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東京都文京区にある「赤門」に関するレクチャーに参加していました。赤門は、江戸時代の加賀藩邸にあり、そこには、徳川将軍家より輿入れした「溶姫」の御殿があった。この「溶姫御殿」は、写真の赤い枠の部分。その右側にあるのが加賀藩主の御殿。なんと、加賀藩邸の約半分の面積を占めた、徳川の溶姫様。徳川幕府の威光が見て取れました。(わたしの2年前、5月6日の「街歩きの日記より」)
メンバーがいません。
見たいです!(笑)

上図中央の太線内は藩邸の中枢部分で「御殿空間」と呼ばれ、表向きの殿舎、藩主とその家族、それに仕える奥女中らが居住する奥向きの殿舎、それらに付随する庭園や馬場等が含まれています。これに対して後者は多数の江戸詰め藩士らが起居する生活空間で、こちらは「詰人空間」と呼ばれています。溶姫の御殿は「御殿空間」の半分ほどを占めていたことになりますが、「赤門」は溶姫御殿専用の門で、藩主の御殿への入り口は図で少し下に描かれている「大御門」が使われていたそうです。
ちなみに、第11代将軍家斉には男子も含め全部でで55人の子供がいたそうですが、溶姫はその第21女だったらしいですね。

江戸城などでは、城主の政治の場所である「表」に対して、「奥」に女性の空間が広く展開していましたが、加賀藩邸では横に並んでいるばかりか、奥様専用の「赤門」のほうが「大御門」より少し前に出ているのが面白いですね(笑)