誕生日の雑感と小督の局の旧跡巡り
寿命に健康寿命と平均寿命があることは知っていたが漫然と前者は80歳位後者は85歳位と思っていた。
誕生日を迎えるにあたって検索してみると健康寿命は72歳となっていてもう4年も過ぎていることに気付いた。
平均寿命は81歳で後5年しかない。
しかも年を取ってからの時間は早い。
私見では時間はいつでもどこでも誰にでも等しく流れるが年を取ると体力知力が衰えて動作や思考が緩慢になり相対的に時間が経つのが早く感じるようになるのだと思っている。
言葉にしても若い時ほど早い口調で喋れない上に肝心の単語が出て来ずアーウーと口籠ることが多く時間だけが過ぎていく。
これでは良くない今までのようにのんべんだらりと怠惰に過ごすことは改めよう、問題意識をもって暮らそうと決意するのであった。😁
旅行するにも単なる物見遊山では時間の無駄使いである。
別に何かテーマを課したら二つのことを同時に行うことになるので2倍の時間が掛かってもイーブンになる。
ということで手始めに『平家物語』に出てくる小督の局(以下小督)に由緒ある場所を訪ねようと思い立った。
清閑寺下にある高倉天皇の陵墓である。
小督の局のあらすじは以下の通りである。
(この文は前段に載せるべきであったが字数制限に引っ掛かったためここに移動した)
平清盛は自己の権勢を確実なものにしようと娘徳子(17歳)を高倉天皇(11歳)に嫁がせ政治に口を挟むようになった。
高倉帝は天皇と言えどもまだ11歳の子供である。
中宮の徳子よりも同年代の葵の前という少女を可愛がるようになったが身分の違いや同僚の嫉妬のため里帰りさせられ直ぐに亡くなった。
悲嘆に暮れている帝を見て中宮徳子は自分に仕える小督の局という女御を参内させた。
小督は美人の誉れ高く琴の名手でもあったので高倉帝は深く愛するようななった。
小督は以前清盛の五女の夫である藤原隆房とも恋仲であった。
今は清盛の娘徳子の夫である高倉帝の愛人である。
入道相国(清盛)これを聞き、「中宮と申すも御娘なり。冷泉少将(隆房)婿なり。小督殿に二人の婿を取られて、いやいや、小督があらん限りは世の中よかるまじ。召し出して失はん」と言った。
小督は清盛の2人の娘婿を奪ったので殺そうとまで思ったのである。
それを聞いた小督は自分はともかく高倉帝にまで累が及ぶことを恐れ宮中を出て嵯峨野に隠れ住むことになった。
小督のことを忘れられない高倉帝は宿直の源仲国に小督を連れ戻すよう命じた。
寺社仏閣や人家を探したが容易には見つからない。
亀山の辺りに来た時にかすかに琴の音が聞こえてきた。
その音を頼りに1件の家の前に来て中国は持参の笛を吹いて琴に和した。
小督と仲国は宮中で一緒に演奏した仲であったので琴の奏者は小督であると断定できたのである。
こうして小督は宮中に戻り密かに高倉帝と過ごすようになり子を産んでしまった。
清盛は中宮である自分の娘より先に子を産んだ小督を憎み強制的に尼にして清閑寺に追いやった。
高倉帝は小督のことが忘れられず失意の内に亡くなった。
享年21の若さであった。
亡骸は帝の遺言通り小督の住まう清閑寺に埋葬された。
時系列的には前後するが清閑寺を先に訪れた。
四条河原町の交差点から南へ100m程下った所に京阪バスの乗り場がある。
バスを待っているのは地元民数人だけであった。
バスは空席もあり渋滞することもなく15分程で「清閑寺山之内町」に着いた。
バス停の先は山科に向かうトンネルである。
国道横の道路を道なりに行くと清閑寺の参道になる。
陵墓から右手にある階段を上ると清閑寺の小さな門がある。
門を入ると眼前に小督の供養塔がある。
お寺自体は人の気配もないこじんまりとしたお堂である。
庭の一角に京都市内を望める場所がある。
ここからの景観を扇になぞらえると要の位置になる所に大きな石があり「要石」と呼ばれている。
他に江戸末期西郷隆盛と清水寺の僧月照が王政復古の謀議をしたという建物跡もある。
ここは前述のように小さな寺で小督に興味なければ訪れようとも思わない場所であるが30人くらいの外国人に会った。
不思議に思ったが私の来た道の反対側に清水寺に通じる道があってそちらからの流れで来たようだった。
清閑寺の参拝を終え嵐山方面へ向かう。
下りの道を歩いていると市バスの停留所がありすぐに四条大宮行のバスが来たので乗る。
「四条大宮」で嵐電に乗り替え終点「嵐山」で下車して渡月橋へ向かう。
嵐山の渡月橋の袂に立つ「琴きき橋跡」の石碑。
画像右側の橋が渡月橋で至近距離にあるが注目する人は余りいないようだ。
小督の住居があったとされる場所からは100m程の距離があるが仲国はこの辺りで静かな夜風に乗って来る琴の音に気付いたのであろうか。
まあ石碑とかは交通の邪魔にならない所に立てるのが普通であるし正確なことは分からないことだしでこの辺りに立てようとなったのかもしれない。
峰の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思へども、駒を速めて行くほどに、片折戸したる内に、琴をぞ弾きすまされたる。 ひかへてこれを聞きければ、少しもまがふべうもなき小督殿の爪音なり。楽は何ぞと聞きければ、夫を思うてこふとよむ、想夫恋といふ楽なりけり。
『平家物語』は軍記物語で叙事的な勇壮な表現に溢れているが
この部分は抒情的で異彩を放っている。
「琴きき橋跡」の石碑から渡月橋を横切ってた所に車折神社頓宮がある。
ここの前の小橋にも「琴聞橋」がある。
ここからだと小督塚から50mほどの距離であるから琴の音は確実に聞こえる。
大堰川の堰辺りにある小路を20mくらい入った所に小督の局が隠棲していたといわれる跡があり小督塚が建っている。
角のアイスクリーム屋は長蛇の列だがここは人一人も通っていなかった。











