人が怖い友達の話。
私より3つ歳が上の友達。
本や映画が好きで、たまに連絡を取り合うとオススメを教えてくれたり、私のオススメも聞いてくれる。
はじめてあったのは6年前くらい(?)前髪が長くて帽子をかぶっていて話す声も小さかった。けれどかけてくれる言葉は優しいもので、私を傷つけることはなかった。彼は人が怖いという。理由は自分に自信がないかららしい。人に嫌われる事が怖い。だから言葉はどれも優しいのかと思った。
私が楽しいと思う遊びはどれも幼稚なものである。折り紙やら粘土遊びやら。1人でやるのもなあと思った時、彼に声をかける。彼は一緒に楽しんでくれる。ケーキやら紅茶やらを用意して自宅に招いて遊んでくれる。優しい人。優しすぎるところが人と異なってしまって社会の端に追いやられてしまったのかもしれない。
狡さがないから弾かれてしまったのかもしれない。一定量の狡さが社会との潤滑油になって歯車になる。私も狡さを持っている。だから歯車に、小さいけれど周りと上手く回っているのかもしれない。
そんな彼も夜、どこかのお掃除屋さんとして働きだして、一人暮らしをはじめたらしい。人と接する事がないお仕事だと言っていた。彼はそこで少しでも狡さを学ぶ事ができるのかな。微妙だなあ。
6 件のコメント
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というのは他人事と思えないのでよく分かります。
年を重ねてようやく、一度きりの自分の人生なんだから、自分以外に自分を大切にしてあげられる人はいないんだから、
まずは自分を大切にしよう。自分の気持ちを一番に考えよう。それで離れてくような人は元々合わないだけ。それで孤独になるなら一生孤独でいいや。
と考えられるようになり、実際に友達と呼べる人はいないけど、映画も一人で行くし、居酒屋なども一人でカウンターで飲んだりします。
周りの目が気にならなくなったのは本当に最近なんですよね。
そりゃ友達ができないのは寂しいですけど、かと言って今から一から人間関係をプライベートで構築するのも大変だし…
でも、そのお友達にはしらたまたまさんがいて、しらたまたまさんにはそのお友達がいるので、それでも十分ではないかと思いますよ。
普段は社会の中で我慢して頑張って、二人でやり取りする時はそういうしがらみを忘れる事ができる関係なわけですし。
何を言われてもめげない、自分がとにかく好き、という人が人との繋がりを多く持てるのかもしれません。それに他人と関わるのが怖いと言う人の周囲には自然と誰も近寄らなくなるものです。そういうの、伝わっちゃうんですよね。
人に嫌われたくない。他人に評価や目が気になる。迷惑をかけたくない。
だから、人に優しくする。自分の気持ちを伝えない。我慢する。
私の心もえぐられますねw
自己中心的、楽観的、ポジティブ。
こういう人の方が幸せになれそう。
私もなる!いえい!
平成最後のMasa☆彡さん
お二人の言ってる事、何故か私の心にストンと入ってきました。
平成最後のMasa☆彡さんまでは、進歩してませんが、近くまで行けてるかもです。
生まれ持った性格です。
ピュア過ぎる✨正直者✨
『狡さ』と表現されてるけど、他の人は『狡い』なんて思ってないんだろうな🤔って思う今日この頃です。
すごく気持ちの優しい方なんでしょうね
「狡さ」
あまりいい響きの言葉ではないけど必要な時ありますよね
>少しでも狡さを学ぶ事ができるのかな。微妙だなあ。
少し狡くなった(なれた)としても
きっと彼は今と変わらずやさしいままでいてくれると思いますよ
人の本質ってそう簡単に変えられるものではありませんから
知り合ってお話しして一緒に過ごしてても、相手は友達と思ってくれてるのか、しばらく会わなくなって、忘れられたりして。
学生の時の友達なんか、数十年会わなくて、再会した時話が盛り上がったり。
私には、友達がいるのかいないのか。
結局のところ自分の思いかた次第なのかな。
気を遣い過ぎてもお互い疲れるし、その時々で付き合っていくでいいのかなと思います。
多少の狡さといい加減さは必要ですね。
大事なのは、自分にも相手にも正直でありたいって事と思っています。