウスで歴史が変わりましたが、カセットが残念でしたね。
ポプコムのサークルコーナーで知り合った人といまだにFacebookやTwitterで繋がってます(30年の付き合いw)
あのカセット制御はMZ-2500まで進化し続けましたね。
フロッピーをソフト的にEjectできたりする機種も一時期ありましたし
ああいうギミックは心の琴線に触れるものがあります。
ゼビウスの移植や似たゲームは大量に出ましたけどMZ-700版タイニーゼビウスはこだわりの逸品でしたね。同じ名前のPC-6001版は残念な出来でした。
家庭用ゲーム機で流行ったストIIの移植もそうですが、マシンパワーが足りない時にどこを重視して移植するのかは大事なポイントですよね。
> wucky さん
古い時期に知り合った友人知人。特に同好の士とは意外な程、繋がりが途絶えないですよね。
ああいう縁は大事にしたいものです。
そしてポプコム! これまた懐かしい名前ですねー。雑誌の話が出てきたときにも漏れてしまってました。
小学館なコンテンツを利用したりソフトとかも出した独自路線の雑誌でしたね。
ああいうギミック、大好物でした(^^;)
MZ-2500こそスーパーMZは雑誌では見ていましたが、その直前にPC-9801VMが出ていましたので、残念ながら食指が動きませんでした。
移植と言われて思い出すのは電波新聞社ですねぇ。
色々なゲームを移植していたのが懐かしいです。
スーパーMZは友人が買ってました。あの時期にMZを買うのはまさに漢でした。
PC-9801VMは大ブレイクしましたねー。VXとともに98のスタンダードを確立した機種でした。起動時のピポッ音もこの頃からですが、VMはクロックが低いのでゆっくりとした音でした。
電波新聞社も色々と手がけてましたね。個人的にはジョイスティックが思い出深いです。これはTOWNSの頃に買ったアタリ規格のものですが、FM-7用のはキーボードコネクタの間に挟んだりして、今からすると無茶な製品もあって好きなメーカーでした。
あ゛~~っっ!!
このジョイスティック、懐かしいですねぇ。
できが良くて操作性も文句無しで、メガトラやX68(ぺけろっぱ)に使われる例が多かったとか。
スーパーMZとは、実に剛毅な御友人をお持ちなのですね。
最強の8ビット機、一度くらいは実機を使ってみたかったです。
VMは学校の電算室にあったので、パソコン同好会を開設してゲームしてました(笑)
VX21は私の最初の16ビットマシンで、プリンタPR201H2を接続して年賀状やら、フロッピーのラベルやらを印刷していました。
当時高価に思えたインクリボンは限界まで使っていましたが、今のカートリッジを考えると、良心的な価格でしたね。
よくよく思い出すとFM-77AVで使ってました。TOWNSの頃も格ゲー用に使ってましたが、TOWNSで多用したのはAir Warriors用に買ったサイバースティックでした。(これもシャープ系で有名なものでしたね)
当時の友人連中はなかなか個性的でした。PCも各人の趣味によってバラバラ。休みの日などは互いの部屋に押しかけて朝から晩までパソコンいじったりゲームしたりしてました。
PC-PR201H2はVXのカタログで一緒に載ってたプリンターですよね。
インクリボンは薄れていくだけなんでギリギリまで使い倒しました。
ランニングコストは安いけどプリンター本体は凄く高かったので現代とは逆のビジネスモデルですね。
あとMS-DOSの時代はプリンターの系列毎に制御コードがが違っててアプリで対応するのが面倒でした。まあEPSONのESC/P系とNECのPCPR系が特に多かったですが、同じNECでもNM系とかもありましたしね。
Air Warriorsはしっかりしたできだったので、私が好きだったAirCombatが酷評されていたのが思い出されます。
いやぁ、単なるシューティングゲームとフライトものを比べられても困ってしまいますわぃ(^^;)
私の友人も結構個性的で、X1turbo、FUJITSU MICRO8(通称は後期FM8、前期MICRO8)、FM-11、FM77AV、パソピア、ZX81、ベーシックマスター、JR100、HitBit、ぴゅう太、M5(私が思い出した順)とまぁ、メーカーもシステムもバラバラでしたねぇ。
大容量のMICRO8用バブルカセットは一度使ってみたかったのですが、誰も買わなかったので現物は見られずじまいでした。
PR201H2は頑丈で良い機種でしたが、ちと賑やかでした。
ランニングコストは安かったですね。
プリンタの制御コードと言えば201PL互換は外せませんねぇ。
富士通MICRO8超懐かしい。
バブルメモリが普及しなかった。
不遇の名機。
バブルメモリのカラー図解が当時のNEWTONに掲載されたのを覚えています。
竹内均が編集長の頃定価が700円だったかな?
エアーコンバットは実際やってみると凄く面白かったですよね。
従来のアフターバーナー等よりフライトシミュレーター寄りだったので
却って評価が厳しかったのかも知れません。
私はAir Warriorsな友人たちとオフ会の度に楽しんでました。
FM-8の名称は7が出て富士通がFMシリーズとして推し始めた頃から省略されることが増えましたね。
正式名称もFM-7まではFUJITSU MICRO 7でしたが、NEW7や77からはFMになりました。
富士通の8~16ビット時代は会社のロゴが今より古いものだったのも懐かしいポイントです。
バブルカセットは高速なのがウリでしたが結構高かったですしね。
大容量タイプは128KBでしたっけ?
プリンタの制御コードはエプソンでさえESC/P"スーパー"で201互換モードがありましたからね。
メーカー製のプリンターとしては最大派閥でした。
ちなみに私が当時買ったのはVP-2000でした。PCPR系は後にラベル印刷用として熱転写のPC-PR406を買いました。
>よそもの さん
バブルメモリを推してたのはMICRO 8とBUBCOM80くらいでしたね。
7になったときに標準装備から外されたのが致命的だったかも。
NEWTONも懐かしいですね。竹内均さんが編集長だった頃というのもツボです。
今と違って雑誌が結構売れる時代でした。
MICRO8はコンピュータとしての完成度は高く、非常に良くできていましたね。
ただ、キーの同時入力ができないのでゲームには外部コントローラー必須だったと思います。
キーボードでゲームをする場合、シューティング系ではbreakキーでショットとか、移動後に「5」で止めたりしていましたね。
>babel さん
エアーコンバット、面白いとおっしゃって頂き、大変嬉しいです。
単なるシューティングとして、MICADOの物理法則を無視した動きを楽しんでました。
FMの正式名称は途中からハイフンが無くなったりしていましたね。
あ、最初はMICRO7でしたっけ。すっかり忘れてました。
バブルカセットは128KBだと思いましたが、メディアが数万円だったかと。
プリンタの制御コード、懐かしいですね。
当時は各ソフトごとにプリンタ対応リストがありました。
ウィンドウズでプリンタドライバという概念が新鮮でしたねぇ。
エアーコンバットは撃墜した時の達成感が好きでした。同じナムコから出てた家庭用ゲーム機のエースコンバットも似たようなコンセプトのゲームでお気に入りです。ガチのフラシム好きに批判されることもありましたけど、ゲームは「面白ければ何でもアリ」だと個人的には思っております。
プリンタードライバーは本当に素晴らしかったです。ソフト側がいちいち対応しなくても良くなりましたからね。
自作ソフトにせよ仕事で作ってたソフトにせよ、MS-DOS用のソフトを対応させるのは本当に面倒でした。
ページプリンターとかは制御コードのマニュアルは別売りでしたし結構高かったし…
実はFM-8/7はハード的には2キーロールオーバーなので同時押しそのものは大丈夫なんですよ。
問題なのはキーを放したのかが即座に判定できない点でした。オートリピートも最後に押したものしか送信しないので2キーロールオーバーが台無しになり、しかも途切れないと放した事が分からないのでアクションゲーム等には不向きでした。
故にFM系ゲームでは素早く動きを止めたい時はテンキー操作で「5」を押すなんてテクニックが常道でした。
なおBreakキーだけは割り込みを使ってる上に放した瞬間も判定できる手段がありました。よってFM系でのトリガーは他機種のようにスペースバーではなくBreakキーが定番となり、よく壊れるキーの代表選手でもありました。
ここら辺はFM-77AVになってようやく改善され、nキーロールオーバーと完全なON/OFFが解るようになりました。描画機能も強化されたせいでユーザー数が少ない割にアクションやシューティングがザクザク出た機種でした。
最初のパソコンがFM-7。更に自分で稼いだ金で買った最初の機種がFM-77AVだったのでこのシリーズは特に思い入れがあります。
エアーコンバット、確かまだパッケージごと保存してありますが、PC本体が動くかどうか微妙です(^^;)
エースコンバットも大好きでしたが、私はPS2までですので最近のはさっぱり分かりません。
えーい、八つ当たりでTLS攻撃ぃ(←反則)
MS-DOS用ソフトはパッケージに対応プリンタがいっぱい書いてありましたね。
当時はソフトごとに対応プリンタが異なるのは当たり前でしたから。
言われてみれば、確かにFM-8/7のキー動作はロールオーバーありでしたね。
色々な機能を分担していたのは画期的でしたが、逆にアクション系のゲームには不利でした。
ああ、懐かしきYAMAUCHIコマンド(^^;)
私もPS2までです。PS3はエースコンバット6の為にXBOX360に走ったので買わず。PS4も未だ入手せずです。
ただエースコンバット6はグラフィックスは良かったけどゲームとしてはかなり残念な出来でした。
まあXBOX360は他にもいろいろなゲームを楽しませてもらったので満足はしてますけどね。
TLSはいろんな意味で反則でした。でもああいう突き抜けた発想は面白いですよね。
プリンターメーカーも当時は結構生き残ってたし、MS-DOS末期ごろのパッケージはプリンターの一覧だけでも凄いことになってましたね。
YAMAUCHIコマンドを御存じとは流石です。メインとサブのCPUを同時に稼働させたり裏RAMのバンク切替には欠かせないコマンドでしたね。
この山内さん。マイクロソフトからBASICを受け取る前には、BIOSを事前に仕上げてしまっておりBASIC受領後はわずか1週間ほどでFM-8を動作させちゃったという凄い方でした。当時はこういう一人でなんでもやっちゃう天才肌のエンジニアが多かったです。
色々と共通点と共通の話題が多く、光栄です(^^)
ペケ箱は買う気にならなかったので、残念ながらエースコンバットから撤退してしまいました。
TLSは薙ぎ払う感覚がストレス解消にバッチリで、実は結構好きでした。
対応プリンタ一覧には「載ってるだろうけど一応探さないと…」と苦労していました。
今ならネット検索ができるのですが、当時は紙を見る以外に方法がありませんでしたから。
YAMAUCHIコマンド、メインとサブのCPUで全然別々に動かすことができたのは凄いのですが、その連携が弱かったのが残念でした。
共有空間、凄く狭かったですよね。
山内さんの逸話は知らなかったのですが、当時は何人かの天才プログラマーがいましたね。
今の時代では想像もできませんが、本当に一人でなんでもやっちゃってましたね。
こちらこそ楽しくお話をさせていただきとても感謝しております m(__)m
巧妙にバランスをとったゲームも楽しいのですが、TLSみたいなのもスカッとしますよね。
今思えば紙でしか見れないのは不便でした。パソコン通信やその後のインターネットで
情報共有できるようになったのは本当に画期的でした。
共有RAMは128バイトしか無くてチマチマ転送してましたね。送り先であるサブCPU側のワークRAMが少ないからそれで良いだろうと言われれば仕方のない設計だったかも知れません。VRAMのうち表示に使ってない部分も使ってるプログラマーも多かったです。
ゲーム開発も一人でやってる方が多かった時代でした。今から思えば8ビット機は一人で遊べる規模だったのが幸いしたかも知れません。
むろん今の大規模開発なゲームもそれそれはそれで遊んでて楽しいのですが
ゲームバランスはきっちり作り込むか、徹底的にぶっ壊すかのどちらかが好きです。
よって、バランスの良いゲームで頭を使って楽しんだ後、TLSを撃ちまくってトリガーハッピーモードを楽しんでました。(^^;)
情報共有と言えば、DOS時代はシングルタスクでしたから同一ソフト内でしかコピーできないのが当然でしたね。
花子2と一太郎4が微妙に共有できたりする例外はありましたが、基本はテキスト書き出しで共有する程度でした。
そうそう、128バイト制限で画面を一気に描画したりすることが困難だったのが功を奏してテグザースクロールの様な芸術的な技が発達したのでしたね。
え?VRAMオフセットもあるでしょって??
いやぁ、流石にもう忘れちゃいました(笑)
ゲームバランスについてのお考えは大いに賛成です。私の好みもそれです。
クリア後のオマケで超兵器をもらえたり、RPGクリア後の「強くてスタート」なんてのも好きです。
確かにMS-DOSはファイルでしかデータをやり取り出来ないものが多かったですね。
常駐ソフトを使ってなんとかって感じでしょうか。
ゲームアーツは職人技でした。当時はAPIで覆われた現在と違ってハードを直接叩きまくれる時代でしたから裏ワザ的な使用方法も平気で出来ましたよね。代わりに後継機出すメーカーが苦労してましたが(^^;
当時のメモやノートを見てると今は忘れてる事がホントに多いです。使わない知識は細かい部分をボロボロ忘れちゃいますね。
恐ろしく気が合いますね、嬉しいです。
大戦略では核兵器を使ったりしていました←極悪。
常駐ソフトでのコピー、なかなかうまくいきませんでしたね。
ハード…当時は「ポート」を叩いたり聞いたり、懐かしい響きです。
プログラムがハードの限界を極めれば極めるほど、後継機での互換性が下がりましたね。
何だったか忘れましたが、FMシリーズのソフトで機種を判定してそれぞれの機種の特性を活かしまくったものがあったと記憶しています。
ゲームだったと思いますが、残念ながら思い出せません。
確か、機種ごとに別ソフトの様な挙動をすると思いました。
大戦略も好きでしたねぇ。友人と大戦略FMで対戦とかしてました。
PCの思考はまだまだ弱い時代でしたが、8ビット用なのになぜか初代大戦略より強くなっててプログラムの可能性を感じたものです。
核兵器は大戦略IIでしたっけ? 懐かしいです。
あの頃は隠し操作やパッチ当てで使える兵器やアイテムとかありましたね。
マシンパワーに余裕がなくてAPI層でラップできない8ビット時代は仕方ないにせよPC-9801なんかも長らくV30を搭載して互換性維持なんてこともしてましたもんね。今はOSとドライバが吸収してくれるのでアプリを書く側にとっては楽な時代ですが、ドライバーを書かない限りハードを叩けなくなったのはちょっと残念な気もします。
機種ごとに別といえばDAIVAなんてゲームのもありましたね。
なかなか意味不明な企画のゲームでした(^^;