「東海道 安藤広重」 展 in MMFA
https://www.mbam.qc.ca/en/exhibitions/12601/
Montreal Museum of Fine Artsで9月8日まで開催中の展覧会
「東海道五十三次之内」55点、全て初版が凄いですね
今回何故か安藤広重と銘打っています
主任学芸員Mary-Dailey Desmaraisさんにどんな意図があるのか
私達世代は安藤広重で習いましたが、安藤は本名で広重は号
広重自身、安藤広重と名乗ったことはないそうで現代は歌川広重が一般的です
何時頃から歌川広重に変わったのか?
日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)氏が山川出版社の高校の日本史教科書(懐かしいですね)で調べています
https://otakinen-museum.note.jp/n/n5182d517014f
結果を記すと昭和57~59年(1982~84)を境に、「安藤広重」から「歌川広重」の方へと主たる呼び方が変わった
ちなみに、山川出版社の教科書に登場する浮世絵師は、長らく、師宣・春信・歌麿・写楽・北斎・広重の6名だけでしたが、平成16年(2004)の『新日本史』で初めて歌川国芳の名前が登場
また昨今注目注目される事の多い伊藤若冲、
山川出版社の日本史教科書の中では見つけることができなかったそうです
6 件のコメント
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https://chojiya.info/hiroshige
数年前に、とろろ汁をいただきに行ったことがあります。
また、6/9(日)は、由比の桜えび祭りに行ってきました。今回は立寄りませんでしたが、由比といえば静岡市東海道広重美術館には、よく行きます。
また由比といえば薩埵峠ですね。ここでは広重版画と変わらない光景が現在でも堪能できます。
https://tokaido-hiroshige.jp/
https://yuikou.jp/enjoy.html
https://www.visit-shizuoka.com/gokuraku/content.php?t=8
>> p928gts さん
色々ご紹介ありがとうございます。薩埵峠、絶景ですね
広重に切り取られた風景、各地で謂れ、面影残しているようですね
坂本龍馬の妻、おりょうさんが働いた田中屋とか
勝海舟なら別の就職口見つけられたと思うんですが
つい先ほど知りました。
https://www.hiroshige-tendo.jp/
> 当時、天童藩織田家は財政が苦しく、藩内外の裕福な商人や農民に献金を募ったり、借金をしたりしていました。その御礼や返済の代わりとして江戸で有名な浮世絵師、広重に肉筆画を描いてもらい下賜しました。
↑これは「ふるさと納税」?
大人の休日倶楽部か、どこかにビューーン!(if 当ったら)で行ってみたいです。
https://dokokani-eki-net.com/
ここのことですね。
https://www.tanakaya1863.co.jp/
少し敷居が高いです。ランチメニューでも「二名様よりお受けいたします。」縛りが・・・
>> p928gts さん
天童広重、広重の名声に一役買ったようですが金銭的にはどうだったか
天童藩十分に支払っていないようですよ
返礼品というより借金の形ですからね
>> p928gts さん
高級料亭のようです窓から横浜が埋め立てられる様子がよく見えたのでは