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無理だと思うことを諦める時

今から、オリンピックに出るなど、そういう最初から無理だと分かっていることは、頭に浮かんだとしても諦められる。
がしかし、微妙に手が届きそうで届かないことって諦めるのは、とてもしんどい。特に時間を費やしてあれやこれや試してきたことは、手放したくなくなる。でも、けじめをつけるのも時には大事だし、それが自分を守ることにもなる。売れないミュージシャンが諦めるような心境。
そんなことが私にもあった。いつかあれはあれで良かったと思いたい。


14 件のコメント
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どんな世界でもそうだけど、撤退する勇気を持つのは重要。 やめどきを見極めてやめるのって、プライドとかが邪魔して、ホント難しい。
瞑想
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Gマスター

>> Kazuo Kubota さん

コメント、ありがとうございます。
本当におっしゃる通りです。
そんな気持ちもあり、ここに書き込んで決心が揺るがないようにしたいです。
人間は自分の時間を様々な活動に投資しているから、簡単に言うと金持ちもそうでない人も日々、時間投資をしているわけで。

達成困難な投資(夢)は、適当に損切りして、別の(夢)に時間を投資するのが良いのだと思ってます。

瞑想さんが手放した夢はわからんけど、投資はベテランさんのようなので、別の夢を手に入れたんじゃなかろうか。
「人生、諦めが肝心」「撤収」
座右の銘であります。

「頑張れば夢かなうは幻想、傲慢」
https://www.j-cast.com/2008/02/17016615.html?p=all
今年たちには、言い聞かせてました。
瞑想
瞑想さん・投稿者
Gマスター

>> トッチン@寝不足 さん

コメント、ありがとうございます。
まあ、今は色々考えないでおこうと思います。

実は投資していたと言われて、えっ?そうなのみたいな気持ちになりました。子供の頃から、親の所に証券会社の人が出入りしていたので、
大人になったら口座を開いて、株の売買をしたり、デフレ中にインフレに備えたりするのは、普通だと思っていました。
瞑想
瞑想さん・投稿者
Gマスター

>> hageten さん

コメント、ありがとうございます。
まさに、その通りですね。
改めて、言ってもらえると、決心が揺らがないで済みます。
うーん…考え方の問題?のような気がします。
表現を変えると、「本当になりたい自分」は何か?という抽象的な表現になってしまいますが…
例えば、オリンピックの選手になりたいと思っているのであれば、その時又はその後に、オリンピックの選手になった自分はどうしているか?どこに住んでいる?結婚している?どんな生活をしている?どんな人達と接している?というものが「本当になりたい自分」だと思います。つまり、オリンピックの選手になるのは手段でしかないということになります。なので、オリンピックの選手になる夢を諦めても「本当になりたい自分」から大きく外れなければ、もしくは少しでも近づいていくことができれば、良いのではないか?と思えます。
問題があるとすれば、私達は子供の頃から、何になりたいか?という手段に対しての問いかけばかりで、「本当になりたい自分」はどんな自分?という問いかけの機会をあまり得ていないような気がします。なので、手段を選択したり変更したりすることを上手にできないのだと思います。
「本当になりたい自分」は年齢とともに少しずつ更新されていくものだといわれています。(時代の流れとともに環境が変化しますので…)なので、「本当になりたい自分」を更新して、それを近づける為にできる小さなことから始めると良いように思います。多分ですが、今までの知識や経験(成功や失敗)が役に立つと思います。
投資のお話があっていましたが、お金も時間も労力も(それ以外にも)自己に対しての投資だという考え方もあると思います。値動きの方向があっていれば複利で増えるように、自分と「本当になりたい自分」とその手段があっていれば、大きな成果を得られると思います。
「本当になりたい自分」を更新する為に、自分はどんな人生をおくりたいのか?考えてみたり、今の自分はどんな感じなのか?を考えてみたりすることは良いような気がします。
そして、今の自分と「本当になりたい自分」のギャップを小さくする為の手段を見つける為に、学んだり、習ったり、試したりしながら、自分に合った手段が見つかっていくように思えます。
長文になってしまいました。申し訳ないです。
最後に、考え方は人それぞれですので、ふーん…そういう考え方もあるかもね…程度でお願いします。お役になれば、幸いです。
冬に入院、手術を受けたのですが、入院中に行われていたリハビリは退院後はしないとのこと。
お願いしたら、日常生活がリハビリになる。オリンピックに出るわけじゃないんだろw
なんて言い出す始末。
で、ナショナルチームのリハビリメニューを訊ねても説明しない。

なので紹介元の開業医に相談したら、うちでやりますとのこと。
昨日も無い時間を裂いて行ってきましたとも。効果絶大。
話題は逸れますが、担当の理学療法士が言うのは縫合ぐあいを見れば医師の程度がわかるという言うのです。
見てもらったら無言でした。。。
どちらにしろ、この病の面倒を見れるのは限られた医師なので仕方ありましぇん。

そこで格言を一つ。
「おのれ、ヘボ医者!!!」
ちがったw
「人の行く裏に道あり花の山 いずれを行くも散らぬ間に行け」千利休。
瞑想
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>> にゃんにゃんぷぅ さん

コメント、ありがとうございます。
なりたい自分を諦めるのではなくて、よくよく考えてみると、
なりたい自分になる手段を諦めた感じでした。
こうなりたいから、「これ」が必要の「これ」を諦めました。
「これ」への向き合い方が正解ではなかったのかもしれませんが、
正解を選択しなかった自分には「これ」の才能がないのだと思いました。
瞑想
瞑想さん・投稿者
Gマスター

>> がんばるじゃん@中世"JAP"ランド さん

コメント、ありがとうございます。
大変でしたね。
人生にはハプニングもありますね。
なんだかもう、桜は散ってしまった気がします。

>> 瞑想 さん

返信ありがとうございます。
正解か?不正解か?まだ、わからないと思います。手放すことが正解の場合もありますので…(後になってわかるもの?)
それに、才能に関しては自分だけが要因で判断できない部分が大きいような気がします。極端な表現をすれば…どの時代にどの場所でどういう環境のところに生まれて、どのように育てられ、自分自身が何を考え行動したか?が才能として評価されると思いますので、才能はその時点での結果でしかなく、時間とともにその評価は変化していくものだと思います。
「これ」が正解でも不正解でも選択して実践しないと正解か不正解はわからない。(しかも判断できるまでに時間のズレのようなものがある)なので、なりたい自分に近づけるように、今の自分ができる小さなことから選択して実践していくことが大切のような気がします。
例えるならば、山登りのようなものなのかもしれないです。山頂は一つですが、ルートはいくつもあって、それぞれのルートにはメリットとデメリットがあるような感じだと思います。(険しいけど最短距離とか?)一つのルートが自分に合っていないから別のルートから再チャレンジする人もいれば、山登りそのものを諦める人もいます。稀に、自分でルートを開拓する人もいるらしいです。(人の行く道の裏の道?)
いずれにしても、人それぞれなので、なりたい自分がある人は、少しでも近づけるように日々の時間を投資していくと良いような気がします。
できることであれば、自分自身が散るまでに、そして花が散るまでに、花の山にたどり着くことができると良いような気がします。(その為には少しでも早く選択して実践するしかないような気がします)
またしても長文になってしまいました。申し訳ないです。お役に立てば幸いです。
瞑想
瞑想さん・投稿者
Gマスター

>> にゃんにゃんぷぅ さん

返信、ありがとうございます。違うルートを通るパスポートを持ち合わせていなかったと思う部分があります。今は、とりあえず、ちょっと休憩したいです。ありがとうございました。
サンクコストは将来の合理的な判断を狂わせてしまいがち。
悪あがきに時間を浪費してしまうことも少なくないが、だからこそ、事にあたる時は全力を尽くす。
たとえ結果に満足できなくても、あれだけやってもできなかったのだから仕方ないと、過程に満足ができるはず。そこで諦めがつく。

言うは易しだけど…
瞑想
瞑想さん・投稿者
Gマスター

>> kinghachi さん

コメント、ありがとうございます。
おっしゃる通りでございます。
そして、生活が変わるのも、けっこうきついものがあります。
しばらくは、自分を甘やかそうと思います。
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