「災害ボランティア元年」から30年
会話の締めは、やはりニコリと笑顔を浮かべて、この台詞でしょうか。
「困った時はお互いさまですから。」
人助けや思いやりサポートは、隣人や偶然鉢合わせした人たちに対して行なう行為かと思いきや、さにあらず。
大きな出来事が起こると、なにか自分にも出来ることはないのか、と居ても立っても居られない衝動に。
そんな社会現象を巻き起こしたのが1995年の阪神・淡路大震災だったと言えるでしょう。
被災地には1年間で延べ100万人以上のボランティアが参加し、物資の配給や避難所の支援などが行なわれました。
この「小さな力の結集」の流れは一過性のものにとどまるかと思いきや、1997年に島根沖で発生した「ナホトカ号重油流出事故」でタンカー「ナホトカ号」の沈没事故に伴う海洋汚濁の際の海岸清掃作業などにもつながりました。
【現場から、】平成の記憶、重油漂着に立ち向かった人たち
更には、ボランティア組織という任期の団体の立場を強化すべく、「特定非営利活動促進法(NPO法)」が実現して行く運びにも。
しかし、人の善意を踏みにじる行為をする人物もいることは残念です。
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https://joshi-spa.jp/1340101
以下、抜粋
「困っている人がいたら助けてあげなさい。それがいつか自分に返ってくるから」
小さい頃、親や学校の先生にそんな風に言われたことはありませんか? 確かに、長い目で見れば善意は報われると思いたいですが、現実には、その「お返し」がいつもいいものとは限らないようです。
抜粋、ここまで.
ということで、見返りを求めないのが ボランティアであり、親切心ですから、ここはじっと我慢で人生経験の教訓とする。
ボランティアとは、自発的にすすんで無償で行う行動。
笠地蔵(かさじぞう)童話 動く絵本/日本の昔話 朗読




助け合いをしている集まり(マンションとか)の人は、助け合いをするし、助け合いをしている家族の人は、助け合いをしますね。
企業とかもそうなんでしょうね。それが社風かな。
そういう文化の中に入れたら幸せです。
誰か一人が周りにそういう文化を築いて行くこともありますね。
エレベーターが故障し、断水の階上へ給水車からバケツリレーしたり。
マンションも日ごろのお付き合いが ものをいいそうですね。
昔ながらの地域、下町気質なところとかも絆は今なお強いことでしょう。
運・不運、不幸中の幸いとかは在りますが、災害時の自分たちの命運は案外まわりの人やまわりのインフラで決まるのかも知れない。
お手伝いをやり慣れていない有志の方を優しく導いてくれる、いわば交通整理してくれる経験豊かな組織の存在も重要となりそうですね。
パンとかを無料で現地に直接届けてくれる企業の素早い対応とかにも感激するものが。
帰宅困難者に寝泊まり場所とかを提供してくれる企業にも。
「どうされましたか?」「大丈夫ですか?」
普段あまり話さない人とも、お節介と思いつつ、様子がおかしい時は声がけする勇気も文化でしょうか。
床下の泥回収も大変でした。
その他、やってみて気付く事が沢山ありました。
普段から、手助けをする事を意識する日本人文化は素晴らしいと思います。