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バブルの頃の思い出

私が大学を卒業して社会人になったのは平成元年(1989年)。
世の中はバブル経済の真っ只中でした。
バブル経済の時期、私ら世代で話をすると「こんなことがあったな〜」「今では考えられない」と思い出話になります。
今の経済状況から考えると「あの頃は良かった」と語られ勝ちですが、バブル経済の頃はある意味大変だったこともあります。
バブルの頃について語り合いませんか?

バブル経済の頃と言えば、当時東京にあったディスコ「ジュリアナ東京」のお立ち台でボディコン姿の女性が「ジュリ扇」を持って踊っている姿や、会社の経費使い放題で接待していたのを想像すると思います。

私が大学生で就活をしていた頃、会社説明会に出席して履歴書を出すだけで面接無しで内定が出た。遠隔地の企業の本社に会社訪問や面接に行くだけで交通費をもらえるため、同じ地域の企業を複数訪問して交通費を稼ぐ「リクルート成金」。
当時あった就職協定の会社訪問解禁日になると、すでに内定を出していた企業が内定者をリゾート地に呼び出し、お泊りでドンちゃん騒ぎをしていた「拘束」がありました。
私はリクルート成金や拘束とは縁がありませんでしたが、安易に内定を出す企業には警戒感を持ち、会社説明会で質問にしっかり回答頂いた企業で内定をもらい入社しました。この企業は今も業界で実績があり、私の選択は間違えてなかったと自負してます。
バブル経済時期と言えば、就労環境も楽だったと思う人もいるかも知れません。私は営業職でしたが商品を確保すれば売上が上がるという良い時代でしたが、昭和の高度経済期にバリバリ仕事をしていた方が上司で、今だとパワハラやセクハラまがいの怒声を浴びながら「社会の洗礼」を受けてました。怒声を浴びながらも仕事が終わってから呑み会に連れて行ってもらい、高度経済期の仕事について聞かされました。
当時の上司厳しかったですが、言われたことは今でも仕事を進めるうえで役にたっていることもあります。

この環境もあり当時〜転職するまで「会社人間」でした。公私の区別が無く勤務時間後のお付き合いがありましたし、アナログ時代であったことから効率が悪い業務で残業も多かったのが事実です。
当時リリースされた、ユニコーン「働く人」を聴くと、当時の労働環境を思い出します。
ちなみに、私の嫁とはバブルの頃から付き合いはじめました。歌詞がささります。

マイネ王の掲示板を見たり、オフ会に参加すると私と同年代の方が結構みえます。
皆様のバブル時代の思い出についてコメント頂けましたら、嬉しいです。


16 件のコメント
1 - 16 / 16
バブル期の恩恵受けてない世代です😞(あえてややこしい言い方w)

バブル期の工事現場の話を、年配の作業員さんたちから散々、聞かされました…w
羨ましいような、羨ましくないような…🙄

大変、申し上げにくいのですが…ジュリアナ東京のオープン日は…正確にはバブル崩壊直後です。なので、あのセンス踊りも「バブル崩壊後のヤケクソ踊り」と言われていたのですけど、いつの間にか…年月が経つと話って歪曲するのですね…

あとジュリアナ東京を手掛けた人物は…マイネ王には投資してる方も多いので、ご存知かもしれませんが折口雅博です。ベルファーレもです。
折口雅博といえば、グッドウィル 、コムスン、ブロードキャピタルパートナーズのイメージの方が強いと思いますが。
都内の一部の人は寝てても大金を手にした事でしょう。
imuyan1@Mie
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>> スパイシーニョ@仙人の孫 さん

確かに。
バブル崩壊しかけた頃かも知れませんが、バブルの頃というイメージがあります。
肩パッドが入ったジャケットも当時の流行りでした。
折口氏、最近は聞かなくなりましたが、グッドウイルで日雇い派遣をしていて、派遣労働者からデータ装備費を天引きしていたことを思い出します。
膠原病諸症状連発で、
入社→発症→退社→入社→発症→退社の時代でした。
imuyan1@Mie
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Gマスター

>> Z5 premium さん

都心の一等地に土地がある人は「地上げ屋」に悩まされていたとか。
もう少し前の時期ですが、内定者を山奥のホテルに隔離するのはよくやってましたねー笑
それに何処の会社でも「根性研修」❗️
今から考えると馬鹿みたいな内容だけど、一定数は「感激して泣くヤツ」なんかいたりして。

関係ないけど会社の机には各自の灰皿、パカパカ吸ってましたよね、病院の待合室でもパカパカ、小学校のときは先生も教室でパカパカ‥
受動喫煙云々をヒステリックに叫ぶ輩もいなくておおらかで良かったと思います。
89年と言えば携帯電話は未だ誰もが持てるアイテムでは無い時代でしたね。

彼女の家に電話かける時のとんでもない緊張感…懐かしです😃
プラザ合意後の円高不況でどうなるかと思ったら、思いっきり新卒は売手市場。
プラザ合意の一年前にディープパープル再結成。一年後に浜田省吾のJ-BOY。

地上げ屋はまず、銭湯がやられましたね。
風呂なし安アパート住まいの友人は被害を受けそうになったのですが
大家さんが一部屋を共同風呂に改築して難を逃れてました。

89年、昭和天皇崩御。
前年の年末あたりから御様態が思わしくないのにも関わらず、
世間が大変なだけの理由で正月の終わりにされたのでした。
東條英機が文字通り必死で引責しお守りしたのに、この結果をどう思っているのか?
テレビは準備万端で延々と特番ばかり。
その友人、嬉々としてビデオ録画してました。
当時、10万、20万円。それでもかなり安くなりました。
imuyan1@Mie
imuyan1@Mieさん・投稿者
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>> たくちゃんマン さん

某大手外食産業でこのような研修をしている模様がテレビで放送されましたが、「ブラック企業」と言われるようになりました。
私も10数年前にこのような研修受けさせられたことがありますが、感動は一切ありませんでした。むしろ、人格否定する発言をする講師に「椅子投げたろか💢」と思ったくらいです。
平成の初め頃まで、地方のJR快速・普通列車でも通勤時間帯や禁煙車両以外はたばこが吸えました。窓際に「JNR」の刻印がある灰皿が付いてました。
当時、私の勤務先では喫煙者は交代では灰壺掃除が義務付けられてました。
imuyan1@Mie
imuyan1@Mieさん・投稿者
Gマスター

>> KZ改TOUFU さん

携帯電話の小売りが解禁されたのはバブル崩壊後あたりですね。当時、携帯電話を持っている人はある意味特権階級の人たちでした。
固定電話で電話するのは勇気がいる時代でした。固定電話で話していると家族が聞いているのか?という感じがして、テレホンカードを持って近くの公衆電話に行って架けたことがよくありました。
imuyan1@Mie
imuyan1@Mieさん・投稿者
Gマスター

>> KZ改TOUFU さん

テレホンカードを持って公衆電話に行っていたことを書き込んでましたら、当時のヒット曲のPVを思い出しました。
imuyan1@Mie
imuyan1@Mieさん・投稿者
Gマスター

>> がんばるじゃん@中世"JAP"ランド さん

昭和天皇崩御。
この日、目覚ましがわりに使っているラジオから「天皇危篤」のニュースが流れて、この画像をリアルに見ていました。
「天皇陛下崩御」という画面にチャイムが流れていたのを今も覚えてます。
この時は卒業前で、この日はホームセンターでアルバイトをしてましたが、制服に喪章を付けて店頭で作業してました。「国旗ありませんか?」と何度か尋ねられました。

前年、中日ドラゴンズがリーグ優勝しましたが、天皇陛下の病状悪化で自粛ムードがあり、リーグ優勝当日のビールかけが中止されたことを覚えてます。

>> imuyan1@Mie さん

自粛ムードありました。
学園祭が中止になり「まずはお前等が殉死してからにしろ!」とホザいたもんでした。
ま、運営委員会のメンバーでなかったんで遠吠えだったのですが。
そんなこんなで学部と同じところの研究室には残れませんでした。

動画は'87年公開の「ラスト・エンペラー」
今の中国に皇室はない。
バブル崩壊以降に苦い思いをされた方もおられると思うのでコメを分けさせて頂きますが、当時ROCK記念日に、こんな報道もありましたね?

6月9日 出生率「1.57ショック」、少子化対策の契機に
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO31532410Y8A600C1EAC000/
>出生率)が89年は1.57に落ち込み、戦後最低を更新

誰だったんでしょう、ときの厚生大臣。。。

69代 1987年-1989年 小泉純一郎
70代 1989年-1989年 小泉純一郎
71代 1989年-1990年 戸井田三郎

なぜ第三次ベビーブームは起こらなかったのか?
よ〜く、考えよお〜〜。
1990年というバブル景気絶頂の熱狂の中でリリースされた『踊るポンポコリン』は、浮かれきった日本社会に対する極上の毒を含んだアンチテーゼでしたね。

高度経済成長期を支えた日本人の「生真面目さ」「勤勉さ」を脱力感で一蹴し、あえて「ブタのプータロー」のような無責任さや、「お腹がへったよ」という飽食の時代にあり得ない歌詞をポップに歌い上げることで、狂奔する社会の空虚さを暴き出しています。

意味を持たないオノマトペの連呼は思考停止に陥った社会の空虚さそのものであり、過剰な消費主義の果てに「お腹がへったよ」という生存の最小単位へ着地する構造は、バブルの虚飾を冷ややかに嘲笑しているかのようです。

「タッタタラリラ / ピーヒャラ ピーヒャラ パッパパラパ」

「おどるポンポコリン / お腹がへったよ」

(作詞:さくらももこ / 作曲 :織田哲郎 / 歌:B.B.クィーンズ)

※全編の歌詞はGoogle等の検索でお確かめください。

この楽曲の独特な視点には、作者・さくらももこ自身が抱いていた濃密なサブカルチャー精神が色濃く反映されています。
劇中に登場する花輪くん、丸尾くん、みぎわさんといった個性的なキャラクターの名は、カルト的な人気を誇ったアングラ漫画誌『ガロ』等で異彩を放つ異端の漫画家(花輪和一、丸尾末広、みぎわパン)に由来しています。

密室芸というマニアックな世界からお茶の間の人気者へ上り詰めたタモリと同様に、さくらももこも本来は大衆向けではなく、シュールで毒のある世界を愛するマニアックな表現者でした。
国民的アニメという無害で親しみやすい皮をかぶりながら、日曜夕方のお茶の間にアングラな毒を忍ばせて見せたその手腕にこそ、彼女の真の恐ろしさと凄みが宿っているといえるでしょうし、それをよく考えずに受け入れていた当時の浮かれた世相も、ある意味で面白いかな~と思います…

(たま みたいなバンドがあんなに売れたのも同様ですかね)
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