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人の心を無くすとき。

ある朝、駅のホームで電車待ちの列に並ぶ。
駅員が車椅子用のスロープ板を持って先頭にいた。
程なくして電車が到着、ドアが開く。
駅員がスロープ板を置き、電車から電動車椅子に乗った中年が降りてきてエレベーターへ向かった。
そして駅員がスロープ板を持ち上げてどこかへ立ち去った。
なんともいえない不快感を覚えた。

車椅子中年は終始駅員の存在を認識していないかのように電車を降り、礼や会釈といった行動が一切無かったのだ。
介助を受けることに慣れすぎてしまったのだろうか。

声出ないのかは知らんが、腕や首動くのだから何かできるやろ😅


2 件のコメント
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中年だからでしょう。
僕も中年だけど、声が出なければ手で合唱して感謝を示すか、何かしらの方法で感謝を示します。感謝の気持ちは失くしては行けません。

休みの日にバイク整備をこの非常に暑い中お構い無しにしますが、探している部品が見つからずイライラが溜まるとその辺を蹴散らし心が無くなります。もちろん1人暮らしならではの愚行です。1週間の内に休みの日が1番、人としての心を失います。
駅構内での車いすでの移動については微妙ですね。
実際に対応が必要となった経験がない人はご存じないかもしれませんが、車いす対応してくれる駅もコースも決まっていて、車いす利用者側での自力での操作などはやってはならないルールとなっています。
事前連絡が必要であるケースなどルール化されていて、義務化されたことを淡々とやっているだけですので。
お互い気分が悪くてはらわたが煮えくり返るような不快な思いをしていても、淡々と事務的に行われる行為ともいえます。

お礼を言うのは飲食店で食事をして「美味しかったよ」と一言声をかけるような心づかいのようなものともいえます。
福祉の現場も見ようによっては殺伐としていることもありますが、一般的には年齢を問わず男はダメですね。
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