保護者の体罰 法規制へ
保護者の体罰、改正案で法規制
https://jp.mobile.reuters.com/article/amp/idJP2019030201002158
>改正案には「児童のしつけに際し、体罰を加えるなどの行為で懲戒してはならない」との内容を盛り込む。
保護者による虐待で、子供が死亡する事件が報じられる度に涙し、強い憤りを覚えてきた一人です。
この法改正により、尊い命が救われるのであれば、これに越したことはありません。
しかし、
なんだか釈然としない気持ちで、もやもやしている自分がいます。
体罰には精神的なものも含まれると解釈します。叩くといった行為だけではなく、叱ったり、諭したりすることも取り方によっては体罰と取られかねません。
果たして、叱られたことのない子ばかりが大人になった社会の秩序は保たれるのでしょうか。
また、子育てをすることが周りから監視される世の中の不気味さも感じてしまいます。
こんな私の考えは間違っているのでしょうか。
22 件のコメント
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体罰は悪しと考える人が多くなってきたというだけかと。
体罰って理屈で説明できない大人が力でねじ伏せると思っているので今の流れは賛成です。
コメントありがとうございます。
>>体罰って理屈で説明できない大人が力でねじ伏せると思っているので今の流れは賛成です。
理屈で説明できない親の一人です。
どうすれば一人前に育ってくれるのか、葛藤の日々です。
ご意見心に染みます。
やる本人は痛くもかゆくもない。
やられた方はたまったものではない。
やられた方はトラウマになり脳が萎縮する、このことよく考えて欲しい。
なんでも、枠を超えると地獄落ちです。世知辛い世の中です、口で言つても分からないから手がでるのでしようが、なかなか我が子は殴れれない。
殴れないのに、初めて殴った、それに慣れてエスカレートしていくから、やはり枠は超えないようにしなければ、
私も賛成です。
さじ加減が難しい物ですね。
しかし、何もしないのも行政としては難しく……
育成試験とか子供を育てられるか免許みたいなりそう?
コメントありがとうございます。
最初の堰を切ってしまわないことが大事ということですね。
その意味では今度の法改正は抑止力になるかもしれませんね。
私も体罰賛成というわけではありません。実際子育て中の身をもって、息苦しさを感じているだけなのです。
コメントありがとうございます。
>>育成試験とか子供を育てられるか免許みたいなりそう?
私は長男が生まれる前や後にも、行政が催す子育て教室に何度も通いました。
とても良かったので、もっと活用されると良いと思います。義務にするとか。
子育ては難しいですよね。
私は理由を説明してほしいと思います。
なぜその言動がいけないのか?
大人になってこの人はどういう教育を受けてきたのか、唖然とすること、たくさんあります。
思いやりを持って接すれば、思いやりのある大人になれると思いますよ。
論点がずれていたら申し訳ないです。
おはようございます。コメントありがとうございます。
>>大人になってこの人はどういう教育を受けてきたのか、唖然とすること、たくさんあります。
子どもの為と称して暴力を振るう。
実は「親の顔が見てみたい」と言われることの無いように親の為の行為なのかもしれませんね。
そう考えるとなんと愚かしい。
おもいやり。私も一番伝えたいことの一つです。
道徳の内容に賛否はよく起きてますけどね。
こんにちは。コメントありがとうございます。
道徳は本来家族や友人、地域の人たちとの関わりのなかで自然に学んでいくのが理想でしょうね。でも、学校で教えなければならなくなったのは、それぞれの関係が希薄になったから?
人としての学び、大事にしたいですね。
はやてんsbさん
善悪の判断を一律に決めてしまわぬよう配慮が必要ですね。
目が覚めました。
法規制より、
児童相談所の人出不足を
解消する方が効果は
高い気がします。
相手が、死ぬまで暴力を
振るう人は違法でもやりますね。
コメントありがとうございます。
>>昔先生に、はたかれて
目が覚めました。
昔は当たり前でしたね(笑)。
児童相談所に関しては、適性も志も無い方が、突然定期異動で配属されることも問題だと思います。
再コメントです。
私は家族から体罰は受けたことはないです。
でも学校では日常茶飯事でしたね。
小中はひどかった。
言葉でもたくさん傷つけられました。
理由も聞かず怒鳴られたり。
その先生たちに感謝の気持ちはなく、これからも反面教師とさせていただきたいと思います。
そんな中でも感謝している先生は何人かいますね。
叱られることもしょっちゅうでした。
でもやっぱりその先生たちには、私に対する思いやりはあったなあって思うんです。
自分は童話でいうと、「北風と太陽」の太陽のようでありたいと思います。
ベランダ主任さんが、子どもさんたちの将来について真剣に考えられている、その気持ちが一番大事だと思います。
再コメントありがとうございます。
確かに昔の学校における体罰はひどかったですね。
ルールやモラルに反したら、罰を受けなければならないということを身体で覚えた訳です。
それでも今と違って、それを笑い飛ばせたおおらかな時代でしたね。
いい先生に出会われたようで、羨ましいです。
>「北風と太陽」の太陽のようでありたいと思います。
素晴らしいですね。皆がこの気持ちなら世の中はもっと良くなるでしょう。
お子様のうちから論理思考的な制限で親が躾をしてそれに従うか否か?というのを考えると、そもそも「会話の出来ないうちは泣くなど物理的な対応をしないと」になるので。
そこを大人が冷静に理解しつつも「時には突き放す冷酷さ」も必要ですからね。(そうすることによって泣くだけでは問題が解決しないことを子供にも理解させる必要はある)
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」(獅子の子落とし)もありますけど、何が本当の優しさなのか、きちんと親として対峙する必要もありますし、甘えさせるのと甘やかしはまた別のお話、と考え、毅然とした対応を取りつつも世の中の仕組みを教えていく必要があるんだと思います。
※他所様を引き合いに出して云々と言うのは簡単なんですよ。自分の
ところだけでうまく折り合いつけるための考え方、律し方は何かを
考えないとね、って感じですかね。
コメントありがとうございます。
>「論理思考と感情制御のバランスをどう取るのか?」
真意を正確に理解できているか自信がありませんが、
それぞれの子の特性や事情をを考慮しながら、その子に最適な(オリジナルな)子育て法を試行錯誤すべし。ということでしょうか。
やっぱりひと一人個性の違う人間を育てるというのは一筋縄ではいかないですね。
体罰で育てられた人は、自分が育てられた方法しか知りませんから。
今は道徳の授業が毎週必須なので、そこでやっても良いかも。本気で考えて欲しいです。
コメントありがとうございます。
全く同感です。
私のもやもやの原因の一つは、体罰以外の方法を知らず、皆困惑している状況の中、その道筋を示すことなく法改正に踏み切ろうとしていることです。
叩かれて育てられたから自分も叩いて育てる。そんな連鎖を絶ち切るためにも、今やるべきことは何か、真剣に考えるべきです。
> 真意を正確に理解できているか自信がありませんが、
> それぞれの子の特性や事情をを考慮しながら、その子に最適な
> (オリジナルな)子育て法を試行錯誤すべし。ということでしょうか。
> やっぱりひと一人個性の違う人間を育てるというのは一筋縄では
> いかないですね。
そうですね。真意としては「育てる側ももうちょっと論理と感情の制御をきちんと学ぶこと」(要は育てる側がその辺りきちんと把握してないとまともな子育で出来ないでしょ!)ってことです。
それとこれは言うまでもないんですが「何でもかんでも教育事項を学校に押し付けるのは既に限界に達している」とも感じます。
本来はこういうことに関してもコミュニティで色々と面倒を見る、なんてのが昔はあったように感じていますが、これだけコミュニティ破壊に繋がる事象(例:地上げなどを含めた地域を無視した開発、核家族化、その他社会情勢)が繰り返されるとコミュニティの維持を普段から意識することはなくなるでしょうからね。
不謹慎ではありますが「災害なり何かしらの事象が起きて、そのときだけはお互いに譲り合うのが再認識される」というのもなんだか皮肉だと思います。普段から色々と自分を律していきたいものですね。
遅くなりましたm(_ _)m
>真意としては「育てる側ももうちょっと論理と感情の制御をきちんと学ぶこと」
中々難しいですね。実際子育てを通じて学ぼうとすると、なんとか理解出来た頃には子育てを終えているのかもしれませんね。
昔はじじばばが側に居て自分の経験を伝えることで補っていたのが、今はそれがない。
コミュニティの破壊はこういったところにも影を落としていますね。
破壊されつつあるものを元に戻す努力をするのか、代わりのものを作り上げるのか。
いずれにしても大変な道のりですね。