孫の手
私らが小学生の頃の修学旅行のお土産は孫の手が定番であった。
安い割には祖父母の受けが良くその後の誕生日や正月に数倍のリターンが期待されたからである。
その孫の手であるが本当は「麻姑の手」であることは良く知られているが麻姑とはなんであるかはあまり知られていない。
(現在の中国では「麻姑手」「麻姑爪」「麻姑指」とかで検索しても出てこない。「不求人」というのが一般的なようである。
上図は百度百科での検索結果の一つである。)
麻姑とは中国古代の仙女で『神仙伝』という書物に登場する。
『神仙伝』は、中国の西晋時代の葛洪が著した書物で92人の神仙について故事来歴を記述してある。
葛洪は亦私の愛読する『抱朴子』の著者でもあるので此方からの繋がりで読むに至った。
『神仙伝』巻七は仙女特集で麻姑もここで紹介されている。
現在『抱朴子』『神仙伝』共に絶版となっているので図書館を利用するか古書店やオークションサイトで購入するしかない。
仙人の王遠が下界の蔡経の家を訪ねた。
その際麻姑も招くことにした。
麻姑は年の頃18,19の美しい女性で頭の天辺で髷を結い残りの髪は腰まで伸ばしている。
衣服は眩いばかりの模様があり世間のものではなかった。
二人は海が桑田に変わるのを3回も体験した程の年月を生きていたようだった。
麻姑は鳥のような爪をしていた。
蔡経はこれを見て「背中が痒い時この爪で掻いてもらったならさぞかし気持ちが良いだろうな」と思った。
王遠は蔡経の心の中をすぐに察知して彼を捕まえて「麻姑殿は神人であるぞ何故にかような不埒なことを考えたのだ」と言い鞭打った。
鞭は見えるが鞭打つ人の姿は見えなかった。
この逸話が基となり背中を掻く器具を麻姑の手と呼ぶようになった。
では日本で「麻姑の手」が「孫の手」と呼ばれるようになったのはいつ頃からであろうか?
ネット記事では正確なことは分からないので国会図書館のデジタルコレクションで原本を閲覧することにした。
今回初めて利用したが原典を直接見ることができる画期的なシステムで何故もっと早くこの存在を知ることができなかったのかと悔やまれた。
以下の画像は原典のスクショである。
1712年刊行の『和漢三才図会』の該当箇所である。
ここでは「爪杖(まこのて) 掻杖 末古乃天」とありその由来も掲載されている。
明治時代に政府のプロジェクトとして『古事類苑』という大百科事典が編纂され明治から大正にかけて出版された。
その中に1760~1780年に編纂された『類聚名物考』の爪杖の項がありここで初めて「まごのて」の名称がみられる。
ここには前述の『和漢三才図会』の項目も載っているので孫の手と呼ばれるようになったのは1700年代中期であると分かった。






