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大古 森田 横田 猫田 そしてナンショー

「あのな、KATOLECって車あちこち走ってるよね」
「そうそう、元々は香川かどっかの会社よね」
「ひょっとしたらカトキチとか関係あるのかな」
ググる
「カトキチは別みたい」
「なんか、加藤海運とか加藤汽船とかの関係で加藤陸運ってのがカトーレックになったとか」

先日の「明石家さんまの転職DE転職」で紹介されたのが、加藤海運グループの南克幸社長
http://www.kato-kaiun.co.jp/greeting.html

旭化成で日本代表としても活躍していたバレーボールの選手で、代表に落ちた後は旭化成で営業の仕事をされていたとか
同じ会社で働いていた女性と結婚したら、なんと加藤海運の社長のお嬢さんだった
(この辺、愛媛の大造船所の社長令嬢と結婚した笑福亭鶴瓶に似てるかも)

で、さんまも驚いたのが、南社長のお父さんが、なんと東京オリンピックのエースで、その後3大会でメダルを獲得した世界のバレーボール史でも有名な南将之氏だったとのこと

ミュンヘンオリンピック準決勝
日本チームは、1、2セットを失いリードされていた3セット目、日本チームの監督は、南を投入
フライングアタックを完成させるために、毎日の練習で傷だらけ、血だらけになっていた南選手を知っているチームメイトはここぞとばかりに果敢に攻撃をして追いつき始めた時だった
相手のボールがラインオーバー
主審がアウトの審判をした時に

明石家さんま「メダルを争う試合でネットタッチした時に、審判が違う方を吹かはってん。そこで南選手が『私がネットタッチしました』と手を上げた。それで日本はなんてフェアな国だとアピールしてくれた。実況で『南 私がやりました。手をあげました私がやりました』って言うの覚えている」

その後の経緯は
元バレーボール日本代表・南克幸氏 引退後営業マンから「年商100億社長」に転身
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/28/kiji/20190428s00070000454000c.html

「ミュンヘンへの道」のファンだった方もおられるかと思いますが

松平康隆監督「金メダルを取り損なったヤツが銀なんだ。大きく取り損なって銅メダル。参加する事に意義があるなんてとぼけた事を言っているのがいるけど、それはピクニックにいく言葉、オリンピックじゃ無い」

ミュンヘン男子バレー 金メダルへの軌跡
https://www.youtube.com/watch?v=NtvoVrvmu4U
こういう過酷な練習、今だったらあっという間に報道バラエティの餌食になるでしょう
「なせば成る」の大松監督、「剃るぞ」の八田監督と共に松平監督もキツかったよう

すばらしき仲間Ⅱ 全日本男子バレーの星たちVol.2
https://www.youtube.com/watch?v=HCPnJ7nfEpM
親子鷹と言われた南社長が父の優勝試合の様子をみた後のインタビューも


ということを当時の事はあまり知らないですが調べてみました
間違ってる部分はご容赦


1 件のコメント
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大阪万博、ミュンへン、札幌は高度成長に入った日本が希望満ち高揚していた時期でした。松平監督の「負けてたまるか」「わが愛と非情」はそんな時代風潮にマッチした著書でした。マスメディアを駆使した稀代のプロモーターはお母様は盲目、そしてお子さんを亡くされているのですね。ドライブサーブ、一人時間差の森田選手のファンでした…
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