我々人類が次に目指すべきは核兵器のない世界?戦争のない世界?
「核も戦争もない世界を共に」 日本被団協、ノーベル平和賞受賞演説
https://news.yahoo.co.jp/articles/489ebe3c5bbad4493e29a1c18dffae9a033548e4
現状は「核も戦争もある世界」ですが・・
最終的には「核も戦争もない世界」を目指すとしても物事には順序というものがあります。
我々人類が次に目指すべきは核兵器のない世界?戦争のない世界?
我々人類が次に目指すべきは核兵器のない世界?戦争のない世界?
10件の回答
次に目指すべきは戦争のない世界。
50% 5件
どちらも無理だ、諦めよう。
30% 3件
次に目指すべきは核兵器のない世界。
10% 1件
その他
10% 1件
31 件のコメント
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可能だと仮定するならば、次に目指すべきは戦争のない世界でしょうね。核兵器のない世界では、愚かな人間は、それに代わる手段を模索するに決まっている。
諦めたら、マッドマックスのような無秩序な世界になってしまいます。(●´ω`●)
>> nak-tek さん
「軍事力の最大にして最も根本的な役割は抑止力である〜中略〜武道の強い人間に、喧嘩を売ろうとしないのと同じ理屈が、国家間、民族間などでも通用する」江畑謙介(軍事評論家、著書「軍事力とは何か」より)
>> モバイル クエスト@ウィザード クエスト さん
「我々は核兵器のない世界ではなく、戦争のない世界を目指すべきです」マーガレット・サッチャー(イギリスの政治家、首相)
私も同意見ですね。
>> リックン220109 さん
「軍縮と平和を混同するのは、我々が犯す間違いの中でも最悪だ。なぜなら軍縮は平和を実現してからはじめて達成できるようになるものだからだ」ウィンストン・チャーチル(イギリスの政治家、首相。第二次世界大戦勃発の5年前1934年の発言)
悲しいですが、そんな無駄な努力は止めた方が良いです。
戦争は災害のようなもので、決して無くならなし、いつの日か必ずやって来るものです。
その時に、出来るだけ被害が最小になるように日頃から備えておく事が肝心です。
無駄な努力はしないで日頃からの備えに最大限努力するべきです。
人間は愚かですから・・(^^;(^^;
現在でも大なり小なりの戦争の絶えることなし。
兵器はどんどん進化、破壊力を増し、更には無人遠隔兵器迄登場させた。
戦争をやるにしても人命を奪う痛みを感じなくなって来た戦争のやり方には大いに不安を感じる。
生き物には争いが常にあると言う事です。
昆虫や動物と同じで争いは生物の自然な現象です。
戦争って何かってなりません?
いや、わかりますよ。
でも、よく考えてみて下さい。
最初は小さな不満や欲望が段々大きくなって絶えきれず戦争に発展しますよね。
それは国同士じゃなくても、人同士でも起こるわけで。
不満が爆発し、武器を持って相手を襲い、下手すれば死亡する。
痴話喧嘩もある意味戦争。
なくなることは多分ない。
原爆で亡くなった人への「償い」を日本政府は全くやっていないと批判していましたが、これは完全におかしな論理です。
原爆投下の責任、償い、賠償請求の相手は日本政府ではなく、アメリカへ問うというのが筋というもの。
よって被曝者がアメリカに対して原爆投下に対する賠償請求したのであれば、アメリカへの責任問題を追及できる根拠となり得たのに、それすらせずにひたすら日本政府に対する「国家補償」を要求していることに非常に違和感を覚えました。もう一度言いますとさらに念を押している。
さらに言うなれば、アメリカによる空襲で被害を受けた日本国民への「国家賠償」はしなくてもいいのかという話にもなりかねず、差別していると捉えられてしまいます。
この演説はまさにアメリカを含め核保有国を利する演説となり、永遠にアメリカや核保有国に対する原爆投下の責任、賠償要求をする根拠を失わせました。
左翼ってアメリカが憎いんじゃなかったのかな? それともロシアや北に忖度したのか?
今回の被団協へのノーベル平和賞授与は、ロシアに対する核恫喝に対抗する意図があったのかなと思われますが、被曝者が原爆投下したアメリカに対する責任を一切追及することなく、日本政府のみに国家補償を要求したことで、ロシアへの原爆投下を牽制する機会を失わせた
演説とも言えます。
なぜならは被曝者が要求したのは、原爆を「投下された側」が補償をしろというものだったからです。
となれば今後核兵器を投下しようとする国は、この演説を根拠に国家賠償を拒否する口実を与えてしまったことになるからです。
本当に残念な結果です。
>> puchichibi さん
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」安西 光義(漫画スラムダンクより)
「我々は平和のために英雄的な犠牲を払って戦争に備えなければならない。それ以上に重要で大事な任務はない」
アルバート・アインシュタイン(科学者)
気がします。
戦争が無くならないのに、核爆弾という
お守りを各国が手放すわけがないと思います。
もし、仮に世界中で大きな戦争が
起こらなくなったとしても、
「いやだ!手放したくない!
だって、これからまた戦争が起こるかもしれないじゃん!」
っていう将来の不安から、なかなか手放さないでしょう。
核爆弾のない世界は、戦争のない世界より難しいと思います。
・・・と前から思ってたんですが、チャーチルと似たような意見になっちゃった🙄
>> parlng さん
「人間が存在する限り、戦争はなくならないだろう」アルバート・アインシュタイン(科学者)
>> 1953生まれ さん
「戦争は政治家に任せるにはあまりにも重要であり過ぎる。彼らには戦略的思考のための時間も、訓練も、意欲もない」ジャック・D・リッパー准将
映画「博士の異常な愛情」の登場人物。
妄想によって、ソ連に先制核攻撃を行う。
>> ときわ銀河 さん
>>原爆投下の責任、償い、賠償請求の相手は日本政府ではなく、アメリカへ問うというのが筋というもの。1951年サンフランシスコ講和条約で、日本と米国は相互に全ての賠償請求権を放棄しています。
被爆者の賠償請求の相手は「日本政府」というのは法的には正しいです。
感情的には納得できないという意見はわかりますけどね・・
>> ハクサンタロウ さん
「核のない世界、平和な世界」というスローガンを叫ぶ人が日本にはたくさんいます。核廃絶は結構なことに違いありませんけれども、しかし核の廃絶イコール平和な世界かどうか。〜中略〜うっかりすれば、核が急になくなったら、かえって世界の平和が乱れるかもしれない。神谷不二(国際政治学者)
ハーバード核研究グループ著「核兵器との共存」より引用
バートランド・ラッセル(イギリスの哲学者)
>> kaji さん
それを要約すると「相手次第」という事ですよ。>> ときわ銀河 さん
百田氏の言葉では?>> parlng さん
縄文時代の一万年の日本には戦争をした痕跡が無いそうです。つまり「人類は...」と言うのは??です。>> kaji さん
諦めるの何も、「核なき世界、戦争の世界」という絵に描いた餅を最初から目指してはいけません。しかし、スローガンとして「核なき世界、戦争のない世界を目指す」と言い続けることは、これ以上核兵器が増えることを防ぐ意味で価値のあることと思います。
建て前としての「核なき世界、戦争のない世界」を訴えつつ、来たるべき戦争からの被害を出来るだけ防ぐために最大限の努力をするべきです。
>> kaji さん
>>1951年サンフランシスコ講和条約で、日本と米国は相互に全ての賠償請求権を放棄しています一見もっともらしい文言ですが、現実には講和条約は国と国との約束事であって、個人の請求権に関してはサンフランシスコ講和条約でも消滅していないとする国会答弁もあり、実際問題としてアメリカ国内で、日本企業や日本政府が訴えられた事例もあります。
となれば、個人の請求権が主張できるのであれば、アメリカとの相互主義で日本側も個人の請求権は生きているとみなすべきです。
>> puchichibi さん
「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある」日本国「国防の基本方針」 昭和32年5月20日閣議決定
>> ときわ銀河 さん
>>個人の請求権が主張できるのであれば、アメリカとの相互主義で日本側も個人の請求権は生きているとみなすべきです。そんな事を言い出したら、「原爆被害」だけでなく「焼夷弾の被害」「通常爆弾、地雷の被害」「捕虜になった被害」とか両国の高齢者が言い出して収拾がつかなくなります。
後ろ向きすぎる。
もうやめましょう、この話は。
>> kaji さん
>>「焼夷弾の被害」「通常爆弾、地雷の被害」これに関しては、戦時国際法の範囲内の一般的な戦争の被害ですから、お互い様ということで賠償請求はしないと思います。
>>「捕虜になった被害」
この件は確かアメリカで訴訟を起こされたと記憶しています。
私が問題にしているのは、アメリカの原爆投下による19万人もの民間人虐殺という戦時国際法違反についてです。
それ故に原爆被害者は、原爆を投下した国に対して、個人賠償請求すべきということです。
話は分けて考えるべきだし、何よりも賠償請求を放棄したはずのアメリカ側が、個人賠償として日本相手に訴訟を起こしているわけですから、日本側も原爆投下に対しての訴訟を起こしても問題ないはずです。
実際問題として、アメリカの一部の人の間には、日本はアメリカに原爆を落とす権利があるという考えを持ってる人もいるとのこと。
さすがに日本人として原爆を落として復讐しようとは思いませんが、被爆者の賠償請求は、原爆を落とした国に対してやれるようにすべきです。
>> ときわ銀河 さん
>>戦時国際法「もし、我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者のほうに属している」
カーチス・ルメイ(アメリカの軍人、第21爆撃集団司令官)
「国際法は、諸主権国家が、都合や便宜の計算によって、習慣的に遵守している一組の規則にすぎない」
フレデリック・ルイス・シューマン(アメリカの国際政治学者)
「国際条約のごときは 、往々にして権力の前には一片白紙上の空文にすぎざる 」
山縣有朋(政治家)「国防方針改訂意見書 」大正7年 より
「カなき正義は無力であり、正義なき力は圧制である。力なき正義は反抗を受ける。なぜならは、常に悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない」
ブレーズ・パスカル (フランスの哲学者)「パンセ」より
>>被爆者の賠償請求は、原爆を落とした国に対してやれるようにすべきです。
これは同感ですが。
そもそも日本が真珠湾攻撃しなければ、東京大空襲も沖縄戦も広島、長崎の悲劇も避けられたわけで・・
被団協のスピーチの最後の部分は最悪。
核兵器をチラつかせるロシアへの牽制どころか、「万一、核兵器を使っても勝てば賠償しなくて良い」と言ってるに等しい。
まあ、本人達に悪気や自覚はないんでしょうが・・
ノーベル平和賞受賞者が、世界の平和や核兵器廃絶ではなくスピーチ最後に「被爆国に金払え」
あの部分に世界中がずっこけたのでは?
私が日本の核廃絶運動とか平和運動とやらが好きになれない理由が詰まってました。
ウェゲティウス(ローマ帝国の軍事学者)