薄れ行く記憶、12月8日。
薄れ行く記憶、真珠湾攻撃。
12 月 8 日は太平洋戦争が始まった日です。
今から 84 年前のことなので、今を生きる人たちは、日本がアメリカ合衆国に戦争を仕掛けたということを知らない人さえいる程に時は流れています。
もう 84 年も経っていますので、生き残った兵隊さんたちも、大陸や朝鮮等から家族を引き連れて引き上げてきた非軍人さんももう殆どが鬼籍に入っておられます。
そして戦前生まれの人たちでも、もう戦後 85 年ですから、15年戦争時代を少年少女として生きた人たちで元気な方の比率も随分と下がってきています。
アメリカに喧嘩を売った国は唯一無二、日本だけではないでしょうか?
ビンラディンのような、あの忌まわしいテロ攻撃はありましたが。
当時は日本人の少なくない人たちが万歳三唱、真珠湾攻撃に熱狂したようです。
新聞やラジオが15年戦争の戦意高揚を煽り、売り上げを伸ばしていました。
真珠湾攻撃がやがて自分たちの町を焼け野原に変えるとは思いもしないで。
満州事変を発端とする対中国戦線もイケイケドンドンとは裏腹に膠着状態であり、大陸に巨万の兵士・軍属を貼り付け、軍事費が財政を圧迫していたにもかかわらず、アメリカとドンパチ始めてしまった日本。
薄れ行く記憶、真珠湾攻撃。
今、台湾有事は日本有事の騒動に、歴史の教訓はいかされるのでありましょうか。
勇ましさをよしとする、日中双方の一部タカ派による21世紀版の盧溝橋事件演出機運リスクが無駄に経済戦争や軍事衝突の引き金を弾く。
我々は世の中の動きに無関心であっても、無関係ではいられない。
2 件のコメント
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私としては12/8はジョン・レノンが亡くなった日としての記憶が鮮明です。
日本が攻撃して来るという情報を精査し、
ちゃんとした対応をしていれば。
日本軍機発見情報も無視した。
戦闘が起きて犠牲となるのは自衛隊員、
その他の国民はどのように対応すべきなのか、
どのように戦闘協力すれば良いのか、
私はどのように戦闘協力できるのか。